昨日、7月9日は、グリーングラスの哲学カフェ。
9名(女性8名、男性2名)の方が参加してくださいました。
グリーングラスの哲学カフェでは、毎回参加者からテーマを募り、多数決でテーマを選んでいます。
今回選ばれたテーマは、「後悔するぐらいなら、行動したほうがよいのか?」。
テーマを提案してくださった方は、「今まで後悔なんてしたことがなかったんだけど、最近、初めて後悔することがあって、その後悔したことが何かについてはまだ気持ちの整理ができていないから話したくないんだけど、「後悔」について考えてみたいと思いました」とのこと。
他の方は「最近後悔したことが一度もなかったって、すごい!」と驚きます。
気になって「今まで後悔なんて一度もしたことがないって人はいますか?」と尋ねてみると、手を挙げる人は誰もいません。
みんな、何かしら後悔をした経験があるようです。もちろん、私も・・・。
たとえば、こんな例がでてきました。
気になる意見も、どんどんでてきます。
みんな、何かしら後悔をした経験があるようです。もちろん、私も・・・。
たとえば、こんな例がでてきました。
「後悔するぐらいなら、結婚したほうがいいのか?」
「夏休みの宿題! 後悔するってわかってるけど、やらずに遊んでしまう」
「迷っているうちに気になる服が売れてしまって後悔することがある」
「でも、買って後悔することもあるよね?」
気になる意見も、どんどんでてきます。
「子どもには『後悔するぐらいなら行動しなさい』っていうけれど、自分はしない。迷って行動しないことが多い」
「『後悔するぐらいなら行動したほうがいい』って、自分に言いきかせる言葉じゃない?」
「ある時点では後悔したことでも、後から『あのときああしてよかった』と思うこともある」
「自分は後悔しても、家族が『ええやん』って言ってくれたら、『そうか、よかったんか』と思える」
「家族が『ええやん』って言っても、私が後悔したらそれは私の後悔やから、家族は関係ない」
こんなふうに、今回の対話では「後悔するとはどういうことか」ではなく、どちらかというと「人はどんなときに後悔するのか」をめぐって議論が展開しました。
特に盛り上がった論点をご紹介したいのですが、長くなりそうなので、いったん区切ります。
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