昨日は、とある団体さんのスタッフ研修にお招きいただき、神戸で1日進行のお仕事でした。
帰ってきたら、11月3日の中之島哲学コレージュ「ウラオモテヤマネコ」の企画進行をしてくださった青木健太さんより、振り返りの文章が届いていました。
企画・進行してくださった青木健太さん |
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ゲストに作者の井上奈奈さんをお招きした今回。 井上さんは前回の『さいごのぞう』の作者でもあり、 動画の提供をしてくださっていました。作者が居合わせると「 作者への質問コーナー」というかたちをとるのが順当ですが、 コレージュはあくまで「そこにいる人たちで考える場所」。また、 井上さんのご要望もありそういうかたちにはせず。井上さんも、 参加者に問いかけ、 また一緒に考えるというスタンスでその場にいてくださいました。 作品と作者と鑑賞者とが、 こういったかたちで居合わせるというところはコレージュ流かもし れません。
絵本に登場するウラオモテヤマネは、 ウラの世界とオモテの世界を行き来します。この「ウラ」と「 オモテ」が何で、どんな関係かということを考えました。
まずオモテが日常でウラが目新しいものの世界という考え方。 ウラの世界は美しい世界として描かれています。 裏の世界は新奇なものがたくさんある世界として、 見慣れたものばかりの日常の裏返しと考えられるわけです。
ウラオモテヤマネコはオモテの世界で出会った少女をウラの世界に つれていきます。最初は二人きりだったウラの世界。 そこに少女の望みで他のオモテの世界の人々がやってきます。 そうしてウラの世界はいつの間にかオモテの世界と同じになってし まいます。ここから、ウラとはごくわずかな人だけが知るもので、 オモテは多くの人々によって共有されているものだと考えた方がい ました。
また、 ウラの世界にオモテの世界の人々をつれてきたいと少女が望んだ、 というところに注目した方がいました。 ウラの世界はただ希望だけがある世界で、 オモテの世界は色々な欲望のある世界。 希望だけの世界で何かを望みだすと、 そこはやがていろいろなものであふれ、 何かを欲しがる欲望の世界になる。そして、 元の欲望の世界は空になって希望だけの世界になる。 こうしてウラとオモテが入れかわったという考えです。
他にも、地球のようなとても大きなもののウラ側を求め続けると、 いつの間にかオモテに戻ってくるということを話された方がいまし た。みなさん、 ウラとオモテの世界は全く別々に成り立つ二つの世界ではなく、 溶け合ったものとして考えられたようです。ちなみに、 ウラの世界とオモテの世界の間には鍵のかかった扉があり、 ウラオモテヤマネコがその鍵を開けます。 この扉はオモテからウラへの一方通行になっています。 そこに注目して、 オモテからウラへの移動を時間の流れと考えた方がいました。
今回、後半の入り口にしたのは「猫」ってどんな印象か、 ということでした。犬との対比で、 犬は序列を重んじるところが人間っぽくて面白みがない、 でも猫は自由気ままで人間とは違った面白みがある、 と話された方がいました。
私は前半の終わりがけに話された方の話がそのあともずっと頭の中 に残りました。猫は人間の知らない世界を知っている。 路地裏や細い隙間の風景。 人間が作ったはずなのに人間は気がついていない世界を猫は見てい る。人間の知らない世界のことを知っているから、 ウラオモテヤマネコは猫なんだろうということです。 どうして人間は猫の見ているような世界に気がつかないのか。 それは人間がたくさんいるから、とその方は考えられていました。 人間がたくさんいるところでは、 人間同士の関係が他のものよりも気になる。そのために、 見えているかもしれない世界が見えなくなるということです。 人間が少ないところでは、 星が見えることや小さな生き物の存在に気がつくものだし、 普段でもふとした瞬間にそういうことはあると話されていました。
猫がウラの世界を知っているということについては、 井上さんのお話をきっかけに考えられた方もいました。 井上さんが、「猫」は「寝(る)子」 が由来といわれているくらいよく寝るということを話されました。 そこから、 寝ている時間は起きているときとは別の世界にいると考えると、 猫は寝ている時間が短い人間よりその別の世界、 夢の世界に詳しいのでは、と考えられた方がいました。
猫は人間とは違う世界を見ている、 というイメージがありそうですね。 私も猫との付き合いは長いですが、 彼らは虚空を見つめていることがよくあります。 耳がとてもいいので人間にはキャッチできない音を拾っているらし いのですが、あんまりじっと見つめているので、 ちゃんと何か見えているのではと思うことがあります。
