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2015/02/28

NSD感想「合意できないのはどういうことか」

こんにちは、まつかわです。
NSD参加者の感想、最後は、尼崎でのNSDセミナー実現のために、スタッフ兼参加者としてがんばってくれた、かしゅうさん、こと赤井郁夫さんの感想です。


合意できないとはどういうことか

念願だった地元での「NSD体験セミナー」が実現し大変嬉しく、松川さんはじめカフェフィロの皆さまにお礼申し上げます。
今回は2回目のNSDでした。合意できないとはどういうことか考えさせられました。

NSD
では合意しないと前へ進めないルールがあるので合意が難しい局面を避けざるを得なくなることがあります。
今回、合意が困難な局面と比較的容易な場合とを比較する事が出来る状態になったところが私には面白く感じられました。

合意しない、合意を得られない状況から何がどう変化すると合意に至るのか、納得するという過程を通さないと合意はできないものだと思いますが簡単に納得できる場合、困難な場合それぞれの理由は見えにくいようです。
合意に至らない溝を埋める方策をあまり持っていない事に気付かされましたが、参加者が積極的であることは大事だと思いました。譲ることとか、妥協するということはどういう事なのでしょう。

合意に至らない事態に戸惑う体験を通じて多数決による「合意形成」の危うさに改めて気がついたことも収穫でした。
講師の松川さんと参加していただいた方々と一緒に貴重な時間を過ごせました。ありがとうございました。また受けてみたい私の好きな講座です。

(かしゅう=赤井郁夫


そうそう、私も今回は、合意に至るのが困難な場面と、比較的すんなりいく場面とのコントラストがはっきりしているように感じ、興味深かったです。
講師という名の進行を務めさせていただいた私にとっても、そこから学ばせていただくこと、考えさせられることがたくさんありました。
貴重な時間を割いて参加してくださったみなさんに、改めてお礼申し上げます。
何度参加しても(本人の意欲次第で)学びや気づきを得られるワークなので、いつかまた、リピート(あるいはリベンジ?)していただければ。
2015年度も、関西と関東1回ずつは開催できるといいなと考えています。

そして、3月の東京でのセミナーはまた違う内容になります。
NSDにも通じるところがある一方で、新たな出会いと学びもある予感。
ワクワクしています。




2015/02/27

NSD感想「自分の例が選ばれてほしかった!」

こんにちは、まつかわです。
NSDセミナーの感想、4人目。
今日は、NSDの窮屈な側面を率直に指摘するご意見です。
主催者としてこういう感想を取り上げることはあまりしないかもしれませんが、これもNSDの大きな特徴だし、終わった瞬間、真っ先に「また参加するぞ!」と表明してみんなを笑わせたのもこの方だったので、思い切って掲載します。



自分の例が選ばれてほしかった!

「許す」というテーマで話し合うことになった。
私の体験談を取り上げてほしくてたまらなかったのだが、惜しくも成らなかった。この体験談については、何度も自分の中で反復してきた経緯があり、何を聞かれても平気だという自信があっただけに返す返すも残念であった。
この時点で、テンションはガクンと下がった。

やはり自分の例が採用されなかったことが、最後まで尾を引き、セッションにのめり込めなかった感は否めない。
私が、自分の例にこだわったのは、その方が楽しいし、また自分自身にとっても得だからだ。それが成らず、他者の例だとテンションが下がってしまった、というのも考えてみれば自己の未熟さを晒してしまったとも言える。
大きな疑問点としては、例としての体験談が、完全に許したという結末でなければならない、という点である。私の例では、完全に許してはおらず、いまだに澱のようなものが心の中に残っているのだ。しかし、その澱のようなものの中身を探ってゆくことによって「許す」ことの本質に迫ってゆけるのではないかと私は思っている。

ディナーで、たくさん料理が出たけれど、一番食べたかった料理が食べられず、あまり食欲の湧かない料理を渋々食べさせられて消化不良を起こしたとでも言えばいいだろうか。一番食べたかった料理は、噛めば噛むほど旨みが増し、その深い味わいの深奥を知らずにはおけない心地に導くことは必至であったのに、とまたこれは自分勝手な妄想?を繰り広げてしまうのだ。


