おはようございます、まつかわです。
先日ブログにアップした記事が、なんのミスか消えてしまい、だいぶご無沙汰していることになってしまいました。
消えた記事は、また今度書き直したいとおもいます。
さて、先日1月27日は岡山駅近くの奉還町商店街にあるスペースやっちにて、こたつむりカフェを開催しました。
こたつむりカフェのきっかけとなった哲学カフェ「女らしさ?男らしさ?私らしさ」についてもう一度考えようということでしたが、前の哲学カフェとはまたちがう展開となりました。
前半は「男らしさ」や「女らしさ」について体験談などをもとに話しましたが、そこから後半は「〈自分らしさ〉と〈自分〉のちがい」、「〈らしさ〉の罠」など、「〈らしさ〉とは何か?」についてかなりつっこんだ議論となりました。
「男らしさ、女らしさに抵抗するのに〈自分らしさ〉を持ち出すと、それはそれで別の〈らしさ〉に縛られることになってしまう」という意見と、「しかし、かといって、自分一人が〈らしさ〉にとらわれないふるまいをしたからといって、周囲からの偏見はなくならないので関係性を築くのが難しい」という見解のあいだのジレンマについては、今後も考えていきたいです。
こちらのfacebookページにもけんちゃんの報告が載ってるので、よかったらどうぞ。
そちらにも書いてあるとおり、こたつむりカフェはしばらくお休みになります。
会場のやっちさんがリニューアルのため一時休業するのと、メンバーの引越しなどが理由です。
よい機会なので、これまでの活動を振り返って次の展開を考える充電期間にしたいと思います。
また、気が向いたらなんらかの形で復活すると思うので、そのときは気軽にお立ち寄りいただけるとうれしいです。
2016/02/03
2015/11/12
こたつむりcafe「今夜のエッチOKサインはどのように。。。」
こんにちは、まつかわです。
「OKかとおもったら、ちがった!」、「NOサインを送ってるつもりなのに、伝わらない?!」といった話から始まり、「なんで断れると傷つくんだろう?」、「相手との関係がNOなのか、関係はOKだけど今NOなのかによってもちがうのでは?」、「言葉ではっきり言う?それとも態度で示す?その理由は?」、「そもそもエッチOKサインはなぜ必要なの?」などについて語り合いました。
テーマのせいか、水曜開催のせいか、参加者は少なめ。
昨夜は岡山で、愛や性について考えるこたつむりカフェでした。
テーマは、「今夜のエッチOKサインはどのように。。。」。
「OKかとおもったら、ちがった!」、「NOサインを送ってるつもりなのに、伝わらない?!」といった話から始まり、「なんで断れると傷つくんだろう?」、「相手との関係がNOなのか、関係はOKだけど今NOなのかによってもちがうのでは?」、「言葉ではっきり言う?それとも態度で示す?その理由は?」、「そもそもエッチOKサインはなぜ必要なの?」などについて語り合いました。
テーマのせいか、水曜開催のせいか、参加者は少なめ。
でも、人によって、はっきり言う人、態度で誘う人、断れると傷つく人、断られても平気な人、いろんなバリエーションがあって、興味深くそれぞれの理由を聞いていきました。
OKサイン/NOサインの出し方・受け取り方って、その人との関係がどう進展するかや、相性への影響が思ってたより大きそうだなぁ、なんて思いました。
OKサイン/NOサインの出し方・受け取り方って、その人との関係がどう進展するかや、相性への影響が思ってたより大きそうだなぁ、なんて思いました。
次回のこたつむりカフェは12月18日(金)の予定。
テーマは考え中。
facebookページに過去の開催記録などもあるので、よかったらご覧ください。
2015/08/15
こたつむりcafé「あなたは何者ですか?
こんにちは、まつかわです。
城下ステーションの8月の哲学カフェの報告を書こうとして、それより前に開催したこたつむりcaféの報告を書きそびれていることに気づきました。遅くなってごめんなさい。
7月31日のこたつむりcaféのテーマは「あなたは何者ですか?」でした。
最初に、私から今回のテーマのきっかけになった「恋愛感情などない相手から、『あなたを女性だと思ったことはない』と言われて(おそらく褒め言葉なのだけど)モヤっとした」という体験をお話しさせていただきました。
その後、参加者のみなさんからは、性に限らず、血液型、国籍、民族、文化圏、言語、職業、家族、成績、拘り、癖、病気、障害…様々な例がでてきました。
人はどのようにして自己認識を獲得するか?
自己認識が変化するのはどんなときか?
