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2014/07/16

自分をもつとは?

こんにちは、まつかわです。
7月3日(木)の午前中は、グリーングラスの哲学カフェでした。



雨のせいか、最初のうちは5名と参加者少なめでしたが、途中から参加された方が3名。最終的に8名の方にご参加いただきました。
なかには、息子さんと一緒に来てくださった方もいました。

テーマは、「自分をもつとは?」。

●自分をもっているかどうかは、誰が判断する?
まず最初に、テーマを提案してくれた方の「懇談会で、先生が娘のことを『自分をもっている』と褒めてくれたけれど、母親である私からみると全くそうはみえない」という例から、「自分をもっているかどうかは、みる人によってちがう?」「自分をもっているかどうかは、本人が判断するのか?他の人が判断するのか?」という問いが浮かび上がりました。

●自分をもつってどういうこと?
では、人は何を持って「あの人は自分をもっている」と感じるのでしょう?
「人に言われたから・・・ではない」「芯が強い人」など様々な表現がでましたが、最終的に「どこでも変わらないこと」が重要なのか、それとも、「柔軟性がないと社会のなかで『自分をもつ』ことはできない」のかが争点となりました。
前者については、服装などの例をあげながら「自分をもっているから変わらないのか、そういう文化で育ったから変わらないのか判別がつきにくい」という指摘がありました。また、後者の意見の人によると、「自分の考えをもっているけれど、相手に合わせることもある。相手に合わすことを自分で選んでいるかどうかが重要」ということでした。「こだわりは、行き過ぎるとガンコになってしまう」という意見も。
さらに、対話が進むにつれ「自分とは無意識に出るものではないか」や「自分をもつということは人とちがうこと」という意見も出ましたが、これらについては「自分をもつ」ということは、「自分らしさとは何か」や「自分とは何か」という問いと混同しているのではと思われる部分もありました。「自分をもつとは?」という問いの特殊性が浮かび上がった瞬間でした。

●行動しなくても「自分をもつ」ことは可能か?
もう一つ争点となったのは、思ってるだけで行動しなくても「自分をもつ」ことは可能かどうかという点です。「周囲に合わせて行動しても、「自分はこうなんだ」と自分なりの考えをもっていれば、自分をもっているといえる」という意見と、「思っているだけで行動が伴わなければ、意味がない。勇気をもって周囲と異なる行動をするからこそ『あの人は自分をもっているなぁ』と尊敬されるのでは」という意見に分かれました。


いやはや、難しかったです。
「自分とは何か?」や「自分らしいってどういうこと?」といった問いについては、これまで何度かとりあげたことがありますが、「自分をもつとは?」を考えるには、どうもそれらと異なる切り口からアプローチする必要があるらしい。
そして、そのことを自覚的に行う必要があるらしい。
と終わった後ならわかるのですが、これらを独自の仕方で結びつけて考えている人と、これらを区別したうえで当然他の人も「自分をもつとは」について語っているはずだと思い込んで耳を傾ける人とがいることに途中まで気づかず、「自分とは何か」についての語りと、「自分らしさ」について語りと、「自分をもつ」についての語りとが無自覚に混在していたので、複数の論点がごちゃっと絡まったネックレスのようにこんがらがってしまったように思います。
しかし、そうした混同や行き違いがあるということも、面白い発見でした。