(ちょい悪)


2日間のNSDだと、せいぜい1つの例について吟味するのがせいいっぱい。
これも、NSDの特徴です。
(1週間のNSDだったら複数の例を吟味することもあるそうですが・・・)
1つしか例を選べないのは、普段哲学カフェでいろんな体験談を手当たり次第話せる事に慣れているとちょっと窮屈な側面かもしれません。

今回、ちょい悪さんが出された例の他にもう一つ、「これがいい!」という人と、「その例はちょっと」という人が分かれた例がありました。
特にちょい悪さんの出された例は「それが『ゆるす』の例とは思えない。本当はゆるしてないんじゃないように思える」という人がいて、しかも、ちょい悪さん自身もそのことを認めてらっしゃったので、NSDの「問いに肯定的に答える例」という条件からはずれてしまいました。
で、最終的に、「絶対にこれがいい!」という人もいないけれど、全員が「それなら、反対ではない」と思える例を選ぶことになりました。

以前の報告にも書いたように、この例を選ぶ場面は、本当に参加者にとって大変だったことでしょう。精神的には最大の難所だったのでは?
でも、これまでの経験上、あっさり全員の意見が一致して選ばれた例ほど、あとあと遭難しかけたりするので、ここでじっくり話し合えたのはよかったと思います。

ちょい悪さんが「僕の例が選ばれてほしかった」とおっしゃていたので私もドキドキハラハラでしたが、最後に「絶対また参加する!それで、今度こそ自分の例が選ばれてほしい!」と言ったときは、ほっとしました。
ちょい悪さんの出された例は本当に興味深かったので、私も、哲学カフェか、別の問いでNSDをするときにじっくりうかがう機会を待っています。

2015/02/26

NSD感想「合意形成の難しさと、そこに向かう勇気」

こんにちは、まつかわです。
3月のカフェフィロセミナー、本日、14日分も定員に達しました。
お申し込みくださったみなさん、ありがとうございます。
これ以後は1日目、2日目ともにキャンセル待ちになります。
どうぞご了承のほどよろしくお願いいたします。

さて、NSDセミナーの感想、3人目です。


合意形成!これは社会的にすごいことをしていると思いました。
こんなにじっくりと、皆がこれでいいか、確認し意思表示するまで待つ合意形成の方法が具体的に存在することに感動しました。

「今回は妥協はむしろしてはいけない場」というファシリテーターの言葉に力づけられ、
それでも時間がせまると途中むりやり納得させて合わせようかと思った時もありましたが、そうするといつもと同じだと思い今回の意味がないと思い疑問がのこることは消えていくまで言いました。

私はいつも少数派のほうなので、少数意見でもおいて行かれずに進んで行けたことで、合意形成のむずかしさを体験する以上に、むしろ元気になり解放感を持ちました。
しかも特別なリーダーなく皆で考え行けたのもよき経験になりました。
 
これから平行線になった時も、少しでも落ち着いて、合意点を見出しながら進んで行けるのではないかと思い向かう勇気が出ました。


(ジゼル)


普段の生活のなかでは、多数派に押されて少数意見の人が我慢しがち・・・。
そういう状況を変えたいと思いつつ、具体的にどうすればいいのかという悩みはよくききます。
NSDを体験すれば、いつでもそういう状況を打開できる魔法のような方法がわかる、というわけではありません。
でも、他者と納得いくまで話し合う「勇気」を得られたのだとしたら、ジゼルさんが2日間のNSDのなかで根気づよく他者や自分と向き合ったからではないでしょうか。
今後の対話活動でも活かしていただけたらうれしいです。


2015/02/25

NSD感想「開かれた心の姿勢」

こんにちは、まつかわです。
昨日に引き続き、NSDセミナー受講生の感想です。
(大阪ではなく、尼崎市でした。大変失礼しました。)


開かれた心の姿勢 

哲学カフェとNSDとの進め方の違いに当初戸惑ったが、哲学対話の可能性を考えるにはよい機会になったと思う。
  
オリエンテーションで「NSDは知識や方法も大切だけれど、姿勢や態度が大切」と言われた。振りかえってみて、NSDで求められる態度とは、参加者どうしの信頼と自己を省察し自己覚知を高める誠実さの徹底、開かれた心の姿勢ではないかと思う。
  