同じような性向をもっていても、それを自分のアイデンティティとして認識する人とそうでない人がいるのはなぜか?
自己が思う自分と、他者からみた自分がズレのどうしてか?
‥‥などなど、具体例から自己認識の謎に少しは迫れたでしょうか。
個人的には、総合成績別クラスがアイデンティティに及ぼす影響が衝撃的でした。
成績でクラスを分けるなら、科目ごとにしてほしい。
性とは全く関係ない例だけど、刷り込みがアイデンティティに与える影響は大きいという意味では、性の問題にも通じるところがありそうです。
次回のこたつむりcaféは、8月24日(月)。
なるべく金曜に開催することにしていますが、どうしてもスケジュールが合わず、月曜にすることになりました。
みんなでラブソングを持ち寄って語り合う予定です♪
詳細はこちらをご覧ください。
2015/07/15
『無知な教師』を読む with 岸井大輔
こんにちは、まつかわです。
7/12、岸井大輔day@岡山の報告、続きです。
夜は、奉還町商店街のやっちにて、『無知な教師』を読みました。
前に岸井さんが岡山にいらっしゃった際に、第1章の「ある知的冒険」を読む会を開きました。
「ぜひ続きを」ということになったんですが、全部を読むのは難しいので、今回は、岸井さんと私がそれぞれ、みなさんと読みたい説を「よりぬき」させていただきました。
私が選んだのは、第2章の「無知な者の力量」。
岸井さんが選んだのは、第5章の「羊たちと人間たち」。
前者は、「無知な教師」のどのようにふるまい、それがどのような効果をもたらすのか、本書で紹介される教育の基本を押さえる内容。
後者は、さらにつっこんで、その「普遍的教育」がどのような政治的意味をもつかが述べられた節です。
選者それぞれの性格がでました。
読み方も、前半は、ひとり音読したら、次の人がその箇所を解説‥‥と交互に進め、後半は、ひとり音読したらみんなで議論し、音読した人の気がすんだら、また次の人が音読‥‥と変えてみました。
本書のなかで、説明を通して知識を与えるような教育は「愚鈍化する教育」と呼ばれているのですが、愚鈍化を避け発言することのなんと難しいことか。
そして、ときおり愚鈍化に陥る自分自身へのツッコミをいれながら、ランシェールのくどい表現と格闘することの楽しいこと!
自分の専門外なのに鋭いツッコミをいれてくる哲学の師匠たちを思い出し、哲学対話についても色々考えさせられる内容でした。
ひとつ、反省点があるとしたら、時間です。
今回、19:00から21:00の2時間で設定させていただきましたが、日曜なんだから18:00からはじめて3時間ぐらいやればよかった!
終了後も、岸井さんとのおしゃべりが楽しく、あっという間に時間がたってしまいました。
7/12、岸井大輔day@岡山の報告、続きです。
夜は、奉還町商店街のやっちにて、『無知な教師』を読みました。
人間の平等という原則に目を閉ざし、知性の優劣という虚構によって人びとを序列化してきた近代教育。他者への侮蔑にもとづく「愚鈍化」の体制から身を引き剥がし、現実の不平等に立ち向かう知性の主体となるために必要な学びの原理とはどのようなものか? 十九世紀の「無知な教師」ジョゼフ・ジャコトがめざした革命的教育の教えをモデルに、今日の「侮蔑社会」の泥沼から解放された人間を待望する。(『無知な教師』内容紹介より)
前に岸井さんが岡山にいらっしゃった際に、第1章の「ある知的冒険」を読む会を開きました。
「ぜひ続きを」ということになったんですが、全部を読むのは難しいので、今回は、岸井さんと私がそれぞれ、みなさんと読みたい説を「よりぬき」させていただきました。
私が選んだのは、第2章の「無知な者の力量」。
岸井さんが選んだのは、第5章の「羊たちと人間たち」。
前者は、「無知な教師」のどのようにふるまい、それがどのような効果をもたらすのか、本書で紹介される教育の基本を押さえる内容。
後者は、さらにつっこんで、その「普遍的教育」がどのような政治的意味をもつかが述べられた節です。
選者それぞれの性格がでました。
読み方も、前半は、ひとり音読したら、次の人がその箇所を解説‥‥と交互に進め、後半は、ひとり音読したらみんなで議論し、音読した人の気がすんだら、また次の人が音読‥‥と変えてみました。
本書のなかで、説明を通して知識を与えるような教育は「愚鈍化する教育」と呼ばれているのですが、愚鈍化を避け発言することのなんと難しいことか。
そして、ときおり愚鈍化に陥る自分自身へのツッコミをいれながら、ランシェールのくどい表現と格闘することの楽しいこと!
