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2016/05/15

【開催報告】なごテツ 第2回哲学カフェ

昨日(5/14土)《なごテツ》の第2回哲学カフェ ときめく を名古屋駅東口にあるカフェ・サンラファエルさんにて開催しました。
初夏のような暑さの中、初参加2名の方を含め12名の方たちと、前半はゆっくりと、後半は前の方の発言に触発されてじっくりと幅広い観点から、ともに考えていくことができました。
終始、笑いが絶えない和やかな雰囲気でありながら、ときに敢えて対立点を明確にしながら思索を深めていく展開が見られたことが印象的でした。 (詳細は開催報告をご覧ください。)

今回も参加者の皆様から1,900円ものご寄付をいただきました。 配付資料などの複写費や活動運営費などに充てさせていただき、一部は哲学カフェ活動発展のためにも使わせていただきたいと思っています。(会計報告はこちらをご覧ください。)

哲学カフェ後は、9名の方たちが残ってくださり、場所を変えて、近くの喫茶店で1時間半ほど懇親会を行い、様々な話で盛り上がりました。
 
次回、第3回哲学カフェは、「良い選択とは?」をテーマに、6月11日(土)に開催の予定です。
 
こうして活動ができるのも、皆様の暖かいご支援とご協力があってのことと、大変感謝しております。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。

なごテツ世話人代表 井下賢一

2016/05/05

震災に関連したテーマでの哲学カフェ開催について

こんばんは。山本です。

すでに赤井さんが案内されているように
むこのそう哲学カフェでは5/21(土)に「天災と生きる」というテーマで哲学カフェが開催されます。
むこのそう哲学カフェ以外にも、カフェフィロ会員の開催する哲学カフェでは震災と関連したテーマでの哲学カフェを幾つか開催する予定です。詳細は決まり次第ご案内します。

今回の九州地方の震災を受けて、カフェフィロでもその向き合い方について、議論を重ねてきました。

被災地以外の方が「震災と向き合う」とはどういうことなのか。
被災地を「支援する」とはどういうことなのか。

カフェフィロ会員の中でもこれらの問いについて考え方は分かれています。ただ、今回の震災は被災地の方以外にも、多くの考えるべき問題を投げかけたと思います。まずはその問題について、自由に意見を出し、ともに考える場を開いていきたいと考えています。関心のある方のご参加をお待ちしております。

2016/05/03

哲学カフェ「天災と生きる」開催のお知らせ

皆さま
5月のむこのそう哲学カフェでは、熊本での地震を受け、<震災と哲学カフェ>を行ってみようと思います。

阪神淡路、東日本、熊本とここ20年の間に3回の大震災を経験した私たちは、ナマズの背に乗って生活しているようなもので、どこへ行こうと地震から逃れることはできないでしょう。

南海トラフ地震は確実にやってくる、のでしょう。天災と生きることを考えてみる場を設けたいと思います。

いつものように予約不要、途中入退場自由です。参加費は特に設けません。替わりにご厚志を承り、全額を日本赤十字社へ寄付することとします。

よろしくお願い申し上げます。

哲学カフェ@千里コラボ開催報告


哲学カフェ@千里コラボ テーマ「恋とは何か、愛とは何か」

2016430()14時~16時 進行:赤井郁夫  参加者19

今回は以前行ったアンケートで要望の多かったものをテーマに取り上げました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

 

まず、愛の対象について「何々愛」と言う言葉の使い方から愛の対象の幅広さが認識されていきました。家族愛、友人愛、隣人愛、国家愛、博愛、人類愛・・・さらに愛車、愛犬、愛機、愛馬などと言ういい方があります。

それに対して、恋について同じように言葉の使い方を吟味してみるとだいぶ様子が違います。例えば恋い焦がれる、燃えるような恋、狂おしい恋、甘い恋などと恋の対象の狭さと深さを感じられるようです。

 

日本語独特の表現なのかもしれませんが、既婚者の愛人とは言うが恋人とは言わない、とか妻は愛しているけど恋はしていない、などと言う表現に普段愛と恋について持っているイメージがひっくり返っているように感じると言う意見が続き、途中で愛とはしかじか、恋とはこれこれという定義の話に陥りそうになりながらも皆さんが抱いておられる恋と愛についてのイメージが浮かび上がっていきました。 

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◆恋のドキドキ感

  • 恋愛と言う言葉があるので、恋と愛とのつながりは何かあるように思います。
  • 恋するときに感じる「ドキドキ感」がとても大事だと思います。
  • 恋は男と女、オスとメスとの生物としての生殖本能によるものでしょう。
  • ドキドキすることは本能などを超えてそれとしてあるもので、何か豊かさを抱えてあるものではないでしょうか。
  • およそ古今東西の文学や芸術活動においてすでに恋は語りつくされているではないでしょうか。
  • 恋について語りつくされたなどと言うことは全くなくて、むしろ語りつくすことがない永遠のテーマであろうと思います。
  • 恋のドキドキ感はとても楽しいので、恋の話は尽きないのではないでしょうか。

 

◆恋と愛

  • 一目ぼれというのがあります。恋愛が何かの妨げになるので恋愛禁止、と言うのはどういうことでしょうか、恋は害悪でしょうか。
  • 結婚において恋は必要なものとは言えないでしょう。お見合いや政略結婚というものは恋を重視しないということの表れでしょう。
  • 恋でも愛でもそのような能力が必要なのと、出会いが必要です。好き嫌いというごく自然に備わったメカニズムがベースにあると思います。
  • 恋に恋する、と言ういい方があります。片思いの恋には惹かれてしまって見返りなしでも恋をするのでしょう。
  • 失恋と愛を失う、とはどう違うのでしょうか。
  • 恋は個人的な要素が強く、それが恋の深さにつながっているようです。恋は利己的で独占欲を感じますが、愛は他利的な感じがします。
  • 愛をぶつける手前で恋があるように思います。
  • 反対に、愛が昇華して恋になるように思います。
  • 英語ではLOVEで恋も愛もあらわすようです。このように恋と愛を区別しない言語においては今話しているようなことはどう受け止められるのでしょう。

 

◆愛の対象

  • 先ほどのドキドキ感に通じるかもしれませんが、ときめくことは愛の場合には対象がモノ、恋の場合は人、になっていると思います。
  • 恋をして結婚をして長い年月を過ごすと言う過程で結婚とは決心するということだと思います。だからその後はぶれない、と言うことだと思います。
  • 恋の反対語は無関心、飽きるではないでしょうか。愛の反対語は憎しみ、憎悪だと思います。
  • 愛の対象は普遍的なもので恋の対象は限定的と言えるかもしれません。
  • これまでのお話を聞いていると、愛とは態度または信念なのではないかな、と思いました。
  • 人類愛のような、あるいは恵まれない人々への愛と言うものは神の愛の実践としてあるのではないでしょうか。
  • マザーテレサの活動のように愛は命を懸ける、と言えるかもしれません。
  • 震災などへボランティアに出かけるのは愛によるのではないでしょうか。
  • これらの愛は相手をいつくしむということがあると思いますが、一方で自己愛と言ういい方もあります。命を懸けて行うボランティアが自己愛ではないと言えるのか。
  • 愛はみんなの利益が考えられていると思います。個人から出発して家族、親族から究極は人類までみんなの利益を図ること、例えば格差の解消などが愛には含まれているのではないでしょうか。

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次回は730()です。