ページ

2015/07/14

劇作家・岸井大輔と「まちと公共性」を語り合う

こんにちは、まつかわです。
しばらく梅雨でジメジメしていた岡山ですが、今日は焼けるような日差しです。
みなさまの地域はいかがでしょう?

そんな「晴れの国」岡山。
一昨日7/12(日)の昼は劇作家 ・岸井大輔さんと「まちと公共性」について語り合い、同日夜は『無知な教師』を読み、今日7/14は高島公民館で哲学カフェと、大変充実した日々です。

まずは7/12昼の哲学カフェplus「まちと公共性」から振り返りましょう。

場所はおなじみ、岡山大学まちなかキャンパス、城下ステーション。
テーマの敷居が高かったのか、参加者は、ほぼお馴染みさんばかりの8〜9名。

最初に岸井さんより自己紹介(あらゆるものを「演劇」としてみるとはどういうことか)と、テーマに関連して「むら、いち、まち」のちがいと「公共性」の「公」と「 共」についてお話しいただきました。
「公共性」という言葉(概念)が歴史的に「舶来のもの」であることや、「公共=お上から与えられたもの」という印象があることから、自分の経験として語りにくいという声がでました。
しかし、「一部の専門家やお上にしか語れない『公共性』なんて、『公共性』としてダメでしょう」と力強く主張する岸井さん。たしかに。
そこで、「外から与えられた公共性」の問題について語り合うと同時に、私たちの内側から生まれた公共性を探すことに。
岸井さんが各地を旅するなかでみたやシェアハウスなど話をヒントに、みんなの道や、みんなの公園や広場、川、子どもにかける「それはみんなのだから、そんなことしちゃダメ」という言葉などがでてきます。
近所の木にできた果実というのも面白い答えでした。正確にいうとそのお家の人の所有物なんだけど、小さいころは「いいよね」と思っていただいていた、と。
そこから、その「本当は誰かのだけどみんなの」という感覚が以前より狭くなっているのではという指摘もありました。それは、時代の流れなのか、私たちが大人になってしまったからなのか‥ ‥

休憩を挟んでも、みんなの話はとまらず、休憩中の雑談からそのまま後半へ突入。

岡山市民会館の移転の 話題から、公共物のソフトとハードの問題へ。
「お金をかけて建物をつくったものの、建物の構造のせいで、そこでやりたかったことができない」という悲しい展開は、どうしたら避けられるのか?
ここで、「ソフトに合うハードをつくるのがまちづくり」という言葉とともに、前半の議論でもでていた「歴史」というキーワードが再浮上します。
「歴史というのは、その地域で暮らす多様な人々の共通の足場になりうるもの。その土地、その環境、そこの人々に合った公共性を紡ごうとしたら、歴史が大事」と岸井さん。
参加者がいままで住んだことのある具体的な地域名をあげながら、それぞれの土地の歴史とそこで紡ぎうる公共性とは何か、あまり歴史のない土地で紡ぎうる公共性があるとしたらどんなものか、考えます。

さらに、岸井さんの「公共サービスと公共財のちがい」に関する話から、私たちの暮らしを豊かにする公共財とは何か、どうすればそれを生み出し維持することができるか話し合ったと、終盤は「岡山について知りたい」という岸井さんのリクエストにお答えし、「岡山の『それぞれ』感はどこから?」という問題に迫りました。

岸井さんの「演劇としてみてみる」という独特の視点と、「ここからはフィクションですけど」という前置きとともに提示されるアイデアに刺激を受けながら、「与えられた公共性」だけでなく、私たちの内側から生まれる公共性についても考えられて、非常に充実した時間でした。
最後の最後に、岸井さんの底なしの好奇心を刺激するお土産もできて、ほっとしました。

まちづくりや地域政治がご専門のカフェマスター、岩渕泰さんも、劇作家である岸井さんの視点に刺激を受けたようで、終了後、さっそく次のテーマについて相談メールをくださいました。
今回残った問題、「アートと公共性」か「政治」について、また岸井さんが岡山に立ち寄れるときに話し合えればと思います。
乞うご期待。

次回の城下ステーションの哲学カフェは、8月9日(日)13:00-15:00。
テーマは「みんなちがって、みんないい?」です。
途中入退場も自由ですので、お近くの方は気軽にご参加ください。