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2017/10/20

哲学カフェ@千里コラボ「美を見出すとはどういうことか」開催報告


哲学カフェ@千里コラボ 

2017(H29)930()14時~16時  千里コラボ第1会議室

テーマ「美を見出すとはどういうことか」

 

豊中市の千里中央駅直ぐ近くにある豊中市文化センター「千里コラボ」で行われた哲学カフェの開催報告です。毎回、定員いっぱいの皆様にご参加いただいています。

美とは「あるものであるか」「ないところに創り出すものであるか」と言う対立する問いと、その合間にあってどちらでもあるような、あるいはひょっとするとどちらでもないような問いが現れてきたようでした。

 


◆美とはあるものである
美を気付く、はっと気が付くことがある。それは既にある美が私に届いた感覚である。

美を他人と共有、共感できる。このことから美とは一人の中にあるものではない。

他人の発言によって美しさに気づくので、他人の発言を気にせざるを得ない。

感性によって心に触れる瞬間がある。

美は動くもの、普通ではないものに感じる。

 

◆ないところに創り出すものである

美もねつ造されたものだと思う。あばたもえくぼ、と言うように見ようによって変わる。

見出すということは、創り出すということである。

見出すのは人の美点であり、そのことが心地よさにつながっている。

権威が言ったことは、権威が言わなければ見出せない。

5感を使い、心を開いて精一杯生きる。

ゴッホは共感を得られるのに時間がかかった。

美は自分で組み立てるもの、見えないものを加味されることで美になる。
誰かの美ではなく自分の美を見つける。
人が作ったものではない場合は? AIや自然によって作られるものに感じるのは美だろうか。
情報の有無が優越感に影響している。
要求の満足とは違う。必要な時に見出すことの前提?

 

◆いづれであっても言えること

美とは心地よさを感じさせる。その美の心地良さは、快感か? 心地良さ+αで美しさを感じる。

美とはその人の持っている理想との重なり合い 「美しい!」と言う言葉が出る。

贋作や造花は美しいか。

美を感じるためには、感じられる状態=余裕が必要。

その人の生活歴、風土が影響する。
美によって新しい流れを作る。

 

人の作った美には作者の意図が感じられます。意図と美とはまた別のものでしょうか。AIが作った美に違和感を覚えるのはAIの意図が分からないからかもしれません。贋作の鑑賞に影響するのもこの意図なのかもしれません。

2017/10/16

久しぶりに大阪で哲学カフェ&お知らせ

こんにちは、まつかわです。

11月は、久しぶりに大阪で哲学カフェをさせていただく機会があります。
山本代表に相談して、カフェフィロ共催にしてもらっちゃいました。
お近くの方でご関心のある方は、ぜひ!再会をお待ちしております。

↓スクロールしていただくと、チラシをご覧いただけます。
哲学カフェ「人がつながりを求めるのはなんで?」(11/3、豊中市)


それから、最近、個人ブログをつくりました。

まつかわのてつがく日誌

以前のブログは、このカフェフィロブログをつくってから放置気味でしたが、最近、カフェフィロ以外の哲学対話のお仕事も増えてきたので、ちゃんと足跡を残していきたいなと思って新たに作り直しました。
facebookだと、アカウント持ってない人は見れないし、情報が流れていってあとから辿れないので。

《てつがくやさん》として、哲学対話について考えたこと、活動のヒントにしている本や情報などもアーカイブ化していけたらと思っております。
ただいま哲学ウォークの参加者も募集中!

「最近、松川はなにしてるんだ?」という方は、ちらっと覗いていただければ。

それでは、また。

2017/05/06

私たちは「プロっぽく」ない?

お久しぶりです。やまもとです。

先日のカフェフィロ総会の後、カフェフィロという団体の輪郭を見直す目的で正会員ミーティングを開催しました。ミーティングでは以下のことについて話し合いました。
・カフェフィロを取り巻く環境は設立からどう変わっているか
・カフェフィロはどんなことを得意としているか
・カフェフィロの活動は誰を対象にしているか
・カフェフィロは他の団体とどう違うか?

