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2014/03/31

4/4 小金井哲学カフェ「盗む」

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の佐土原さんより、小金井哲学カフェの開催情報が届きました。


日時:4/4(金)19:00-21:00

テーマ: 盗む

場所:カフェ  broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:佐土原


シンプルなテーマですが、哲学カフェではなかなか見ないテーマですね。

参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。

2014/03/25

アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』を読む〜凡庸な悪と無思考性〜

こんにちは、まつかわです。
昨日3月24日は、久しぶりのテツドク!(哲読)。
一人の思想家の思想と言葉をどっぷり味わう2時間でした。

今回、ハンナ・アーレントを選んだのは、映画『ハンナ・アーレント』の公開に便乗してというのもあるのですが、実は私の個人的な希望でもありました。
私がアーレントの文章を初めて読んだのは、大学受験で現代国語の課題文でした。
試験中なのに、そんなことも忘れるぐらい夢中で読んで、受験が終わったあとすぐその『人間の条件』を買いました。自分で購入した最初の哲学書(?)だったかもしれません。
大学院時代に、先輩である三浦さんの研究発表をきいて再び関心をもち、その後もずっと気になる思想家だったのですが、なかなかじっくり学ぶ機会がなく・・・
今回映画のこと、それから三浦さんが別件で大阪に来ることを知り、この機会を逃すわけにはいかないと企画させていただきました。

当日は、

  1. 三浦さんによる『イェルサレムのアイヒマン』の背景とアーレントの思想の解説
  2. 三浦さんがB4一枚にまとめてくださった抜粋を読む
  3. ときおり三浦さんが解説をはさみつつ、参加者も交えて対話

という流れですすみました。

特に議論が紛糾した論点が2つありました。

ひとつめは、「アイヒマンに対するアーレントの『凡庸な悪』という評価は、当たり前のことを言ってるようにも思えるが、アーレントのすごさはどこにあるのか?」という点。
現代の私たちがきくとごくごく一般的な考え方のように思えるが、アーレントがこの文章を書いた時代にこれを書いたことがすごかったのか。それとも、現代の私たちの社会について考えるうえでも意義深い示唆がそこにあるのか。

もうひとつは、三浦さんが参考としてひっぱってきたある事件(どんな事件かは、東京のテツドク!のネタバレになるといけないので伏せておきます)と、アイヒマンが行ったことを、同じ土壌で論じることができるかどうかいう点。
アイヒマンの行為は戦争という特殊な状況だからこそ「凡庸な悪」と言えるのであって、あの事件のあの行為は「凡庸な悪」とは言えないのか。
それとも、あの事件のあの行為もまた、「無思想性(無思考性)」を強制することによって成り立つある組織(社会)が引き起こした「凡庸な悪」であり、それは私たちの身近な組織でも起こっているのか。
白熱した議論が繰り広げられ、「凡庸な悪」の存在を認めることの難しさ、悪が自分のなかにもあるかもしれないと認めることの難しさ、「悪は自分の外にある」という無思考性への誘惑の抗い難さについて考えさせられました。

他に、三浦さんは「今回はそこがメインではないので」とおしゃっていましたが、アーレントが『全体主義の起源』で論じた「全体主義」と『イェルサレムのアイヒマン』における「凡庸な悪」という概念との関係についても、個人的には興味深く、目から鱗が落ちる思いでみなさんの議論を楽しませていただきました。


名古屋からきてくださった三浦さん、さする庵の秋田さん、そして参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
テツドク!を発案された桑原さんから引き継いで初めてのコーディネーターということで、たどたどしく、不手際な点もあったかと思います。申し訳ありませんでした。
次回から、資料は多めに用意すること!を肝に命じたいと思います。

三浦さんが解説のなかで紹介されていた他のアーレントの著作も読んでみたくなったので、また、いつか続編を企画するかもしれません。
そのときは、ぜひまた一緒に(今度は「全体主義」についてもじっくり?)、哲学書と対話を通じた思考を展開しましょう。




2014/03/23

生きることは無条件によいことか?

