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2011/07/17

中之島哲学コレージュ/書評カフェ『がん 生と死の謎に挑む』進行役からの報告

小菅です。7月13日に開催された中之島哲学コレージュ/書評カフェ『がん 生と死の謎に挑む』にて進行役を務められた藤本さんからのご報告です。


「書評カフェ」(7月13日)報告
日本においては2人に1人が「がん」に罹り、3人に1人が「がん」でなくなっているというのが現状です。そうした中で、今回のカフェを行ないました。私は「がん」と向き合わざるを得ない環境にいつもいますので、「がん」をとりまく現状をとても深刻に受け止めています。しかし、いつも思うことは、参加される方は何を求めて来られているのかな、ということです。そのようなことを考えると、「カフェ」形式で医療のことを話し合うのは結構難しいといつも思います。でも、いつも問わざるを得ない自分も否めません。

ただ、「死」を話題にすることにまだまだ抵抗があるように思います。でも、一番の問題は、「まだ自分にふりかかっていない」ということが大きいのかもしれません。「病い」とは結局自己の身体の問題なので、頭だけで考えられるものではない、という感想がきかれました。

ですから、今回は実際にご自身が「がん」に罹り、「がん」と向き合っておられる立花さんの書籍を選びました。その書籍の中には、がんに対するエビデンスとともに、彼のリアルな体験が語られ、そこから彼自身が自らの生き方、死に方を問うているからです。

コピーミスなら避けられず、また、初期とはいえ検査でわかったときには、転移、浸潤していることもあるわけですから、どうしようもないですね。

このようなテーマでは、参加者に病気にまつわるさまざまな体験談を語っていただくのが一番よいのでしょうが、「もし、あなたががんに罹ったら」ということをみなさんに問うてみたかったので、「がん」という病気に特化しました。なぜなら、「がん」はみなさんが思っている以上に身近な問題であり、意識ははっきりしているだけに自分の死への姿勢がシビアに問われることだからです。

参加者の中には他人の話を聴くというより、ご自身の考えをまとめて、それを述べることに力点をおいて、言いたいことを述べて帰られる方もおられたようです。それはそれで、こういう機会にご自身の考えを整理していただくこともよいのではないかと思いました。

病気はなにもがんに限ったことではありませんが、予後がある程度わかるがん治療をどうするかは個人の価値観や人生観の問題と大きく関係し、会のあとで私の考えや姿勢があまり出なかったという感想をいただきましたが、進行役があまり自分の考えを述べるのは、私自身は「カフェ」の場では「よし」としていません。仮に、自分の考えを述べて、反対、賛成ということで活発に議論できればいいのですが、ある考え方に誘導してしまうこともあります。つまり、がんの治療(抗がん剤の治療)なんかやらない方がいい、がんの「標準治療」ってほんまかいな、というようなことを言っていいのかな、ということです。

また、こうした医療関連の話題には、何かしらご自身のかかええいる問題に対する解決策を求めて来られる方も多いような気がします。ですから、いつか、機会があれば、「がん」をとりまく現状についてこちらから情報を提供できればと思います。でも、そのときはまた状況が変わっているのでしょうね。コピーミスのない細胞の再生とか。

どなたかがおっしゃっていましたが、「がん」という病いが問題なのではなくて、家族や親戚(ぽっと出症候群)の問題が大きいということも事実です。

この身に起こっていない「病気」のことを考える難しさや、日本社会では家族との対話が不可欠であるなど、「リビングウィル」のかかえる問題でもあり、立花さんも書籍の中で書いておられましたが、「がんにもリビングウィルがあっていいのでは」ということです。

当日と同様、あまりまとまりのない感想でした。

以上です。

                              藤本啓子