特に興味深かったのは、二番目の「得意なこと」です。得意なことを上げるのは結構難しいので、苦手なこと、特にカフェフィロに「できそうだけどできない」ことをみんなで洗い出してみました。結果、次のような意見をみんな概ね共有していることがわかりました。
カフェフィロの哲学カフェに参加しても「説得力のある主張」ができるようにはならないし、「論理的思考力」をつけたり、「悩みを解決」することも(あまり)できません。また、カフェフィロメンバーは議論をファシリテーションすることも、まとめることもそれほど得意ではありません。要するにプロっぽくないのです。
ここまで書くと「こいつら大丈夫か?」と思われそうですが笑、メンバーは「そうそう!」という感じでした。では、何が残るのか。私たちは何を共有しているのか。今年はそれらを探る一年になりそうです。
今回一つ確認できたのは、みんな哲学対話をなんらかの「手段」としてではなく、「目的」として考えていることです。私たちの「プロっぽくなさ」はここからきているのか?あるいは哲学や哲学対話の「プロさ」は他の道とは違うのか?もう少し考える必要がありそうです。

今年は上記のような正会員ミーティングを複数回開催したいと思います。模様については随時ブログでレポートする予定です。お楽しみに!(?)

2017/05/05

哲学カフェ@千里コラボ 開催報告

皆さん

こんにちは。カフェフィロ事務局の赤井です。
ゴールデンウイークをいかがおすごしでしょうか。

哲学カフェで連休を過ごす方もいらっしゃると思いますが、連休初日の29日に行われた哲学カフェ@千里コラボ「幸福とは何か~幸福感を語り合う~」の様子をお知らせします。

日時:平成29429日(土)14時~16
場所:千里中央駅すぐ、千里コラボ
参加:18


5名の初参加の方を迎え、「幸福とは何か」と言うテーマで行いました。連休初日のいいお天気に恵まれました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

「幸福」と言うテーマは哲学カフェでは割とよく取り上げられます。今回の哲学カフェではどんなご発言があったでしょうか。どうやら、幸福とはただ感じるものではないようです。他人との関係や行動、受け取り方も幸福に関係しているようです。また、社会の幸福(幸福な社会)について示唆されるご発言もありました。

皆さんが考える幸福について、新しい観点から考えるきっかけになったのならば幸いです。

当日の様子を少しお伝えします。



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◆幸福とは何か

・幸福とは、不幸を前提にしていると思います。健康と不健康の関係に似て失うと急に意識されることのように思います。

・ブータンの国王が来日した際、幸福度が話題になりましたが、幸福度は、満足度などのように測れるものでしょうか。

・日常生活の満足度が幸福度に繋がっているのではないかと思います。GDPなどの経済指標ではピンと来なくて、周りが見えて自分の幸福が比較できるようなものが幸福に関係していると思います。

・他人と比較するという事は、何か幸せを他人に預けているような感じがして、それは弱さではないかと思います。



◆幸福と時間

・幸福とは、後から当時を思い出して言うことではないでしょうか。あの時は幸せだったと。

・幸せかどうかは今は分からない。気持ちがいいなあ、とはおもうけれど。

・幸福は時間的なもので普段は考えないことだと思います。

・幸福は一瞬で感じることができる。歴史のない赤ちゃんは幸福なのかしら。



◆幸福と幸福感

・幸福ってユートピアみたいに、あるのかないのかわからないものです。

・自分の生涯を納得させるために振り返る、自分は幸せだと思いたい。不幸せではないことを納得すると、幸福であるように思います。

・幸福を感じにくいと思います。普段は幸福は意識しない。

・こうすれば幸せになれるという幸福論があるが、世間の風が幸福をさまたけていると思います。

・制約があってもやりたいことがあれば幸福です。

・他人の幸せを言うことがいいことだろうか。あるいは他人の不幸は蜜の味か。

・幸福な、捉え方をする。⇔不幸にとらえてしまう。と言うことが多いと思います。解釈の違い、解釈の方法によって幸福は変わってくると思います。



◆幸福と他人

・子どもと暮らせることが幸せだと感じます。人と心を通い合わせる、それが永続することが幸福ではないでしょうか。この場合、人と何かかかわりを持たないと、人と何かを一緒にやらないと幸福にならないのではないでしょうか。

