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2016/08/24

p-Trip 哲学対話の夏合宿@ココルーム 開催報告

p-Trip 哲学対話の夏合宿@ココルーム 開催報告

 日時:2016(H28)年8月20日15時~21日13時 場所:ココルーム  
 共催:武庫之荘哲学カフェ運営委員会 カフェフィロ   協力:ココルーム

初めての合宿は延べ17名にご参加いただきました。ありがとうございました。特に遠方からお越しいただいた皆様、楽しんでいただけましたでしょうか。
ご協力いただいたココルームの上田暇奈代さん、遠藤さんはじめスタッフの皆様、ありがとうございました。

◆釜ヶ崎の街歩き

初日、まず「釜ヶ崎の街歩き」 は、あしゅらさんに案内してもらいます。

東京の山谷、横浜の寿町と並んで労働者の街として現代の縮図のような街。大正時代にさかのぼる釜ヶ崎の発生から第一次暴動(1961年)を経て歴史の波をかぶり続けたこの街歩きます。

2008年を最後に暴動は起きていません。高齢化した労働者たちのこの街を終の棲家としている様子が、今の日本を象徴しているようです。

◆1回目の哲学カフェは、「この街」がテーマ。  進行:赤井

街にエネルギーを吸い取られたと言う意見があります。言葉にしようとすると言葉にならないもどかしさを感じながら、人が住むとはどういうことなのか、に向かって対話が進みます。

貧困と自由、楽しさと差別、など普段あまり考えないような言葉を対にして考えていました。身体と物質の境目、普通の街との境目などにも話が及びます。

ようやく暮れた夏の陽にほっとしながら、BBQ

カフェフィロ「代表が焼く」BBQ! ココルームにはゆったりとした庭があります。

◆シネマ哲学カフェ 進行:山本(カフェフィロ)

続いてシネマ哲学カフェ「KAMAO!PERA」2016日本75分 を上映します。幅35m縦1.4mの遮光カーテン製スクリーンを設置。150インチの大画面にフルハイビジョンで上映しました。
プロデューサーは上田暇奈代さん(ココルーム代表、戦う詩人)

哲学カフェが始まります。予定を大幅に超過し12時を過ぎてしまいました。

面白いとはどういう事か。面白くないのはいけないことか。釜ヶ崎で表現するとはどういうことか。表現しない人はどういう存在なのか。仕事をするとはどういう事か。日々を送るとはどういう事か。仲間とは何か。掘れば掘るほど奥行きのある問いが浮かんできます。

参加者の皆さんの刺激的なご発言にどんどん開かれていく地平があるようでした。あぁ、その問題も考えたい!それも突っ込みたい!刺激に満ちた時間でした。

◆ 2日目

翌朝、すっきりと晴れた釜ヶ崎の空 
                                   ココルームの庭から見上げる空は南国の空

◆朗読からはじまる  朗読:西村在子 進行:赤井

「朗読からはじまる」は 井上荒野著「ある古本屋の妻の話」(100万分の1回のねこ収録) を朗読家の西村在子さんに読んでいただきました。


3回目の哲学カフェは朗読を聴いて行う「朗読からはじまる」です。驚くほど幅広く、深く話が広がっていきました。
短編とはどこで終われば成立するのか。 どこで切ってもいいのかもしれない。 賭ける、とはどういう事か。消極的な賭けとは何か。古本とは何か。埋めると捨てるの違いは何か。 考えるのをやめるとはどういう事か。 被害者である自分に安住する?など・・・

◆さて、最後は「哲学カフェプラス」

二人ペアになってこの二日間を振り返ります。一人が他の一人にインタビューして取材します。それを素材に詩を作ります。
これは上田暇奈代さんの「詩の学校」(月一回 会場:應典院) で行っている詩作の方法です。

                             ペアになってインタビューします。にぎやかな時間です。
◆「哲学カフェプラス」で作った詩から

「深みを増す」   あつみさんの話を聞いて    広瀬崇光

 問いという言葉には、どこかしらの受けが感じられる。

 しかしあなたが口にした場合、相手に対する興味、自分にない世界へでようとするような歩みを 感じる。

 何もしない人

 急な前進でつまづき、倒れた人

 人生において私はそういう人たちを見てきたが、あなたはどちらとも違う。

 あなたは進むだろう。

 そして広がるだろう。

 ゆっくりではあるけれど。

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「金属の動」    暑さ嫌いさんの話を聞いて   タイシ