こんにちは、まつかわです。
一昨日、3月21日は岡山で哲学カフェでした。

テーマは「生きることは無条件によいことか?」。
参加者の方からも言われましたが、岡山の哲学カフェでこんな重いテーマは初めてかも。
発言が出にくくなるかな?と少し心配しましたが、全くそんなことはなく、大変内容の濃い時間でした。

実は、私、1〜2ヶ月に一度、岡山で医療関係者の方とケアを考える会という勉強会をしております。
今回のテーマは、そこでの終末期医療についての話題から思いつきました。
そんなわけで、はじまるまえに私が想定していたのは延命治療や尊厳死、QOLなどの問題でした。
が、いざ哲学カフェがはじまってみると、自殺や死刑の問題とからめた意見がたくさんでてきました。
大学や病院で学んだ生命倫理の勉強とは異なる視点からも、生や死がどういうものかを考えることができたのが新鮮でした。

日常的な生、生物学的(物理的?)な生、社会的な生、宗教的な生・・・と、本当に様々なレベルの「生」について考えました。
なかでも一番ショックだったのは、「来世がある」と考えると私がこれまで想定していた死に対するネガティブな印象が全く覆されてしまうということです。
自分のなかに「来世がある」という宗教観が僅かでも残っていることにも驚きました。
こんなふうに、これまで自覚していなかった自分の一面に気づかされる哲学カフェが大好きです。

次回、岡山の哲学カフェは、久しぶりの平日夜開催。
4月24日18:30〜20:00。
(メルマガでご案内した時間から変更になりました!ご注意ください。)
「ひとりでいること」「一緒にいる」ってどういうことかを考えましょう。
大阪では「中之島哲学コレージュ/私たちと公共性」シリーズでおなじみの森本誠一さん。
私もいち参加者として楽しみにしています。

また、ケアを考える会岡山のほうも、参加者を募集しております。
ご関心のある方は気軽にお問い合わせください。
(お問い合わせは、こちらのフォームよりどうぞ)

2014/03/21

書評カフェ『就活のコノヤロー』

こんにちは、まつかわです。
報告遅くなりましたが、3月12日は三浦隆宏さんが久しぶりに中之島哲学コレージュに来てくださいました。
『就職のバカヤロー』の続編、『就活のコノヤロー』の書評カフェです。


いくつか論点がでましたが、個人的には「見た目も大事では?」という指摘と、「コネ入社についてどう思う?」という話が印象に残りました。

見た目の話は、今回取りあげられた本にはない論点として挙げられました。
私自身が体が小さくてリクルートスーツはともかくリクルートシューズが見つからないのをいいことに、早々に就活戦線にのることを諦めたという経緯もあって、。
実際、いまでも、(コンプレックスではありませんが)仕事をしていて不便だなぁと感じることがあります。

またコネ入社については、いわゆる「縁故採用」に限らず、バイトから正社員雇用など広い意味での「コネ」について話し合われました。
以前からバイトから正社員雇用が一番いい就職方法ではないかと思っていた私ですが、三浦さんが紹介してくれた学生さんの「いまのバイトはてっとり早くお金を稼ぐためにやっているから、そこに就職するのはありえない」という言葉に考えさせられました。
改めて、「てっとり早く稼ぐため」にしているわけではない自分の働き方について、「じゃあ、私はどうしてこの仕事をしているのだろう?」と問うきっかけをもらったような気がします。

次回の中之島哲学コレージュは、4月30日。
その場で参加者からテーマを募って話し合う「みんなの哲学3」を開催の予定です。
進行は、いつも会場スタッフをしてくださっている鈴木径一郎さん。
どうぞお楽しみに。

また、三浦さんには、来週3月24日(火)のテツドク!でもお会いできます。
ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』を紹介してくださいます。
ひとりで読むのはなかなか難しい本だと思うので、ぜひ、この機会をお見逃しなく。

2014/03/19

4/6 京都で朗読+哲学カフェ「百科事典少女」

こんにちは、まつかわです。
武庫之荘哲学カフェの赤井さんが、京都で朗読+哲学カフェをするそうです。


日 時:4月6日16:00-18:00
場 所:WEスペース下鴨
作 品:小川洋子「百科事典少女」
参加費:1000円(ドリンク付)


小川洋子さん、『博士の愛した数式』で有名な方ですよね。
「百科事典少女」は『最果てのアーケード』所収だそうです。



2014/03/17

3/29 小金井哲学カフェ「ぶどう酒が水になった話」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより次回開催のお知らせが届きました。