・友人が多いことも幸福感に影響しているようです。

・ネット社会の特徴として、面識はないのに知りあいになれ、「いいね」」をしてもらうと幸せになれます。



◆幸福と行動

・目標を立てて、それを8割ぐらい達成したときは幸福です。

・ひきこもりなどの事例では、引きこもっている状態が幸せなのでしょう。

・ある状況は全て幸福である。

・幸福は努力して得られるもの。つらい時には何も考えられない、感じないようにしようとふたをしている。つらい時を脱すれば、幸せを感じられる。



◆幸福の構成要素

・幸福にはいくつかの構成要素があり、その組み合わせでいろいろな幸福があると思います。

・幸福の構成要素は安定、安心、目標、富、愛、感謝、達成感など。

・働く不幸もあります。年金暮らしの幸福は自由な時間が多く、経済的安定性があるからでしょう。



◆社会的幸福

・幸福は人によって感じ方がさまざまじゃないかと思いますが、一方で不幸は一律でないでしょうか。誰にとっても不幸は不幸と言えるように思います。

・社会において不幸の少ない社会、相対的な不幸が少ないことがいいのではないでしょうか。

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哲学カフェ@千里コラボ、次回は729日(土)14時からです。


2017/03/01

哲学カフェ@千里コラボ 「自分とは何か」開催報告


哲学カフェ@千里コラボ  「自分とは何か」

2017(H29)225()14時~16

 

今回のテーマは人気があったようです。申込が殺到したため、ご参加いただけなかった皆様、申し訳ございません。

「自分とは何か」と考える時、自分と言う確たるものがあるはず、と言う方と、そもそも自分なんてない、と言う方がいらっしゃるようでした。それぞれ、金属たわしとスポンジに喩えていただき、分かりやすくかつ、面白い議論でした。

哲学カフェは結論を求めません。このやり取りから皆様がどんな刺激を受けられたでしょうか。またいつかそのお話が伺える機会があれば楽しいなと思います。

 

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◆わたしとじぶん

・「自分」と「私」はどう違うのでしょう。

・「自分」と言う言葉は自分の個体を強調するときに使うように思います。一方、私は「私」と言う言葉を使わないと語れないと思います。

・「自分」のことを他人に伝えるときは「私」を使い、それ以外の時には「自分」を使うと思います。

・「自分」と言う時は、自分の個体を強調するように思います。

・身体と魂を分けて身体のことを「自分」と言うように思います。

 

◆じぶんをつくる

・「私」を作るためには「自分」を反芻しているようです。

・「私」は主体なのだと思います。

・自分を作ったと言う人はいないのではないでしょうか。自分を作ろうと努力しているのでしょうか。

・十人十色で、それぞれ自分を作っていると思います。

・自分を作った例としては「われ思う故にわれあり」と言ったデカルトやパスカルなどではないでしょうか。

・自分と、私1、私2、私3、を分けたいと思っています。混乱している自分を作っているようです。

・死ぬまで変化を続けて完成に近づけていくイメージがあります。

・私の思う自分は金属たわしみたいで、何かを吸いつけると言うより周りのものをこすり落としてるようなイメージです。

 

◆じぶんはなにでできている

・自分を取り巻く家族や友人や社会・歴史・自然に囲まれているところでsomethingが生まれ、それをまとめ上げて主体=私が作られていると思います。

・自分はしっかりとした枠があるのではなくて揺れているように思います。

・自分とはスポンジのように環境からいろんなものを吸い込んで、環境が替われば吸い込むものも変わっていくように思います。

・自分とは入れ物であって、そこにいろんなものが入っている。そのようなイメージです。

 

◆いしき

・今ここにあるものが自分、だと思います。

・「考え方」の確立が自分を作るために大事だと思います。その「考え方」には風土が影響していると思います。

・原自己から育つ中から、譲れない自分があって言わば芯があるように思います。

・「自分」を意識するときは、例えば道に迷ったとき、何かを選ぶ時です。

・自分を意識することで自分が生まれる。

・自分らしさを自分で作って苦しむ。

・意識は脳があるから生まれるので、脳死では自分はなくなると思います。

・本当に大事な自分っているのでしょうか。

 

 

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次回は429()です。テーマは「幸福とは何か」を予定しています。

来年度も引き続きよろしくお願い申し上げます。