哲学カフェ@千里コラボ テーマ「恋とは何か、愛とは何か」
2016年4月30日(土)14時~16時 進行:赤井郁夫 参加者19名
今回は以前行ったアンケートで要望の多かったものをテーマに取り上げました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
まず、愛の対象について「何々愛」と言う言葉の使い方から愛の対象の幅広さが認識されていきました。家族愛、友人愛、隣人愛、国家愛、博愛、人類愛・・・さらに愛車、愛犬、愛機、愛馬などと言ういい方があります。
それに対して、恋について同じように言葉の使い方を吟味してみるとだいぶ様子が違います。例えば恋い焦がれる、燃えるような恋、狂おしい恋、甘い恋などと恋の対象の狭さと深さを感じられるようです。
日本語独特の表現なのかもしれませんが、既婚者の愛人とは言うが恋人とは言わない、とか妻は愛しているけど恋はしていない、などと言う表現に普段愛と恋について持っているイメージがひっくり返っているように感じると言う意見が続き、途中で愛とはしかじか、恋とはこれこれという定義の話に陥りそうになりながらも皆さんが抱いておられる恋と愛についてのイメージが浮かび上がっていきました。
**************************
◆恋のドキドキ感
恋愛と言う言葉があるので、恋と愛とのつながりは何かあるように思います。
恋するときに感じる「ドキドキ感」がとても大事だと思います。
恋は男と女、オスとメスとの生物としての生殖本能によるものでしょう。
ドキドキすることは本能などを超えてそれとしてあるもので、何か豊かさを抱えてあるものではないでしょうか。
およそ古今東西の文学や芸術活動においてすでに恋は語りつくされているではないでしょうか。
恋について語りつくされたなどと言うことは全くなくて、むしろ語りつくすことがない永遠のテーマであろうと思います。
恋のドキドキ感はとても楽しいので、恋の話は尽きないのではないでしょうか。
◆恋と愛
一目ぼれというのがあります。恋愛が何かの妨げになるので恋愛禁止、と言うのはどういうことでしょうか、恋は害悪でしょうか。
結婚において恋は必要なものとは言えないでしょう。お見合いや政略結婚というものは恋を重視しないということの表れでしょう。
恋でも愛でもそのような能力が必要なのと、出会いが必要です。好き嫌いというごく自然に備わったメカニズムがベースにあると思います。
恋に恋する、と言ういい方があります。片思いの恋には惹かれてしまって見返りなしでも恋をするのでしょう。
失恋と愛を失う、とはどう違うのでしょうか。
恋は個人的な要素が強く、それが恋の深さにつながっているようです。恋は利己的で独占欲を感じますが、愛は他利的な感じがします。
愛をぶつける手前で恋があるように思います。
反対に、愛が昇華して恋になるように思います。
英語ではLOVEで恋も愛もあらわすようです。このように恋と愛を区別しない言語においては今話しているようなことはどう受け止められるのでしょう。
◆愛の対象
先ほどのドキドキ感に通じるかもしれませんが、ときめくことは愛の場合には対象がモノ、恋の場合は人、になっていると思います。
恋をして結婚をして長い年月を過ごすと言う過程で結婚とは決心するということだと思います。だからその後はぶれない、と言うことだと思います。
恋の反対語は無関心、飽きるではないでしょうか。愛の反対語は憎しみ、憎悪だと思います。
愛の対象は普遍的なもので恋の対象は限定的と言えるかもしれません。
これまでのお話を聞いていると、愛とは態度または信念なのではないかな、と思いました。
人類愛のような、あるいは恵まれない人々への愛と言うものは神の愛の実践としてあるのではないでしょうか。
マザーテレサの活動のように愛は命を懸ける、と言えるかもしれません。
震災などへボランティアに出かけるのは愛によるのではないでしょうか。
これらの愛は相手をいつくしむということがあると思いますが、一方で自己愛と言ういい方もあります。命を懸けて行うボランティアが自己愛ではないと言えるのか。
愛はみんなの利益が考えられていると思います。個人から出発して家族、親族から究極は人類までみんなの利益を図ること、例えば格差の解消などが愛には含まれているのではないでしょうか。
*********************
次回は7月30日(土)です。