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2016/02/22

尾道初の哲学カフェ「嘘をついていいのは、どんな時?」(1)

おはようございます、まつかわです。
昨日は尾道のAntenna Coffee Houseのご依頼で、哲学カフェをしてきました。
おそらく、尾道初の哲学カフェではないでしょうか?
そして私は、初尾道。

哲学カフェの開始前に、尾道散策。
午前中はカフェフィロの事務作業を片付けねばならなかったので、哲学カフェの前にほんの1時間弱歩いただけですが、すっごく楽しい!
みなさんが尾道散策を楽しめるようにと、哲学カフェ開始を15時にしてくれたマスターに感謝!

最初は初心者らしく、線路より北側の「古寺めぐり」のルートを表示どおりに歩いていたのですが、志賀直哉旧邸あたりから我慢できずにルートをはずれ、スマホ片手に一人でうろうろ。
迷子になりかけながらも、「いつか、ここで哲学ウォークをするぞ!」と決意したのでした。
「古寺めぐり」ルートもいいけれど、哲学ウォークをするなら「まつかわ迷子道」(いま命名しました)もなかなか面白そう。






開始30分前の14:30ごろ、Antenna Coffee Houseに到着。


最終的に16名の参加者が集まってくださいました。
テーマは、マスターと相談して考えた「嘘をついてもいいのは、どんな時?」です。

私は何度か似たようなテーマで何度か哲学対話をしたことがあるのですが、今回はまた、これまでとは全くちがう展開となりました。
ガンの告知や、認知症の方や病を抱える方に話を合わせるといった医療やケアに関するやや重めの経験からはじまって、上司へのごますり、写実的な絵画にみられる技法、つけまつげ、果ては「本当は視力が悪くてぼんやりとしか見えないのにメガネをかけてくっきり見えるようにしているのも嘘じゃないか」「いやいや、メガネをかけてみえるほうが本当じゃないか」といった話まで、なんというか、とにかく出てくる例の幅が広い!
そして、例の次元が変わるたびに、新たな問いや、テーマそのものの成立を揺るがす説が現れる。
まるで、万華鏡のような哲学カフェでした。
ひとつのテーマをみんなでクルクル回していたら、全然ちがう模様がどんどん出てくる!
そんな感じ。

最初、ガンの告知をしない例、認知症の方に話を合わせるといった医療やケアの例について話し合っているときは、「嘘」の定義や「よい嘘/悪い嘘」の線引きに関する意見が多くでました。

「嘘とは、事実と異なることを知っていながら、 意図して 言うこと」
「悪気があるかないかが重要なポイントじゃないか」
「自分のためにつく嘘と、相手のためにつく嘘がある」
「意図せず結果的に自分が言ったのと異なる事態が生じた場合も、『嘘』?」
「事実をあえて伝えないことや、何かを誇張して伝えることも『嘘』?」

この時点では、まだ、「嘘とは何か?」という問いも含めて、「嘘をついていいのは、どんな時?」という問いを中心に対話が展開していたように思います。
しかし、この後、「嘘をついていいのは、どんな時?」という問いが果たして成立するかどうかを問うような次元に、対話が移ったのではないか。
いま振り返ると、そう思います。

長くなりそうなので、今日はこの辺りで。
続きはまた次回。お楽しみに。