自分の専門外なのに鋭いツッコミをいれてくる哲学の師匠たちを思い出し、哲学対話についても色々考えさせられる内容でした。
ひとつ、反省点があるとしたら、時間です。
今回、19:00から21:00の2時間で設定させていただきましたが、日曜なんだから18:00からはじめて3時間ぐらいやればよかった!
終了後も、岸井さんとのおしゃべりが楽しく、あっという間に時間がたってしまいました。
2015/04/08
こたつむりcafeで「結婚」について考える
こんにちは、まつかわです。
年度末、年度はじめでバタバタしていて、ご無沙汰してしまいました。
ごめんなさい。
3月27日(金)の夜は、やっちにてこたつむりcafeを開催しました。
テーマは「結婚」。
年度末、年度はじめでバタバタしていて、ご無沙汰してしまいました。
ごめんなさい。
3月27日(金)の夜は、やっちにてこたつむりcafeを開催しました。
テーマは「結婚」。
インド、ネパールを旅して帰ってきたケンちゃんのスペシャルカレー(玄米でボリューム◎)とチャイを食べながら、いろんな話をしました。
玄米&ヴィーガンカレー 700円 |
前半は、既婚者の実感をきいたり、互いの「結婚に求めるもの」を聴き合いながら、結婚=帰るところ?、一緒にいることはどれくらい重要か?、夫婦のほどよい距離感とは?等々について話し合いました。
後半は、法律に詳しい方が、法律上の「婚姻」について色々教えてくれました。
曰く「制度(法律)上の「婚姻」と、世間や個人が抱く「結婚」のイメージはずれているのではないか」と。
法律では同居義務が定められていて、本人同士の合意がなければ、基本的に同居しなければならないときいて、一同びっくり。
曰く「制度(法律)上の「婚姻」と、世間や個人が抱く「結婚」のイメージはずれているのではないか」と。
法律では同居義務が定められていて、本人同士の合意がなければ、基本的に同居しなければならないときいて、一同びっくり。
個人的には、同居義務や不貞行為の違法性の話をしてるうちに、同性婚を排除している現状の婚姻制度に限界を感じつつも、自分が婚姻という制度に安心感を期待しているということに気づかされたのが大きな収穫でした。
他の参加者のみなさんはいかがでしたか?
今回は「結婚」の制度的な側面についてある程度話すことができましたが、今度はそうじゃない側面も掘り下げたい!ということで次回は「パートナーとは?」について考えます。
次回の詳細についてはこちらをご覧ください。
2015/03/01
こたつむりカフェ番外編〜マイノリティカフェ
こんにちは、まつかわです。
今日は15:00より、岡山大学の城下ステーションで哲学カフェ!
その前に、活動報告です。
今日は15:00より、岡山大学の城下ステーションで哲学カフェ!
その前に、活動報告です。
2月27日(金)のこたつむりカフェは番外編。
マイノリティカフェで、性に関わらずそれぞれの「私は◯◯マイノリティ」を語ることから始めました。
サイズ(おっきい人とちっさい人)、左利き、セクシュアル・マイノリティ(バイ、性同一性障害)、耳掃除をすると咳が出る、光を見ると鼻がムズムズする、乳歯が残ってる、サブカル俳人、泡沫候補ライター、濁点がコワイ…
今まで知らなかったニッチな世界に触れられて、面白かった!
