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2014/10/12

無敵の人にはかなわないのか?

こんにちは、まつかわです。
今日は、10月2日に開催されたグリーングラスの哲学カフェの報告を。

いつも使わせていただている神戸市北区民センターが耐震工事中ということで、この日の会場は別館のすずらんホール、音楽室。
机のない部屋だったので、輪になって話すことにしました。



いつもどおり、最初に参加者からテーマを募ります。
この日提案されたテーマは3つ。


多数決の結果、今回は「無敵の人にかなわないの?」について考えることになりました。

テーマを提案してくださった方は、この「無敵の人」について、「相手となる人がいないくらい強い」人のことではなく、「黒子のバスケ」脅迫事件で話題になった「お金も人間関係も社会的な地位もなく、失うものがなにもない」ために「罪を犯すことに心理的に抵抗ない人」のことを想定して、このテーマを提案されたそうです。
参加者のみなさんもその関心を共有しつつ、かつその定義に限定せず「無敵の人」という言葉から各々が思い浮かべるイメージについても自由に述べることにしました。

前半はこんな論点がでました。

●守るべきものをもってない人
まずは「黒子のバスケ」事件で話題になったほうの「無敵の人」です。

論点は2つありました。
ひとつめは、彼らに私たちが感じる「恐怖」について。
マスコミでの扱われ方などにも触れながら「恐怖につられる(左右される)のはよくない」という意見がある一方で、「自分や大切な人をを守るために『恐い』という気持ちに従うことも必要では?」という意見がでました。
今回は議論されませんでしたが、このやりとりから、「『恐い』と思う気持ちをコントロールできるか?」という問いが新たに浮かびあがりました。

もうひとつは、なぜ「無敵の人」という存在が生まれうるのかという点について。
周囲の人が誰も彼らを的と思ってくれない、その一方で、本人が「自分を人の敵にならない」ようにしている側面もあるのでは?」という声もありました。投げやりなようにみえても、人には他者からどのように見られるかを自分でコントロールしている側面があることを指摘する、おもしろい視点だと思います。

●守るべきものがあるから強くなれる
次に、通常の「無敵」という言葉からイメージされる、強くてなんでももっていそうな「無敵の人」について。「無敵」といっても本当に敵がいないわけではなく、「人は守るべきものがあるから強くなれるのでは」という意見がでました。

●おばさんは無敵
さらに、「無敵といえば、おばさん!」いう声から、「おばさん」はどういう意味で「無敵」なのか考えます。「年月を重ねて厚顔無恥になっている」という声に対して、「様々な経験を通して培われた知恵と言って!」という声も(笑)。
「おばさんは厚かましいのは生きる知恵である」という意見に対して、「思い通りにいかないと怒る老人(暴走老人)とどうちがうの?」という疑問も投げかけられました。
しかしどちらも、「おばさん」であるかどうかは、年齢や性別とは関係なく、その振る舞いによって決まるという点では、意見が一致しました。

後半は、前半の議論を振り返りながら、「無敵な人」について、「そのような状態は本当に望ましくないのか」や「無敵な人は社会が生み出しているのではないか」などについて議論しました。
テーマの提案者も驚くぐらい味わい深く話が展開し、私もあえて板書はせずにみなさんのお話をきくことに徹しました。

「厚顔無恥」に誤字あり(汗)


さて、次回、グリグラの哲学カフェですが、冒頭にも述べた会場の耐震工事により、しばらくお休みになります。
次回は、2月18日(水)10:15〜12:00。
かつらのぐちさんが進行をしてくださいます。

それまでさみしいな〜という方。
11月6日(木)10:30~12:30、中之島にいらっしゃいませんか?
いつも中之島哲学コレージュを開催しているアートエリアB1にて「“産む”を考える」というトークプログラムが開催されます。
多様な出産のスタイル、「産む(産まない)、つくる」という言葉で語られる社会のあり方、科学技術がもたらす生命観の変容...お産をめぐるテーマについて対話を通して考えます。
小さいお子さん連れでも参加OK。
グリグラやカフェフィロのイベントではありませんが、平日午前中で松川が進行するイベントということで・・・関心のある方は気軽にご参加ください。