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2012/12/10

阪神大震災と東日本大震災

こんにちは、まつかわです。
先週は金、土と2日連続で震災関連のイベントがありました。

12月7日(金)の夜は、京阪なにわ橋駅構内のアートエリアB1で中之島哲学コレージュ。クロストーク「いま、阪神大震災を語ること」が開催されました。

「被災者」が決して一様ではないこと、家や家族を失わなかった神戸の人にとって阪神大震災がどんな経験だったか、また17年たった今どんなふうに生活に影響があるのか、など
ゲストのお話をうかがいながら、会場も交えて「震災を忘れない」といった言葉や「伝えなきゃ」という思いについて話し合われました。

個人的には野崎泰伸さんの「障害者が隠されている・忘れられているのは震災のときだけじゃない。普段から隠されている」という言葉と、当時小学校4年生だった中嶋悠紀子さんの、子どもの視点からのミクロで率直な被災の体験談が印象に残っています。
阪神大震災は決して過去のことではないけれど、17年たったいまだからこそ言葉にできることがあるのだなぁと感じました。

野崎泰伸さんが「震災における障害者の「生」」というタイトルで報告をされます。
災/生〜大震災の生存学

中嶋悠紀子さんの劇団「プラズマみかん」の講演情報
ナッチョナリズムII



12月8日(土)は、京都で「21世紀の公民館」を目指すSocial kitchenさんで、Working Group2「震災/原発」のみなさんと、これからのことば「3がつ11にちをわすれないためにセンター」映像資料の上映会+哲学カフェを開催しました。
作品は、「あいだのことば」という、被災地のおじさんやおばさんとボランティアの学生さんのやりとりを撮影したもの。そこかしこに瓦礫の山や震災に関する情報が写っているのに、ホームビデオのような懐かしさも感じる不思議な映像でした。

哲学カフェでは、映像のなかででてきた、被災地に住む方の言葉や態度の変化、被災地の風景や保全について議論のあった一本松について触れながら、物理的な復興(復旧?)と精神的な復旧とのギャップが一つの論点として浮かびあがってきました。

そして、ここでも、「震災を忘れない」といういうのはどういうことかについて、様々な見解がでました。ある日突然自分が暮らしてきた世界が失われてしまうこと、後世に教訓を活かすこと、被災地を孤立させないこと、PTSDや日常を取り戻すことへの引け目などなど、「震災を忘れない」という言葉で思い浮かべる「忘れてもいいもの」「忘れるべきではないもの」が人それぞれ異なり、どれもとても大事な視点のように感じました。

被災者は一様ではなく、ダメージの大きさは客観的な被害の程度と比例しないということ。震災のような大変なことが起こったときに、自分や他者にどう配慮しどう関わっていくのか。この2日間で、ずっと阪神大震災のときから感じていた言葉にできないモヤモヤの正体を、少しつかめた気がします。

Social Kitchenでの上映会+哲学カフェは、来年2月に別の映像で開催される予定です。
まだまだ震災について話したい、聴きたい、考えたいという方は、ぜひご参加ください。
詳細は追ってカフェフィロのHPやメールマガジンでお知らせいたします。