猫であるウラオモテヤマネコと、 もう一人少女が物語の中心にいます。 彼女が望んだのでウラオモテヤマネコは彼女をウラの世界につれて 行きました。 彼女はウラの世界にオモテの世界の人をつれてきたいと言い、 結果ウラの世界はオモテの世界になったのですが、 彼女はそれを悲しみました。私もちょっと思ったのですが、 やはり参加者の方からも「わがままでは?」 と考えられた方がいました。ともあれ、 この少女とウラオモテヤマネコの関係もいろいろ話されました。
ウラオモテヤマネコが少女をウラの世界につれて行ったことについ て、 ウラオモテヤマネコがそういうことをしたのは初めてだったと考え る方がいました。少女は瞳が美しいと描かれていて、 ウラオモテヤマネコはそこに惹かれたから少女を特別扱いしたと考 える方もいました。
一方で、 実はウラオモテヤマネコはこれまでに何度も誰かをウラの世界につ れていき、そしてそれがきっかけでウラの世界がオモテの世界に、 ということを繰り返していると考えられた方もいました。 その方に、「何のためにだと思いますか?」と尋ねてみたところ、 苦しみながら「気まぐれ」と答えてくださいました。 私はけっこう好きな答えでした。 すべての行動に理由があると思うな、 というところが猫らしいと思ったので。
少女とウラオモテヤマネコの関係で私が気になったのは、 ウラオモテヤマネコの大きさが変わることでした。 ある時はふつうの猫ぐらいですが、 あるときは少女をくわえて運ぶことができるくらいの大きさになり ます。これはどういうことなんでしょう、 と皆さんに問いかけました。
ウラオモテヤマネコの大きさは、 少女からみたときの印象を表していると話してくれた方がいました 。存在感の大きさということですね。また、 話のスケールに合わせて変わっていると考えた方もいました。 宇宙を旅しているときは大きく、家の中にいるときは小さく、「 器」の大きさに合わせているということです。
むしろ少女が小さくなっていると思った、 と話してくれたのはカフェマスターの松川さんでした。 猫用の出入り口がついているドアがあったりしますが、 あの出入り口を人間が通り抜けようと思うと、 猫のサイズにまで小さくなる必要がある。私はここで、 猫が人間の知らない世界を見ているという話を思い出していました 。少女はウラの世界、 猫の世界に入るために小さくなったのかもしれません。
私はウラオモテヤマネコの大きさが変わっていることが気になった のですが、まったく気がつかなかったという方もいました。 同じ絵を見ていてもこういった違いがある、 それが考えるときのいい目印になります。
大きさの変化に気がつかなかった方を起点に考えてみると、 少女の気持ちと読者の気持ちがシンクロするかどうかがポイントに なっているようでした。 少女の気持ちと読者の気持ちが完全に重なり合うと、 ウラオモテヤマネコの大きさの変化はまったく気にならなくなると いうことです。何かの大きさは、見る人によって、 あるいはいつどこで見るかによって変わるものです。 少女になりきっていれば、 少女が見たような大きさでウラオモテヤマネコを見ることができる ということになりますね。こんなところに、 読者と登場人物の距離が現れるようです。
会場の後ろの方で小さなお子さんが駆け回っていたのですが、 その声につられて話された方がいました。 子供のときにはシンプルに世界を見て、 見たとおりのものだと思っていた。 地下鉄の窓の外側の真っ暗な景色、 そこには何か別の世界があると思っていたように。 ウラオモテヤマネコと少女が行ったウラの世界には、風の宇宙、 空の宇宙、光の宇宙があります。 子供の時に見ていたシンプルな世界は、 大人になった今は記憶の中のウラの世界としてある。 あの子がいて元気に走り回っていてくれなかったら、 この方はこの話をしなかったでしょう。話すことと、聞くこと。 言葉のやり取り以上のものを巻き込んで成り立っているのでしょう ね。
作者の井上奈奈さん |
作者の方をお招きするという新しい試みをした今回でしたが、 井上さんのご協力もあっていいかたちになったと思います。 井上さんありがとうございました。『ウラオモテヤマネコ』 はとてもこだわってつくられた絵本で、 持っていることによる満足感があります。 ページをめくりながら考えると、 また違った世界に行けると思います。 ぜひみなさんも手にとってみてください。
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青木さん、丁寧な振り返り、ありがとうございます。
ゲストの井上奈奈さん、参加者のみなさんも、あらためて素敵な時間をありがとうございました。
会場で私も『ウラオモテヤマネコ』を購入させていただき、さらにその後、amazonで前に読んだ『さいごのぞう』もポチっとしてしまいました。
中之島哲学コレージュでいろんな感想や意見をきけて楽しかったので、いつか岡山で子どもたちと読む企画を実現できればと目論んでいます♪
この表紙について言及された方もいましたね。 あのツッコミ、おもしろかった! |