参加者の経験事例から重要な要素を見つけることは他人事として外を向くばかりではなく、自分の経験や自己自身の在り方を根源的に反省し、より普遍的な合意点を自己の内心深部に見つけることでもあるため、自分を直視し、自己を参加者に開示する心理的抵抗を乗り越えなくてはいけないからだ。
    
「いま・ここ」のNSDの中で起きていることを検証するメタNSD的な視点も意識しながらもNSDを楽しめた。どのような可能性があるのかさらに考え続けたい。


BABY METAL


BABY METALさんは全国各地の哲学カフェを渡り歩いているそうですが、よく参加するのは名古屋の哲学カフェだそう。
名古屋でメタ哲学カフェにも参加されているだけありますね。
私が言葉にした以上のことを、実践から汲み取ってくださいました。
ここに書かれている心の姿勢は、哲学カフェにも通じるものだなと思います。


2015/02/24

NSD感想「そこに山があるから登るのか?」

こんにちは、まつかわです。
3月に東京で開催するカフェフィロセミナー、とうとう14日(土)の「哲学カフェのつくりかた」も残席1名になりました!
お申し込み忘れのないようご注意くださいませ。

さて、今日は、1ヶ月前に大阪(失礼しました、間違えました)尼崎でNSDセミナーに参加された方の感想です。
今日から5日間にわたって、全員の感想をひとつずつ紹介させていただきます。


そこに山があるから登るのか?


NSDがなにかも知らず、いつか自分も進行役をやってみたいと言う思いで参加しました。
NSDは、参加者全員で山を登って降りてくる」という説明に、「今回の参加者は5人、2日がかりで1つのテーマなら楽勝じゃん!」と思ったのが大間違い。
全員の意見の一致が無いと進めないことが、こんなに大変だと思いませんでした。

正直、「そうまで持論に固執するか!」「黙ってないで発言してよ」と思うこともあれば、討論に疲れて「ここで自分が譲れば楽になれる」と思うこともありました。
多数決ではなく、全員の納得で登って行かなくてはいけません。
好き勝手発言して、結論は出さなくてもいい哲学カフェがどんなに楽で楽しいか。
多分他の参加者も同じ思いのはず。
それらを脱落者やはみ出し者の無いように、山道を導くシェルパ松川氏の頼もしい姿。
哲学カフェ進行役で見る時とは、また違います。

結局、下山直前で時間切れ、登山ツアーは途中解散となりました。
2日間どころか、このあと1週間は、頭の中で自分が発言し、問いかけられています。
まとわりつくNSD!感想は、「疲れた」と言うのが本音です。
誰と登るか、どこへ登るか、どう登るか、すべて思い通りじゃないから楽しいのかもしれません。
でも、遭難しなくてよかった~!!


(くろ)


そう、この回は、あと1合というところで途中解散になったんですよね〜。
おしかった!!
でも、この回のメンバーが「途中」と感じたところを、「ゴール」と思う人もいると思います。
納得いくまで話し合う!という態度が貫かれていたからこそ、そこに至るまで様々な景色をみたからこその「途中解散」でした。



2015/02/23

震災と〈きずな〉 @南相馬(2/15)

こんにちは。つじです。

先週開催した、てつがくカフェ@南相馬
ほそ〜く、なが〜くをモットーに続けています。

今回のテーマは、震災と〈きずな〉。
参加人数はとっても少なかったのですが、アットホームな雰囲気のなかで、濃密な時間を過ごすことができました。

まずは、震災と〈きずな〉というテーマから考えつくことを自由にはなしあいました。





どの方からも、〈きずな〉という言葉に対する、もやもやした思いが語られていたように思います。個人的には、「〈きずな〉という言葉を、実際に口にするのは、けっこうはずかしい。」という発言が、とても印象的でした。

                          

今回は、キーワードをいくつかとりあげたあと、みんなで一緒に「哲学の問い」をつくってみました(これは、「おみやげの問い」でもあります)。できあがったのは、

 ・何が、つながっているのか?
 ・何で、つながっているのか?
 ・つながっていなければ、いけないのか?