思いもよらない感覚や世界に驚いたり、逆に思ったほどマイノリティじゃなくてびっくりしたり、言葉にすることで自分のモヤッが少しクリアになったり、最初に聞いたときは遠かった世界が他の誰かの言葉によって自分の体験と繋がったり…。
「マイノリティ/マジョリティとは何か」についても、「マジョリティの辛さとマイノリティの辛さとどう違うか?」という切り口から少し考えることができました。
でも、「マイノリティ/マジョリティ」についてゴリゴリ考える時間以上に、異なる悩みを持つ者同士、互いの話に耳を傾け、共感できてもできなくても互いの存在を受け入れ、「思いきって話してみてよかった」と安心感を得られたのが一番の収穫だったような気がします。
同じ悩みをもつ者同士で支え合うピアカウンセリングやピアサポートもなくてはならない活動だけど、その一方で、ちがいを受け入れて安心して暮らすためには、こうした異なるもの同士の交流もあったほうがいい。
そんな根拠なきビジョンを裏付けてくれた一夜でした。
そんな根拠なきビジョンを裏付けてくれた一夜でした。
2015/01/17
こたつむりカフェ「友情と恋のちがいって?」
おはようございます、まつかわです。
昨日、やっち(岡山市北区奉還町)で開催したこたつむりカフェを開催しました。
愛や性に関するテーマで、哲学カフェをしています。
昨日のこたつむりカフェでは、「愛と恋について語る」の回にでた問い、「友情と恋のちがいって?」について考えました。
いろんな仮説を検討しましたが、大きな柱となったのは、「恋愛は一緒にいることや関係そのものが目的で、友情は何か別の目的があって一緒にいる」という説でしょうか。検討していくうちに、「恋は排他的な関係を望み、関係自体が目的となる」、「関係性とは機能である」、ポリガミーと恋の制度性など、予想以上に話題が広がり、「このテーマでこんなに遠くまでいけるのか」とびっくりしました。
「『友情』という言葉は馴染みがない」という発言から、「友だちと恋人はどうちがう?」と問いを変換してみたり、「親友」という言葉について考えてみたりもしました。
もちろん、「性的対象となるかどうか」も友情と恋を分けるポイントとして挙がりました。前半、この説を支持する声は少なかったのですが、後半、途中から参加された「男女間の友情は(基本的に)ない」派の方がさりげなく触れていましたね。
語れば語るほど、最初から最後まで一貫した考えの人と、話すうちにどんどん謎が深まっていく人との差が広がっていくのが面白かったです。後者の人は、終盤、「友情と恋はいかに近いか」について熱弁をふるうことになりました。
結局、「友情と恋がどうちがうか」については、本当に人それぞれ感覚がちがうということを実感させられるばかりで、みんなが納得する答えを見いだすことはできませんでした。
しかし、2時間語り終わった今では、その認識のギャップこそが恋の鍵、彼(彼女)のあの行為は恋心か友情かどちらからくるのだろう?という謎こそが恋心を焚き付けているのではないか、などと思ったりしています。
【今後考えたいテーマ】
「独占欲」、「結婚」
昨日、やっち(岡山市北区奉還町)で開催したこたつむりカフェを開催しました。
愛や性に関するテーマで、哲学カフェをしています。
===こたつむりカフェのfacebookページより転載===
昨日のこたつむりカフェでは、「愛と恋について語る」の回にでた問い、「友情と恋のちがいって?」について考えました。
いろんな仮説を検討しましたが、大きな柱となったのは、「恋愛は一緒にいることや関係そのものが目的で、友情は何か別の目的があって一緒にいる」という説でしょうか。検討していくうちに、「恋は排他的な関係を望み、関係自体が目的となる」、「関係性とは機能である」、ポリガミーと恋の制度性など、予想以上に話題が広がり、「このテーマでこんなに遠くまでいけるのか」とびっくりしました。
「『友情』という言葉は馴染みがない」という発言から、「友だちと恋人はどうちがう?」と問いを変換してみたり、「親友」という言葉について考えてみたりもしました。
もちろん、「性的対象となるかどうか」も友情と恋を分けるポイントとして挙がりました。前半、この説を支持する声は少なかったのですが、後半、途中から参加された「男女間の友情は(基本的に)ない」派の方がさりげなく触れていましたね。
語れば語るほど、最初から最後まで一貫した考えの人と、話すうちにどんどん謎が深まっていく人との差が広がっていくのが面白かったです。後者の人は、終盤、「友情と恋はいかに近いか」について熱弁をふるうことになりました。
結局、「友情と恋がどうちがうか」については、本当に人それぞれ感覚がちがうということを実感させられるばかりで、みんなが納得する答えを見いだすことはできませんでした。
しかし、2時間語り終わった今では、その認識のギャップこそが恋の鍵、彼(彼女)のあの行為は恋心か友情かどちらからくるのだろう?という謎こそが恋心を焚き付けているのではないか、などと思ったりしています。
【今後考えたいテーマ】
「独占欲」、「結婚」
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まだ日程が確定していませんが、同じくやっちで、来月あたりに、「マイノリティカフェ」をやろうと計画中。
互いの○○マイノリティについて語りながら、自分のなかのマイノリティ性とマジョリティ性を見つめる時間をと思っています。
また日程が決まったら、カフェフィロHP等でお知らせします。(メルマガは〆切に間に合わないかも。汗)
互いの○○マイノリティについて語りながら、自分のなかのマイノリティ性とマジョリティ性を見つめる時間をと思っています。
また日程が決まったら、カフェフィロHP等でお知らせします。(メルマガは〆切に間に合わないかも。汗)
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