 気怠い生活の中の、錆びた眼のその奥に

 白く輝くカギがある

 錆の下には白がある

 金属疲労を起こし、割れそうになった瞼の奥

 かぎにワイヤーをかけたなら

 白いまぶたになるだろうか

 私は布団を被って眠る

 まぶたを閉じて その夜に

--------
「古本屋の妻」  タイシさんの話を聞いて    暑さ嫌い

 満足していない家庭と対峙した

 住んでいて楽しいとかじゃなく

 平坦で変わり種のない家庭

 水面下にあるのは不満

 時には家庭の犠牲にもなる

 ただ不機嫌の受け入れ方が

 家庭のカタチとして現れる


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「このまま生きていくのか?」   紙本さんの話を聞いて   野尻茂樹

 のぼる日を見て起き、落ちる日をながめて明日を想う。今日と明日は違うのに、あなたは何も変
えようとしない。
 
 与えられている何かはあなたを満たし、かけている何かはいらだたせる。

 生と死はいつも目の前をよぎる

 何故、気づかなかったのか。何故、自分は考えなかったのか。

 考えたつもりの一瞬は土の中に埋まって息をひそめている

 あなたを見つめる生死は、あなたを問いつづけているのだ。

 「生きているのか?」

 問いつづけている声が、聞こえるか?


◆p-Tripは、終わりました。

街歩きは暑かったし、段取りがうまくいかない処も多々ありました。反省すべき点も多くありますが、皆様のおかげで楽しい時間を過ごさせていただきました。
こんな哲学カフェもあるのだな、と思っていいただけたら幸いです。

この後、カフェフィロ主催「対話劇を作るワークショップ」を行いました。引き続きご参加いただいた8名の方、ありがとうございました。

新たな出会いに感謝して、思うところへ進んでいこう。

2016(H28)年8月23日 赤井 郁夫

2016/08/17

岡山経済新聞で、「こども哲学」の様子が紹介されました

こんにちは、まつかわです。
ここ数日、不安定な天気が続きますね。
大雨の被害など大丈夫でしたか?

さて、今月はじめに、岡山市立高島公民館で進行させていただいた「こども哲学 絵本『さいごのぞう』をみんなで読んでみよう」の様子が、岡山経済新聞で紹介されました。
yahoo!ニュースにも転載されたので、ご覧になった方もいるかもしれませんが、シェアさせていただきます。


岡山で子ども哲学講座 絵本題材に「考えるを楽しむ」体験




同じく高島公民館主催で、秋から、アユモドキの人工繁殖に係わっている方や、野鳥が好きな方と一緒に、環境について考える「たかしまエコ寺子屋」なるイベントも企画中です。

うれしいことに、最近、岡山周辺でも哲学対話のお仕事が増えてきました。
ボランタリーな活動やネットワークづくりが中心のカフェフィロで、私がお引き受けしたお仕事の事務まで担うのは難しいため、山本代表とも相談のうえ、4月ごろから、カフェフィロ窓口ではなく直接ご依頼いただいたお仕事については、個人でお引き受けしています。
カフェフィロ外のお仕事や活動については、facebookに、ポツポツと書いています。もし気が向いたら、ご覧ください。
(といったものの、facebookの個人ページは、アカウントがないと見れないんですね。本当は、個人のブログを再開したいのですが、まだそこまで手が回らず。。。ごめんなさい。気長にお待ちいただければ。)
ときおり、「これはカフェフィロ周辺のみなさんとも共有したい」ということがあれば、こうして共有させていただくことにします。

2016/08/09

【開催報告】なごテツ 第5回哲学カフェ


http://nagotetsu.jimdo.com/会場/
会場のカフェ・サンラファエルさんの外観です。
いつも快く迎えてくれます!感謝!
 先日(8/6土)《なごテツ》第5回 哲学カフェを考える哲学カフェ よいテーマとは? を名古屋駅東口にあるカフェ・サンラファエルさんにて開催しました。

 少し歩いただけで汗が噴き出す程の大変な暑さの中、大阪や東京などの遠方からや、9月にコラボ・イベントを行う名古屋ビブリオバトルの会のメンバーの方たちからもご参加いただきました。
 (ありがたいことに、ご近所の方が、初参加で道に迷われた方を、会場のカフェ・ラファエルさんまで送って下さったそうです。 炎天下のご親切、心より感謝申し上げます!)