の3つでした。いずれの問いも、震災と〈きずな〉について、より深く考えることができそうな予感がします。

2015/02/19

「主婦・主夫は無職か?」グリグラ哲学カフェ(2/18)

液晶画面からこんにちは。かつらのぐちです。

昨日(2/18)のグリグラ哲学カフェで取り上げられたテーマは
「主婦・主夫は無職か?」
参加者は12名。中にはもちろん主婦・主夫ではない方もいらっしゃいましたが、
どの立場からも、人ごとではない「主婦・主夫」について話されていたように思います。

出ていた話題から、気になったところを報告してみますね。



● 「見えにくい」労働は勝手に範囲を広げられやすい
主婦・主夫の仕事は見えにくい。
これは、家の外の者からだけでなく、家の中、家族からもです。
「無職」ということばが前提としている「職業」というのは、
人が見て分かる労働ではないかという仮説が出ました。

見える労働である「職業」に対して、
見えにくい・見えない労働は「無職」ともいえるけれど、
さらに「身分」「役割」といったことばもあてがわれるのではないか。

見えにくい、分かりにくいというのは
「これは主婦・主夫の仕事である/ない」という領域があいまいだとも言えます。
そのため、それも「分」や「役」のうちだろう と、
労働の種類や量が、際限なく増やされてゆく可能性がある。
(たとえば「介護も主婦・主夫の仕事のうち」等々)
「このしくみは、“部長”という役職と同じだ」と発見なさった方もいらっしゃいました。

● 基準がないと、対価もない?
さきほど、主婦・主夫の仕事には明確な領域がないという話を書きましたが、
領域だけでなく基準もあいまいだと言えます。
ここでいう基準には大きく2つの意味があります。

1つは、個々の労働作業内容についての基準。そしてもう1つは、評価基準です。

たとえば「今日何をするか」。どこを見て、どれを選ぶか。
「汚れている部屋をきれいにする」を選んだとしても、
どのくらい時間をかけ、どの程度をめざし、達成しているかをどう図ればいいのか。
そこに明確な基準などなく、各主婦・主夫が考えることになります。
これは「好きなことを好きなようにやっている」と表現することもできる。
そうだとしたら、確かに家の仕事はしているとしても、
効率化や能率化の面から考えて「プロ」とは言えないので、「無職」と表現されてもしかたがないのかもしれない…。

この話の時には、姫路で自然農をやってらっしゃる方から、
農業の世界でも同じようなことが言える、というお話が出ました。
こだわって自分なりの方法で多品種をつくるやり方は、
効率や能率を重視したやり方=結果としてお金にもなるやり方とは異なり、収入にも繋がりにくい。
農法は収入に繋がり、さらに収入によって農協から“農家”と認めてもらえるかどうかが変わるのだそうです。

ここでの「プロではない」と自分をみなしたり誰かから見なされたりすることは、
「対価が分からない」ということにも繋がっているようでした。
労働について、現金収入の多寡を基準にしていない場合、
いったい他にどのような「対価」を求めればよいのか?
そもそも「対価」は存在するのか?

この問いに対する仮説については、今日は割愛。

● 家のしごとは、誰も知らない
主婦・主夫には、「気がついたらなっていた」「契約があるわけではないから…」ということばが出ていました。
最初のほうで、主婦・主夫の労働は見えにくいと書きましたが、
その労働の内実を知らないのは、じつは主婦・主夫自身だって、大抵の場合、同じです。
自分が主婦・主夫と呼ばれる立場になるまでは、見えていないのです。

家事のお手伝いはしたことがあったり、
一人暮らしで自分の家の仕事を自分でしたりしていても
(そういえば、「1人暮らしで自分の家のことをしていてもそれは主婦・主夫とは呼ばれない」という話も出ていました)
他者を含んだ家の中の仕事を、短いスパン×長いスパン両方の視野をもってやってみる機会というのは、じつは大抵の場合ありません。