日時:3/29(土)18:00-20:00

テーマ:「ぶどう酒が水になった話」

ある寓話です。いくつかバリエーションがありますが、どれも概ね同じ内容です。
(ここでは特定のリンクを張りません。ウェブ検索すれば出てきます)。
短いお話なので、哲学カフェの冒頭でも簡単に紹介します。

今回は、「ぶどう酒が水になった話」から考えられることについて話し合いたいと思います。

場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野



シンプルな寓話を題材にした哲学カフェ、どんな意見がでてくるのでしょうか。
参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。


先週のグリグラ哲学カフェ、中之島哲学コレージュの報告がなかなか書けなくてごめんなさい。
新年度の準備でちょっとバタバタしています。
少々お待ちください。

2014/03/11

3/16 京都で〈震災〉から〈看護〉を語ろう

こんにちは、まつかわです。
今週末、てつがくカフェ@せんだいの西村さんが京都にいらっしゃいます。
テーマは「震災と看護」。
ナースの方はもちろん、ナース以外にもテーマに関心ある方がいらっしゃればぜひご参加ください。


てつがくカフェ「震災と看護」

東日本大震災を〈考える〉ナースの会との共催で、〈震災〉から〈看護〉を語ろう―てつがくカフェ「震災と看護」を開催します。
仙台、東京につづき、今度は京都で「震災」について〈考える〉会を開催します。 
〈震災〉という出来事について考えていたこと、感じていたことを、お茶を飲みながら〈てつがくカフェ〉方式で語り合いましょう。 当日の急な申し込みにも対応致しますので、ぜひ、お気軽にご参加ください。


テーマ:震災と看護
日時:2014年3月16日(日)14:00~16:00
場所:ねこのて訪問看護ステーション
   (京都市中京区御幸町通竹屋町上る毘沙門町5557-2 ACT-Kビル2F)
対象:どなたでもご参加いただけます。
ファシリテータ:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
ファシリテーション・グラフィック:近田真美子(てつがくカフェ@せんだい)
事前申込みが必要です。下記の問い合わせ先にご連絡ください。
問い合わせ先:konda★tfu-mail.tfu.ac.jp(担当:近田)
      お名前を明記の上、上記アドレス(★を@に置き換えてご送信ください)へお申込みください。
主催:東日本大震災を〈考える〉ナースの会、てつがくカフェ@せんだい

2014/03/10

誰のこども?「こども」から見る日本の家族とその課題

こんにちは、まつかわです。
先週の3月6日(木)はアートエリアB1にて中之島哲学コレージュ「誰のこども?『こども』から見る日本の家族とその課題」にカフェマスターとして参加してきました。

元衆議院委員の井戸まさえさんより、離婚や生殖医療、性同一性障害で性別変更して結婚した場合など、父親が誰かをめぐる具体的なケースを紹介いただき、親子とは何か、戸籍とは何か、法律とは何かという3つの問いについてあれこれと思いを巡らす時間でした。



お話をうかがううちにアタマにたくさんの疑問や問いが浮かんできて、とても2時間だけでは足りませんでした。
また今回浮かんできた問いについてじっくり考える機会を設けたいねと他のカフェマスター(大北さん、本間さん、菊地さん)とも話しています。

次回の中之島哲学コレージュは、3月12日(水)。
三浦さんと『就活のコノヤロー』を素材に働くことについて考えます。
まだまだ寒い日が続くので、ぜひあたたかい格好でご参加ください。

2014/03/05

哲学カフェ「夫婦とは?」

こんにちは、まつかわです。
報告の順番がめちゃくちゃですが、今日は、2月25日にグリーングラスで開催した哲学カフェの報告です。

⚫︎夫婦とは?
この日のテーマは「夫婦とは?」
グリグラで夫婦系のテーマをとりあげるのは3度目です。
最初は哲学カフェをはじめた2004年。そのときとは「夫はどうあるべきか?」(!)というテーマに続く流れで「夫婦はどうあるべきか」について話し合いました。
また何年か前に「結婚と同棲」というテーマでやりましたね。
今回は「結婚と同棲はどうちがうといった制度的なことではなく、もっと精神的なこと…子どもの手が離れて、共通の話題や趣味がない、それでも夫婦で一緒にいる意味って何なのか考えてみたい」ということで提案されました。

⚫︎夫婦をむすびつける様々なもの
偶然なのかテーマ提案者がこの機会を狙っていたからなのか、この日の参加者は全員が既婚女性。「夫婦で一緒にいる理由は?」という問いに、実感のこもった答えが次々出てきました。