 初参加4名の方を含め11名の方たちとともに、哲学カフェにおけるテーマについて、活発なやりとりが展開されました。
 よいテーマを考えるには、何がよい哲学カフェかを考える必要があるとの提起から発展して、哲学カフェの善し悪しはテーマに関係するのか/しないのか、参加者の姿勢次第ではないのか、など、かなり突っ込んだ興味深いやりとりがありました。 (詳細は開催報告をご覧ください。)

 哲学カフェ後は場所を変え近くの喫茶店で、2時間ほど懇親会を行いました。

 今回も参加者の皆様から1,566円ものご寄付をいただきました。
 配付資料などの複写費や活動運営費などに充てさせていただき、一部は哲学カフェ活動発展のためにも使わせていただきたいと思っています。(会計報告はこちらをご覧ください。)
 
 次回、第6回哲学カフェは、9月10日(土)の予定です。(テーマは未定です。)

 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

なごテツ世話人代表 井下賢一

2016/08/06

パートナー団体のイベントのお知らせ

山本です。パートナー団体の「Philosophy愛知」さんより哲学カフェのお知らせが2件届きましたのでご紹介します。お近くの方は参加してみてはいかがでしょうか?

----(以下、Philosophy愛知さんより)---

●第4回哲学カフェ愛知@豊橋
【日時】2016年8月21日(日)15~17時
【場所】cafe & gateaux knhod
豊橋駅東口徒歩数分
【定員】10人程度
【申込】メールでお申し込みください。
 tetsucafe.p4e(アットマーク)gmail.com
【参加費】飲み物をご注文ください。
【テーマ】当日参加者どうしで話し合いたいことを決めます。
【哲学カフェとは】
哲学カフェとは、参加者がテーマ(問い)に対して問いを立て、考えたことを言葉にして表現し、聞いた人がさらに問いを立てたり、自分の考えたことを話す、応答的な対話を楽しむ会です。何か結論を出したり、合意形成することを目的にしません。参加者で問いを深く探求したり、異なる意見や見方を知ることを楽しむ場です。

●てつがくカフェ(名古屋・栄)
【日時】2016年8月26日 19:00 〜 21:00
【場所】名古屋市市民活動推進センター内フリースペース
【定員】若干名(事前に申し込んでください)
【申込み】下記のメールへお申込みください。
 tetsucafe.p4e(アットマーク)gmail.com
【参加費】なし
【テーマ】「障害者(障がい者)」は誰か

【趣旨】
相模原市で施設に入居されていた障害者だけを狙った殺傷事件は、理不尽な暴力で生命を断たれた被害者の無念の思いと遺族や関係者の方々の悲しみに胸が塞がり、容疑者に対する怒りを感じます。
事件についてはまだ捜査中であり、亡くなられた方々や遺族を言葉の暴力で傷つける憶測や配慮のない言葉を慎むべきでしょう。
しかし、なぜこのような事件が起きてしまったのか、様々な思いが去来します。
胸の中にある思いをゆっくりふりかえり、丁寧に言葉にして語り合いませんか。
生きるとは、障害とは、怒りとは、人を裁くとは。
なにか正解のある結論を急いで出すのではなく、異なる意見を傾聴しながら、それぞれの中で考えていることを分かち合い、考えあう場を開きます。 

※「障害者」「障がい者」の表記についても含めて、話しあえたらと思います。

【てつがくカフェについて】
てつがくカフェの以下のルールを守っていただける方はどなたでも参加できます。
①参加者の話をしっかり聴く。自分の意見と違っていても全否定しない。
②自分の考えたこと、感じていることを自分の言葉で話す。
専門書に書かれていることを情報として伝えるとかせず、自分の経験に基づいたこと、自分が感じたことを元に考えたことを言葉にします。
③何が正しい意見か勝ち負けを争う場ではありません。合意形成をする場でもありません。 また意見を押しつけてはいけません。
意見や感じ方が違うことを認めあい、安心して自分の考えを伝え合う環境を作ります。

---(ここまで)---

2016/08/03

哲学カフェ「なぜ私たちは哲学するのか?」の予想は大外れ

こんにちは、まつかわです。
暑い日が続きますね。
そんな暑いなか、哲学カフェに参加してくださるみなさん、ありがとうございます。
私もですが、みなさんも哲学好きですね♪

ということで(?)、先日、7月31日(日)は岡山大学まちなかキャンパス・城下ステーション(「城下」は「じょうか」ではなく「しろした」と読みます)の哲学カフェでは、「なぜ私たちは哲学するのか?」をテーマに取り上げました。
「こんなテーマで、人くるのかな〜。いつもより少ないだろうな」という私の予想は大外れ。
20名を超える方が参加され、この会場で最高参加者数となりました。
初めて哲学カフェに参加される方もたくさん。
哲学、大人気?!