「職業」と違って体験してみる機会などなく、
それぞれなんとなく、自分の過ごした家の中にすでにいる主婦・主夫のイメージをぼんやりと持っているだけ。
そして異なるイメージを持つ者どうしが新しい家をつくって暮らすことになる。

この再生産を防ぐために、「主婦・主夫の仕事」という視点をいったん外して
「家の仕事」と捉え直した上で、
「自分のことは自分でする」という原則をかたがわりしているのが、
主婦・主夫なんだということを、少なくともできるだけ隠さないようにするのがよいのではないか、という仮説が出ていました。

●今回は話してみて、最後に以下の「お土産の問い」が出ました。
・無職ってなに?
・幸せな役割分担って?
・介護や家事は誰が担っていけばいいのか?
・「当たり前」は、どうすればなくしていけるのか?
・「食っていける/いけない」のラインはどこ?


今回わたしが個人的にいちばん気になったのは、ちらっと出た「主婦・主夫のやめ方」でした。
読んで下さってありがとうございます。
それでは、液晶画面からごきげんよう。

2/28 小金井哲学カフェ「今、この国で変えたいもの」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回の開催情報が届きました。


日時:2/28(土)18:00-20:00

テーマ:今、この国で変えたいもの

今の日本には、先人の努力で新しくなったものもあれば、変わらないもの・まだ取り入れられていないものもあります。それらは、法律で明記できたり、個人の意識のようにぼんやりしたものかもしれません。有形のもの、無形のものという切り口で捉えられるものもありそうです。

あなたが考える、この国で変えたいものは何ですか?

今回は、「今、この国で変えたいもの」について話し合いたいと思います。

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野


ストレートで、なかなか普段はじっくり語り合うことのできないテーマですね。
参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。



それから、カフェフィロセミナー、おかげさまで3月15日の「質問力を鍛える!?」は定員に達しました。
ただいまキャンセル待ちのみのお受け付けとなっております。
3月14日の「哲学カフェのつくりかた」についてはまだ残席ございます。
残り僅かですので、受講をご希望の方はお早めにお申し込みください。
詳細はこちらよりどうぞ。




2015/02/16

明後日18日のグリグラ哲学カフェの会場は「神戸市立北区民センター 4Fなでしこ」

液晶画面からこんにちは。かつらのぐちです。

明後日18日のグリグラ哲学カフェにつきまして、
16日15時現在、HPに掲載されている開催場所が
「神戸市立北区民センターすずらんホール音楽室」となっていますが、

正しくは「神戸市立北区民センター 4Fなでしこ」でした。

チェックしてくださっていたみなさま、本当に申し訳ございません。
すずらんホールと区民センターは、近くですが建物ごと異なりますので、
どうぞお間違えのないよう、よろしくお願い致します。

またいずれ何かの形でお伝えするかと思いますが、
じつはグリグラ哲学カフェでは、来年度あらたなチャレンジが始まります…!
どうぞお楽しみに。

それでは明後日会場でお会いできますことを楽しみにしております。

2015/02/10

3/14-15 東京でカフェフィロセミナー「哲学ファシリテーター入門」開催!

こんにちは、まつかわです。
先日予告したとおり、3月14日(土)と15日(日)にカフェフィロセミナー「哲学ファシリテーター入門」を開催します。
すでにお申し込みくださった方、ありがとうございます。



詳細はこちら

これまでの受講者のみなさんのの声を参考に、短い時間ながら、より段階的に学べるようにプログラムを改良しました。
両日とも最初にレクチャーを行いますが、対話って、知識があればできるってものじゃないですよね?
もちろん、知っていると助かるちょっとした「コツ」みたいなものはあると思います。
でもそれは表面的に知っていればできるというものではなくて、どのコツをどの場面で適用するかはケースバイケースだし、その奥にある、他者と共に考えようという「態度」や「姿勢」があってこそ活きるもの。

そこで今回は、ワークの時間をたっぷりとります。
「こうすればよい」という正解がないからこそ、実際の対話をもとに考え、学ぶのが一番です。
実際、みんなで対話しながら、ふだんの哲学カフェでは難しいメタダイアローグをしたり、ファシリテーターが気をつけるべきポイントとその理由を考えてみましょう。
私も10年以上の経験を2日間で出し切るぐらいの気持ちで臨みますが、受講者のみなさんにご質問いただいて改めて気づかされることもあるので、楽しみです。

