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2014/01/29

2/4 対話する哲学教室「動物には権利があるか」

こんにちは、まつかわです。
2月4日、さする庵にて対話する哲学教室「動物には権利があるか」を開催します。

テーマから予想していたことではありますが・・・いつもよりお席に余裕がございます。
そこで改めてご案内。

前回「“差別”とはなにか」で話し合ったその余韻が冷めぬうちに、動物実験や食用動物の問題を取りあげます。動物の権利の問題を通して、誰がどんな権利をもつのかという問いについて、哲学者たちがどうアプローチしたのかを学びます。
秋に開催あしたO:NIKUワークショップに参加された方はもちろん、参加しそびれた方も、ぜひ一緒に考えましょう。

お申し込み先など、詳細についてはこちらをご覧ください。


それから、この哲学教室を開催しているあんじんビル(2階がさする庵です)では、他にも様々な催しを開催しています。
庵主の秋田さんによる2月のオススメは、16日の天満静坐・聞法会
ニューヨーク在住の僧侶をお招きして、宗教・宗派問わず仏教に触れる機会。
こちらもぜひチェックしてみてください。

2014/01/28

報告:哲学カフェ「「偉人」とは誰か?」

三浦です。先日行なった哲学カフェの報告を、進行役の奥田太郎さんが書いてくださいましたので、代理で投稿いたします。ぜひ、みなさんも以下に示された論点(とりわけ問いのかたちになっている6つ)について、各自で考えてみてください。


2014125日、名古屋伏見のカフェ・ティグレにて、「偉人」とは誰かをテーマとする哲学カフェが催されました。参加者は、十数名。哲学カフェをするには良い加減の人数でした。

まずは冒頭、「「偉人」の定義とは何か」という問いから口火が切られました。そこから、“世のため人のためになることをやった人”が「偉人」と一般には呼ばれているけれど、誰を「偉人」と呼ぶかは、“誰にとって”という視点なしには語りえない、という指摘が出されました。たとえば、私にとっての「偉人」やあなたにとっての「偉人」というのは比較的特定しやすいのに、社会や国家にとっての「偉人」ということになると、とたんに特定が難しくなります。ある国の「偉人」は、別の国では大悪人かもしれません。そう考えると、同じ人物が複数の人に「偉人」と呼ばれるのはそれほど簡単なことではないと思われます。この筋の議論は、その後、「偉人」の社会的機能をめぐる一つの論争系を形成することとなりました。

「偉人」と呼ばれる人物を特定するのが困難だとすれば、「偉人」と呼ばれるための共通の条件はありうるのでしょうか。この問いに対して、「個人的な思想を貫く姿勢を見せた」、「たくさんの人を助けた」、「前人未到のことを成し遂げた」といった条件が挙げられました。ここから、「偉人」の条件についての具体的な見解が参加者相互で微妙に異なっていることが露になり、「偉人」の評価基準をめぐるもう一つの論争系が形成されることになりました。

こうして対話は、二つの論争系を行きつ戻りつしながら、人格を評価するとはいかなることかという哲学的な問いへと導かれて行きました。進行役として私が整理しえた論点のみを論争系別に分けて、以下に示しておきます。

 
(論争系1)「偉人」の評価基準:

論点A「偉人」の「偉さ」は、人に限定される属性なのか否か。
 
論点B「偉さ」の評価軸は複数ある。たとえば、マザー・テレサとベートーベンでは、異なる軸でその「偉さ」が評価されている。
 
論点C「偉さ」の評価基準には、時代的な相対性と地域的な相対性があるが、そのブレ易さには差がある。たとえば、政治に関わる「偉さ」はブレ易いが、芸術に関わる「偉さ」はブレにくい。

論点D「偉さ」の評価が向けられる対象は、一つ一つの行為なのか、あるいは、一人の人間の全人格なのか。通常誰かが「偉人」と呼ばれる場合、それはその人の全人格に向けられた評価である。・・・(仮説)個々の行為に注目すると相対的な有益性に左右されがちになるので、全人格に目を向けるのではないか。

論点Eお金をもっていること自体は、「偉さ」を形成するか。
 
論争系2)「偉人」の社会的機能:

論点F現代において「偉人」は可能か。現代の子どもたちにとっては、「偉大」ということ自体が不明確に感じられているのではないか。

論点G「偉人」という偶像を生み出すメディアの変化による影響が大きいのではないか。

  ウェブ社会では、一人の「偉人」は生み出されない。むしろ、誰もが自分こそ「偉人」と思うことができる。

  マスメディアにおいても、『プロジェクトX』のように、「偉人」よりむしろ、「偉業」を成し遂げた“普通の人”が称揚される時代。・・・(仮説)経済的格差の捉えられ方、個人のかけがえなさの捉えられ方などの変化に対応しているのかも。

→論点H「偉人」の存在と、個人のかけがえなさの積極的肯定は、両立しうるのか。・・・かけがえなき個人としての個々人の責任の重責化。

論点I「偉人」がいない社会はありうるのか。

→論点J「偉人」の実在論/反実在論。

  社会の共有価値による方向づけを受けながらも、最終的には個人による自由な選択によって誰が「偉人」かが特定される。

  どんな人にとっても共通の「偉人」というものはありえないのか。・・・そのような共通の性質があるとすれば、誰もが共通に必要とするものであり、誰もがなしうるものでしかありえないだろうから、希少性がなく、「偉人」の「偉人」たる価値がなくなってしまう。
                                               レビュワー:奥田太郎
この日の参加者は14名。
徐々に名古屋でも哲学カフェの土壌が形成されつつあります。

2014/01/27

2月のむこのそう哲学カフェ&シネマカフェ

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の赤井さんより、むこのそう哲学カフェのお知らせが届きました。
2月11日に哲学カフェ「怒りは誰に向けられているのか?」、3月1日にシネマカフェ「精神」を開催するそうです。



想田和弘監督の「精神」は、2010年に中之島哲学コレージュでもシネマ哲学カフェを開催したことがありますね。もう4年近く前のことですが、いまでもいくつかのシーンが脳裏にしっかり焼き付いていています。とてもひとりで観て消化できる映画ではなかったので、シネマ哲学カフェで観てよかったなぁと思う映画の一つです。
あのとき参加できなかった方、もう一度観ようという方はぜひ。


2/7 小金井哲学カフェ「酔うとはどういうことか」

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の佐土原さんより、次回小金井哲学カフェのお知らせが届きました。


日時:2/7(金)19:00-21:00

テーマ: 酔うとはどういうことか

場所:カフェ  broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)

料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:佐土原


参加をご希望の方は小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。

2014/01/20

結婚、どうする??

こんにちは、まつかわです。

昨年11月に、東京大学の駒場祭でカフェフィロの廣井さんと井尻さんが「結婚、どうする??」〜女性のためのてつがくカフェ〜の企画・進行をされました。
UTCPのサイトにその報告が掲載されていたので、ご紹介しておきましょう。

こちらのページの3番目です。

世代を超えて様々な年代の女性が集まって、しかも「結婚」について本音で話し合う機会、そうないと思います。わたしも参加してみたかったな。

これまでの女性のためのてつがくカフェの内容については、廣井さんがこちらのブログで報告してくださっています。関心ある方はどうぞこちらよりご覧ください。