「奥さん」は守られている
離れたら不利だから一緒にいるの?
共通の趣味・話題は必要?
子どもがいたら「仕事」だけど…
すっぴんでいられる安心感
病気のとき看病してほしい人
弱さを見せられる(自分の弱さを弱さとしてもっていられる)
唯一血のつながってない家族
家族でも他人でもない
愛ではなく情

…と、多種多様な夫婦を結びつけるものが出てきました。
人によって、夫婦によって、夫婦で一緒にいる理由はかなりちがうようです。
また、別居婚、家庭内別居、死別…と、夫婦のあり方も様々であるというしてきもありました。

⚫︎どんな夫婦にも共通する条件は?
はたしてこれらすべての夫婦に共通する夫婦の絶対条件はあるか?
後半はこれについて3つの仮説が検討されました。

⑴社会から夫婦として認められていること
「社会から夫婦として認められてるってどういうこと?」という問いかけに、「公的な場に連れて行ける」「『奥さん』という立場」のほか
ただ、「社会的には認められてなくても、本人たちが夫婦と思ってる場合はやはり夫婦なのでは?」という意見もありました。

⑵少なくとも本人たちはお互いに「夫婦である」と思っていること
こちらは、今回の参加者の実感にはあっているようでしたが、一つ反例があげられました。
曰く、「別居婚でも家庭内別居でも籍をいれてなくても、お互いが夫婦と思ってれば夫婦だと思う。でも、死別してる場合?亡くなってる方が『思う』ことができるかどうか疑問。でも、それでも夫婦ではある」と。

もうひとつおもしろかった候補が…

⑶別れることができる
これも死別したら無理じゃないかとか、恋人や友達にも当てはまってしまうとか、夫婦の絶対条件としては不十分ですが、「別れれられるのに一緒にいる」という点で関係の奥深さを感じさせられる視点でした。

結局、夫婦の絶対条件といえるようなものは見つかりませんでしたが、夫婦のあり方、結びつきの多様さに気づかされ、実感のこもった声が印象的な回でした。
個人的には「夫婦とはこういうもの」という認識が夫婦間で一致しないという問題をはっきり自覚できたのが収穫でした。




次回グリーングラスの哲学カフェは3月11日です。詳しくはカフェフィロHPをご覧ください。
「お母さん」の参加も「お母さん」以外の参加も大歓迎です。

なお、神戸市北区子育て支援センターでの哲学カフェは、センターの都合で次回が最後になります。
4月からは会場が変わります。詳細はまた後日お知らせします。
元幼稚園の子育て支援センターの雰囲気を味わいたい方は、ぜひ3月の哲学カフェにお越しください。



2014/03/03

報告:漫画de哲学「ミノタウロスの皿」

三浦です。先日行われた漫画de哲学の報告を安田さんが書いてくださいましたので代理で投稿いたします。


去る222日(土)、名古屋伏見のカフェ・ティグレにて、「漫画de哲学」というシリーズの第一回となる哲学カフェが開催されました。これは、哲学カフェ@名古屋が2014年から始める新企画で、テーマとなる漫画作品を皆で事前に選んでそれについて哲学的に語り合おうという趣旨のものです。

記念すべき初回のテーマは、藤子・F・不二雄作の「ミノタウロスの皿」。人数的には(進行含めて)17人という盛況ぶりでした。大学生から定年退職された方まで含む、ほどよく雑多な集団だったと思います。尚、某新聞社の記者の方が取材目的で参加して下さいました。記者氏の存在もまた、対話の場に独特の公共性の空気を生んでくれていたように思います。よき効果だったと思います。当日は、進行役が用意した配布資料をもとにまず作品の背景やあらすじなどを説明してからの対話スタートとなりました。
「ミノタウロスの皿」は、肉食、ないし、他生命を食すること一般についての、その倫理的是非についての議論をいかにも喚起するような物語です。しかし、この日の対話は、意外にもそちら方向にはあまり向かいませんでした。かわりにこの日の対話に終始流れていたのは、
「自分(達)とは異なる価値観を持つもの(達)」を「理解」することの難しさ

というような問題意識でした。いわば「他者理解」の難しさです。後半ではこのテーマからさらに発展して、公共の場面での「他者同士の対立」をどう解決すればよいか、どのように解決しうるか、何を持って「解決」とするのか、のような議論が出てきました。(注:「他者」という言葉自体は当日の対話には出てきませんでしたが、この後の報告の便宜上、この言葉を導入しておきます。)