ひとりひとりの顔が見えるよう、思い切って定員も絞りました。
どんな顔ぶれで、どんな対話が、そして対話に関する学びの時間になるのか楽しみです。

2015/02/08

2/22 空堀哲学カフェ「あう/あわない」

おはようございます、まつかわです。
賛助会員の青木さんより、空堀哲学カフェの開催情報が届きました。


空堀哲学café

テーマ:あう/あわない
あなたにはどうしても「あわない」ひとはいますか。なぜ「あわない」と思いますか。このひとは私に「あう/あわない」。このアクセサリーはその服には「あう/あわない」。この食器はその料理に「あう/あわない」。「あう/あわない」というとき私たちは何をみて、何を感じているでしょうか。いっしょに考えましょう。

とき:222日(日)16:00~18:00
ところ:道勝café
大阪市中央区谷町6-4-20(空堀商店街)
最寄り駅 谷町六丁目(谷町線)・松屋町(長堀鶴見緑地線)
参加費:ドリンク代(¥400~600
定員:10名(要予約)



今日はこのあと、岡山大学のまちなかキャンパス、城下ステーションにて哲学カフェです。「ワークライフバランス」について考えます。
その前に、セミナーの詳細情報をもう一度チェックしなければ!
お楽しみに♪
というか、どちらも私が一番楽しみにしています。
一緒に楽しんでくださる方、お待ちしております。


2015/02/07

3/14&3/15、東京でセミナーやります!

こんにちは、まつかわです。
3月14日(土)、3月15日(日)の2日間、東京でカフェフィロセミナー「哲学ファシリテーション入門」を開催します。

3月14日(土)は、哲学カフェに特化した「哲学カフェのつくりかた」。
3月15日(日)は、他者の考えを理解し、思考を深める質問とはどういうものか考える「質問力を鍛える?!」です。

おのおの、以前開催した「哲学カフェ入門」「質問力を鍛える」をバージョンアップした内容となっております。
「入門のわりに難しい!」という声があったので、段階的に学べるよう内容を改良しました。
初めての人はもちろん、回数を重ねれば重ねるほど学びが深くなるワークが中心なので、以前受講してくださった方も大歓迎です。
(実際私は、このセミナーと似た内容の授業を5年くらい連続で受講していましたし、その後も機会があれば参加するようにしています。)

詳細は、後日メルマガやHPでご案内します。
関心のある方はスケジュール空けておいていただければ。

ひとまず、予告でした。



てつがくカフェ@南相馬 2/15(日) 震災と〈きずな〉

こんにちは。

つじです。東北でも雪が積もりました。
寒い日が続きますが、いかがおすごしでしょうか?

さて、てつがくカフェ@南相馬のお知らせです。

テーマ:震災と〈きずな〉
日時:2月15日(日) 14:00〜16:00
場所:南相馬市情報交流センター交流広場
南相馬市立中央図書館1階のカフェでおこないます
進行:辻明典
予約は不要です。直接会場にお越しください。途中参加もOKです。

震災のあと、〈きずな〉という言葉をよく耳にするようになりました。 〈きずな〉の意味はなんとなくわかるような気がしますし、大事なことのような気もします。でも、〈きずな〉って、そもそも何でしょうか?なんとなく、〈きずな〉は大切なことのような気がするけれど、どうして大切なんでしょう? 震災という〈出来事〉からみえてくる〈きずな〉について、みんなでいっしょに考えてみませんか?


