昨日(9月11日)は、神戸市北区子育て支援センターにてグリグラ哲学カフェでした。
テーマは、「自分とちがう意見を受け入れにくいのはなぜか?」。
前回初めて哲学カフェに参加された方の、「哲学カフェでは他の人の意見も抵抗なくきけるのに、普段はなかなかそれができない。なぜだろう?」という疑問がきっかけです。
参加者は9名。
こんな意見がでてきました。
- 自分の意見を受け入れてもらおうというのはエゴでは?
- 納得すれば受け入れられる
- 自分の利益に反することは受け入れ難い
- 相手の言い方にもよる
- 人間は説得されることを嫌うもの
- 年齢を重ねるについれて体が弱り、余裕がなくなる
- 人によって大事にしているものがちがう
- 受け入れればいいってものじゃない。受け入れないほうがいいこともある
それにしても、今回のテーマは例をあげるのが難しかった。
「自分とちがう意見を受け入れにくいのはなぜか」を説明しようとして具体例をあげると、たちまちその問題について自分の意見の主張をすることに夢中になってしまうんです。ひとしきりその人の主張をきいては、進行役から「それじゃあ、それと反対の意見を受け入れるにはどんな条件が必要ですか?」と投げかける・・・を繰り返しました。
みなさんの話をききながら私がしみじみ感じたのは、自分とちがう意見を受け入れるのが難しいのは、それが自分の意見ではないからだということでした。
何を言ってるんだ、それじゃ同語反復じゃないかって?
うん、奇妙ですね。
そもそも、「相手の意見を受け入れる」とはどういうことでしょうか?
自分の考えを胸にしまいこみ、相手の言うとおりにすることでしょうか?。
今回の参加者の考えはちがいました。
いくら相手の言うとおりにしても、相手の意見に心から賛同していないかぎり、相手の意見を受け入れたことにはならない。
とすると、自分の意見と異なる意見を受け入れるということは、自分自身の意見が変わることを意味します。
問題解決のための「譲歩」も、自分の意見をガマンして押さえつけることによって可能になるのではなく、自分の意見を相手相手の意見に近づけることによって可能になるのではないでしょうか。
■次回のグリグラ哲学カフェ
- 日時:12月11日(火) 10:15〜12:00
- 場所:神戸市北区子育て支援センター
- テーマ:当日参加者のみなさんから募ります。