しかし、振り返ると、「他者理解」の問題へと対話がフォーカスしてゆく際の前提の構造に非常に興味深いものがあったと思われるので、この報告はこの前提構造に集中したいと思います。(これ以降、配布資料中のあらすじが読まれている前提でこの報告を進めさせていただきます。)
次の三つが「他者理解」の問題意識の前提として対話の場に共有されていたと思います。
(1)イノックス星と地球とでは価値観が異なっている。

(2)イノックス星でのズン類とウスの関係は、地球での人類と牛の関係を反転させたものにすぎない。(ズン類たちと本質的に同じことを人類もしている。)

(3)ミノアやイノックスの有力者ばかりでなく、主人公もまた、自分(達)が慣れ親しんだそれぞれの価値観の「正しさ」について、物語最後のシーンまで、ついに全くブレていない。
これらが前提として共有されたうえで、対話は「他者理解の難しさ」という方向に向かった、と言ってよいと思います。

しかし、よく見ると、(1)と(2)は、ある意味では矛盾しています。「ズン類たちと本質的に同じことを人類もしている」のであれば、少なくともこの両者(イノックスのズン類と地球の人類)はある意味では同じ「価値観」を持っている、と言えそうだからです。ここに見られる差は、いうなれば、ただの「立ち位置」の差であり、この意味での「価値観」の差ではない、ということです。(あくまで(2)が正しければ、ですが。)

この意味の「価値観」では、同じイノックス星の住人同士であるズン類とミノアたち(ウス)の間にこそ「価値観の違い」がある、と言わざるを得なくなります。「食べられて死ぬことはただ死ぬことより尊い」という「価値観」は、ズン類にはきっとないだろうからです。少なくとも、(前提(2)によればズン類の鏡写しであるらしい)人類には、主人公の行動が示すように、この「価値観」はありません。この意味では、主人公とイノックス有力者はまったく「他者同士」ではありません。ウスたちが、彼らにとって共通の「他者」です。もちろん、別な意味では、ミノアたちウスとズン類は同じイノックス星の「価値観」を共有していて、地球人類である主人公がただ一人異なる「価値観」を持つ「他者」です。
こうして振り返ってみると、この日の対話の暗黙の中心テーマとなった「他者」概念にはこのようなあいまいさがずっとついてまわっていた感がありました。報告者自身、この報告を書くためにこの日の対話をじっくり振り返ってはじめて気づきました。
レビュワー:安田清一郎

なお、当日に進行役が用意した配布資料は、哲学カフェ@名古屋のホームページ上に置いてありますので、参照してみてください。

2014/03/02

東北記録映画「うたうひと」を観て語り合う

こんにちは、まつかわです。
はじめてのスマホからの投稿です。
うまくいくかな?

昨日は先週に引き続き、岡山のやっちさんにて、東北記録映画の上映会。
昼の14:00から三部作の三作目にあたる「うたうひと」の上映があり、哲学カフェで感想を語り合いました。

先週観た「なみのおと」「なみのこえ 気仙沼篇」がともに、3月11日についての対話とインタビューが中心だったので、今回もそうだろうと思ったら、全然ちがいました。
おばあちゃんやおじいちゃんが、民話を聞かせてくれるのです。
震災の話はゼロ。

哲学カフェでは、こんな話をしました。
絵本の読み聞かせと何が違うか、
具体的な誰かが語ってくれることの大切さ、
荒唐無稽さのなかにあるリアリティ、
民話同士のつながりがつくるもうひとつ世界、
語り継ぐということ、
相槌の大切さときくということ、
なぜ「かたるひと」ではなく「うたうひと」なのか…。

直接震災の話は出てこないけど、何かを語り継ぐとはどういうことか、結論や解決を示すのとは異なる伝え方について考えさせられる映画でした。

方言がききとれず、英語の字幕にもついていけず、一語一句理解できたわけではないけれど、昨夜はその響きの余韻を感じながら眠りにつきました。

貴重な機会をくださったやっちさん、企画者のぎさぶさん、そして参加者のみなさん、ありがとうございました。



3月4日(火)はやっちさんに、中之島でお世話になった岸井大輔さんがいらっしゃいます!