2015/02/04

NSDセミナー@尼崎

こんにちは、まつかわです。
風邪で1週間以上寝込んでしまい、前回の更新から少し間が空いてしまいました。
すみません。
今年の風邪は喉にきます。
みなさんもお気をつけください。

さて、1月24日から25日の2日間、尼崎で開催したセミナーのご報告です。

今回は、哲学カフェに慣れ親しんだ5名の方が参加されました。
最初に自己紹介がてらウォーミングアップをしてから、山登りに例えて「ネオ・ソクラティックダイアローグって何?」という説明をさせていただき、いよいよ登山開始です。

みなさん哲学カフェで慣れているだけあって、最初のステップ「問いを立てる」ところは、なかなかスムーズに進んだのではないでしょうか。
今回、選ばれた問いは「ゆるすとは?」でした。
途中、「許す」と「赦す」はどうちがうか、今回考えたい「ゆるす」はどんな「ゆるす」かを議論した末、あえてひらがなで表記することになりました。



そして、午後の、それぞれが例を出すところまではよかったのですが・・・例を選ぶ場面が危なかった!
誰かが強く「これ!」と思うものは「それだけは無理」という人がいたり、票が多く集まった例も残り1人が納得できず・・・ということを何度か繰り返し、なかなか全員の意見が合いません。
多くの票が集まった2つの例をめぐってずいぶん長い間議論し尽くし「大丈夫かな、ここから一歩も動けなくなったらどうしよう」と思ったとき、「いっそ、この2つは候補から退けて、他から選ぼう」という提案のおかげで、ようやく歩を進めることができました。
ここが今回の登山でいうと8合目あたり。
参加者のみなさんが2日間を通して一番キツいところだったのではないでしょうか。



2つめの難所は、2日目の午後。
選ばれた例の記述を終え、いくつかのポイントを選び、そのポイントから最初の問いの答えを探す場面です。

午前中のうちに、例のなかから「ゆるすとは?」の答えとして「自分にとって受け入れがたいことを」という要素が出てきました(みなさん、驚異的なスピードで1日目の遅れを巻き返してくれました)。
実はこの「自分にとって受け入れがたいこと」という言葉、2日目のだいぶ早い段階で出ていました。
しかし、そのときは、このポイントを指すもっと適切な言葉があるのではと全員が考えていたようです。
他の様々な言葉を駆使して例のなかでなにが「ゆるす」のポイントになっているかさんざん議論し、疲れ果てたころ、もう一度この言葉に戻り、この言葉が一番しっくりくるという結論に至りました。
結論だけきけば「なーんだ」と思うかもしれません。
でも、最初にこの言葉が出てきたときと、最後にこの言葉をもう一度口にしたときとでは、みなさんの表情が全然ちがうんです。
納得して選ぶってこういうことか、と改めて実感させられた場面でした。

清々しい気持ちで午前中のワークを終え、全員でランチに韓国料理でビビンババイキングに繰り出した後、2つめの難所がやってきます。

さらにじっくり例を検討した結果、5人は2時間かけ、「自分にとって受け入れがたいことを受け入れる」には、そしてそれが「諦める」でないためには、そのときの自分自身のコンディションと相手のアクションにもポイントがあるという結論に達しました。
が、その自分自身のコンディションと相手のアクション(と、ここで私が勝手に書いているもの)がどのような状態かを言葉にしようとすると、なかなか全員がしっくりくる言葉が見つからない・・・。

残念ながら、今回はここで時間切れ。
あと残り1合というところで各自の答えを発表し合い、途中解散となりました。
おしかった!

しかし、受け入れがたい気持ちを受け入れようとするときの自分の気持ちをどう表現するかを巡る議論は、一つの言葉からそれぞれが抱くイメージのギャップが明らかになり、非常に興味深かった。
今後、誰かをゆるしたり、誰かにゆるされたりするたびに、思い出しそうです。



今回、2日間を通してすごくよかったのは、NSDのあいだ全ての食事を全員で共にできたことです。(1日目のランチは地中海料理、ディナーはイタリアン、2日目のランチは韓国料理でした。)
午後の休憩、おやつタイムにも和菓子談義に花を咲かせたり・・・。

参加者の方がもってきてくださった、とらやの羊羹

途中、意見がなかなか合わず難航する場面もありましたが(NSDでは毎回のことですが)、こうした時間を共にすることで、なんとか最後まで全員で歩めたように思います。

今回、参加者のみなさんにも感想をお願いすることにしました。
また、このブログやニューズレターでご紹介させていただきます。お楽しみに。