そして、この哲学カフェでは、他にも予想外のことが2つありました。

ひとつは、「哲学カフェに初めての方は、参加しにくいテーマかな?」と心配だったのですが、初参加で積極的に発言してくれる方が、少なくなかったこと。

さらに、「いつも哲学カフェに参加してる人から、哲学カフェにきてる理由をきけるかな」と思っていたのですが、これも外れ。
全くなかったわけではないけれど、それより、自分の普段の生活から哲学について語る方が多かったです。

何百回と哲学カフェしてるんですが、私の予想、全然当たってません。
でも、そこが哲学カフェの面白いところです。


内容について、ざっくり振り返ると、「哲学とは何か」をめぐって、大きく2つの問題が浮かび上がったかなと思います。
(以下は、実際に話し合った順番とは全く異なります。私の主観でまとめたものです。)

一つは、哲学と、他の「考える」や知のあり方との関係。
「哲学する」は「考える」の一部なのか、それとも?
哲学と科学や宗教との関係は?などなど。
前者については、なんと、「晩ごはんについて考えることは哲学になりうるか?」という切り口から、興味深い議論が展開しました。
後者については、哲学と科学は切り離せるのか、哲学と宗教は両立するのかについて、対立する意見がでましたね。

もう一つの「哲学とは何か」をめぐる問題は、複数の哲学の区別についてです。
まず、介護関係の仕事をされてる方の話をきいた別の参加者から、「ケアを哲学する」と「哲学をもってケアする」はちがうのではという指摘がありました。
今ふりかえれば、最初のほうにでた「右斜め上から自分をみている感じの哲学と、毎日晩ごはんをコツコツとつくっている人(あるいは行為)のなかにある哲学、どっちが哲学?どっちも哲学?その関係は?」という問いかけも、この指摘に近いですね。
それから、「哲学や倫理は社会や人生のベースにある大事な問題について考えることだから必要」という意見がある一方で、「それもわかるけど、私は必要だからというより、単純に楽しいから哲学カフェに参加してる」という声がありました。


今回、「なぜ私たちは哲学するのか?」というテーマを取り上げようと思ったきっかけは、前回の哲学カフェででた質問でした。
「どうして、これを『哲学』と呼ぶんですか? 」
そのときは、簡単に2〜3言で説明させていただいたのですが、いつも一緒に哲学カフェをしている岡山大学の岩渕さんが、「一回、哲学って何か、じっくり話してよ」と言ってくださり、一人で一方的に話すのもさみしいので、参加者のみなさんにも話してもらうことにしました。
やはり、きいてみてよかった。
みなさんの話をきいて、私自身も、いくつか発見や変化がありました。

ひとつは、「哲学について哲学すること」に対する苦手意識が薄れたこと。
過去の哲学者もたくさん哲学について哲学してきたわけですが、抽象的な話になりがちで、哲学屋が自分のしてることを押し売りしてるような印象があって、ちょっと苦手でした。
が、今回は、暮らしや人生との関わりのなかで哲学がどうあるかが聞けたので、楽しかったです。

もうひとつ気づかされたのは、「哲学をもって○○する」が私のなかにあること。
私は、「○○を哲学すること」は自分のなかに何かしら発見や変化があって大好きなのですが、「人生哲学」とか「ビジネス哲学」というときに思い浮かべるほうの哲学には苦手意識をもっていました。
なんか、行動指針みたいなのが外から与えられて、自由じゃない気がして。
でも、今回「『ケアを哲学する』から、そこから生まれてきた『哲学』をもってケアすることも可能になる」という意見をきいて、「そういえば、私のなかにも、「哲学カフェで大事にしていること」があるなぁ」と気づかされました。
それは、外から与えられた知識ではなく、自分が経験しながら獲得してきた実践知のようなもので、変化しうるものだけど、だからといって簡単に揺らぐものでもない。
苦手だと思っていたものが、自分のなかにすでに、しかも大事なものとしてあった。
それは、驚きでもあり、愉快な出来事でもありました。

2つの苦手意識が吹き飛んで、今後、ますます楽しく哲学できそうです♪