哲学カフェ@千里コラボ
2017(H29)年9月30日(土)14時~16時 千里コラボ第1会議室
テーマ「美を見出すとはどういうことか」
豊中市の千里中央駅直ぐ近くにある豊中市文化センター「千里コラボ」で行われた哲学カフェの開催報告です。毎回、定員いっぱいの皆様にご参加いただいています。
美とは「あるものであるか」「ないところに創り出すものであるか」と言う対立する問いと、その合間にあってどちらでもあるような、あるいはひょっとするとどちらでもないような問いが現れてきたようでした。
◆美とはあるものである
美を気付く、はっと気が付くことがある。それは既にある美が私に届いた感覚である。
美を他人と共有、共感できる。このことから美とは一人の中にあるものではない。
他人の発言によって美しさに気づくので、他人の発言を気にせざるを得ない。
感性によって心に触れる瞬間がある。
美は動くもの、普通ではないものに感じる。
◆ないところに創り出すものである
美もねつ造されたものだと思う。あばたもえくぼ、と言うように見ようによって変わる。
見出すということは、創り出すということである。
見出すのは人の美点であり、そのことが心地よさにつながっている。
権威が言ったことは、権威が言わなければ見出せない。
5感を使い、心を開いて精一杯生きる。
ゴッホは共感を得られるのに時間がかかった。
美は自分で組み立てるもの、見えないものを加味されることで美になる。
誰かの美ではなく自分の美を見つける。人が作ったものではない場合は? AIや自然によって作られるものに感じるのは美だろうか。
情報の有無が優越感に影響している。
要求の満足とは違う。必要な時に見出すことの前提?
◆いづれであっても言えること
美とは心地よさを感じさせる。その美の心地良さは、快感か? 心地良さ+αで美しさを感じる。
美とはその人の持っている理想との重なり合い 「美しい!」と言う言葉が出る。
贋作や造花は美しいか。
美を感じるためには、感じられる状態=余裕が必要。
その人の生活歴、風土が影響する。
美によって新しい流れを作る。
人の作った美には作者の意図が感じられます。意図と美とはまた別のものでしょうか。AIが作った美に違和感を覚えるのはAIの意図が分からないからかもしれません。贋作の鑑賞に影響するのもこの意図なのかもしれません。