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2016/06/05

0160521このそう哲学カフェ「天災と生きる」開催報告



2016(H28)年5月21(土)14時~16時 会場 園田地区会館

テーマ「天災と生きる」 参加者4名 進行:赤井郁夫

熊本の震災を受け、国内のどこにいても震災に備えるということを忘れることができない私たちにとって、天災と共にということがどういうことなか、これを機会に考えてみました。

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◆天災と共に・・・

・「天災と生きる」というテーマは、「共に」生きるということでしょうか。
・天災と共に生きるということには3種類あるように思います。
  1. 地震の頻発地に住んでいる、ということ
  2. 天災を意識しているということ。
  3. 天災とうまく付き合うという意味もあると思います。
・上記の1と2の間にあるギャップは大きいと思います。1では天災の被害を忘れながら、または頭の隅に置きながらも慣れっこになっているという状態でしょう。
・人災を防ぐことと比較すると、例えば泥棒がいるということに備えて言わば「泥棒と共に生きる」のではなくて、泥棒が無くなるように対応することだと思います。台風でも地震でも天災そのものをなくすことはできません。
・天災とうまく付き合うというのは被害を少なくすることが大事なのだと思います。
・自然災害が多く活断層のないところがない、と言う国土に住んでいます。寺田虎彦は「天災は忘れたころにやってくる」と言いましたが、熊本の地震は東日本大震災の5年後で忘れる前でした。

◆なぜ出て行かないか
・大雨、台風、大雪、旱魃、冷害など不都合な天災があるにもかかわらず、そこに住む人が「出て行かない」のはなぜでしょうか。バングラディシュの水害のレポートを見たことがありますが、ひどい災害でも人々は出ていきません。なぜ、そこに住み続けるのでしょうか。
・絶対に住まなくなる条件は天災のみではなく、原発事故などが加わると出来上がるように思います。
・慣れた、生まれたところに住み続けたいと思うことと、他に住むところがない、行き場がないということもあると思います。
・住み続けるのは何か「覚悟」のような、生まれたところを離れない、という決意のようなものがあると思います。
・予測が不可能、予知できないので大震災などの大きな災害にはリアリティーがありません。南海トラフ地震が30年以内に起こると言われて30年後を考えるということはとても難しい。
・何か手立てがある、と見込んでいるのではないでしょうか。土木工事や耐震工事などの対策があるから、大丈夫と思っているように思います。
・逆に、それがただの思い込みかもしれません。あるいは漠然とした信念みたいな「まさか繰り返さないだろう」というものかもしれません。
・でも、地震や台風がまた来るかもしれないと思って考え続けることによって心構えがあると、そこに住めるようになるのかもしれません。
・住み続けるか、離れるかどちらにもメリット・デメリットは大きいでしょう。離れないというのは、愛着が強いと思います。あるいはためらいやめんどくさいこともあると思います。

◆なぜなにもしないのか
・対策はたくさんあるし、根本的な解決法もあるのですが、なぜかやらない。
・それは手が届かない、及ばないと思うからではないでしょうか。
・直接被害にあっていないと非常食を用意してもその時だけで、何とかなる…なるようにしかならない…⇒何とかなっている=大丈夫!と思うのではないでしょうか。
・台風に備える、と言うことは割とたくさんの土地で行われていると思います。
・台風は毎年何回も来るので予測ができます。それが備えることにつながっていると思います。
・「不確実さ」に向き合うことが人間は苦手なのだと思います。
・仮に予測ができれば、地震は怖くなくなるのでしょうか。
・「経験したことのないことへの対応」つまり、想定外に弱い。人間は大体3パターンで対応すると思います。①上司の指示を仰ぐか ②ネガティブリストを根拠にするか、③臨機応変に対応する。
・想定外は嫌なことを直視しない、ところから来るのではないでしょうか。
・地震は台風などと被害の質が違います。波及する範囲が広く2次災害や社会が混乱すると言った被害も生じます。ボランティアも有効に活用するためには指示命令系統などが整っている必要がありますが、それが破壊されることも被害のうちです。結果、人手があっても立ち往生などの現象が起きています。

◆蓄積
・阪神、東日本と日本の地震対応力は改善されてきていると思います。初動の大切さも認識されて気ように思います。しかし、指揮命令系統がない時の対応は必要なので花でしょうか。
・関東大震災の経験は、蓄積できているのでしょうか。地震の被害は年代場所によって異なっています。ボランティアの仕方も経験の蓄積が要ります。なかなか対応が進化したとは言えません。経験を重ねると言っても地震が起こるのを期待しているわけではないので起きたときの経験は貴重なものなのだと思います。


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カフェフィロの呼びかけで行った今回の企画で哲学カフェの手法はこのようなテーマについて考える有効な手段となることに手ごたえを感じました。2時間と言う短い時間でしたが、天災との付き合い方について考える機会は今までありませんでした。たくさんの視点から意見を出し合っていただき考えることができました。
なお、いただきました募金1,781円は全額赤十字社へ寄付いたします。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。