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2011/11/02

中之島哲学コレージュ/上映会「日本在住フィリピン人の声を聴く」



こすがです。10月21日に開催された中之島哲学コレージュ/上映会「日本在住フィリピン人の声を聴く」の参加者の方々のご感想をいくつか紹介させていただきます。


「外国で生きる事、言葉や文化の違いを超えて生きる事のむずかしさを考えました。働らく事は 学ぶ事は いろいろ考えさせられました。私の孫も外国で、日本人一人の学校でフランス語で学校生活を送っています。困難は予想されますが、乗り越えられるか心配でもあります。今回いい勉強ができました。」




「日本にいるマイノリティーの方が発信することそのものが、大切なことです。私は今まで「日本が嫌い」という外国人の方にお会いしたことが何人かいます。これは、日本人自身につきつけられた問題ではないでしょうか。今日は大切なメッセージをありがとうマリアさん」



「"いつから日本はこうなったんだろう?"ということをまた思い出しました。日本は変ってしまったのか?それともずーっとこうだったのか?生きにくさを感じているのは外国人だけではないということも改めて感じました」



「困難の原因は、日本の政府、フィリピンの政府、各国の悪い人々、など様々に原因があると思います。一方で、彼らにも言い分があります。住みにくい国かもしれませんが、住みやすいように変えるように努力してもらえばよいと思います。協力してくれる日本人もいれば敵もいると思いますが。」



「今現在、フィリピンの子供たちに日本語を教えたり、サポートをしています。私は、フィリピンが大好きです。1年程住んでいたこともあります。(留学で)その時に、心良く、受け入れ、支えてもらったこと、フィリピンの方の優しさや明るさに助けられた経験があります。だから、今、日本に住むフィリピンの子どもたちを支え、彼らが、日本という国で胸をはって生きていけるようにサポートしたいと思っています。映像についての感想ですが、Episode‐1は、少しタイムラグを感じました。最新の話では、ない??分、もう少しいつごろの話か、という注釈を入れないと、今回来られていた方々の意見が出てしまうと感じました。というのも、平松マリアさんが日本に出稼ぎに来ていた時代。おそらく、バブル期…?日本が経済的に、成長していたころで、エンターテイナーという枠で、すごい数のフィリピン人を受け入れていた頃。もちろん、その多数は、不当な扱いであったり、風俗産業の人員として、働かされていました。もちろん、その時に辛い思いをしたフィリピンの方がたくさんいて、しかしそれでも、日本は、大量のフィリピン人女性の来日を受け入れていました。そうやって来日したフィリピン人は、辛い思いをしたことをふせて、フィリピンに帰るときには、たくさんのお金を持ち帰り、きらびやかな格好をしていた。と本で読みました。そういう姿を見て、日本はフィリピンに比べて、「天国だ」と表現したのでは、と私は思っています。今現在のフィリピンは、マニラは都会、梅田のような場所もたくさんありますよね。日本人(特に年配の方)が思うフィリピン、も、フィリピン人が思う日本、も、何か大きなズレがあり、理解し合えていない部分があるなぁと感じました。Episode‐2、の映像。これは、今まさに、教育現場で大きく注目されていることだと思います。こちらの方が、見ている人に、見ている人の心に響いたのでは、と感じました。どんどん増えている、フィリピン2世の子どもたち。彼らが、日本で、生きていけるように、そして、3世、4世が、住みやすい、日本にするために。今回の映像を、もっとたくさんの人に見てもらえたらいいですね。個人的には、フィリピンの良さを広めていきたいです。Maraming salamat po.」

当日は46名の方々にご参加いただきました。
ご参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。