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2011/12/28

なぜ身体が問題なの?〜テツドク:浜田寿美男『身体から表象へ』

1ヶ月遅れですが11月24日テツドクの報告です。定員を超す17名の方にご参加頂きました。ありがとうございました。

「なぜ身体が問題なんですか?」参加者が投げかけた問いです。『身体から表象へ』では身体から出発することの意義が繰り返し述べられます。紹介者の玉地さんが作ってくれた資料から言葉を拾ってみます。

人間の心理現象をその根本から考えようとするかぎり、身体というところからはじめないわけにはいきません。現に、発達過程のなかで最初に登場するのは、この身体で直接に生きる世界です。(2頁)

身体で直接に周辺の時空世界をなぞり、また身体でもって人どうしがたがいにやりとりをかわし、この身体の世界の網の目のうえに表象の世界が立ち上がっていく。そこではじめて私たちの生活史を支える舞台がととのうのです。(14頁)

紹介者の玉地さんは今回で計3回ご登場頂いてます。その度、理学療法士として経験してきた具体例を交えつつ説明してくださるのですが、毎回「あなたはどう考える?」という宿題と課題をもらっている気がします。今回は「人をコトバで動かす(動いてもらう)というのは、簡単にみえて簡単ではない」という話の辺りが、私が受け取った宿題かもしれません。それがどういう問題かを組み立てるのが難しいという意味でも。

冒頭の「なぜ身体?」という問いなのですが、玉地さんは哲学史や心理学史を踏まえて話されていたような気がします。私だったらどう答えられるかなと思ったのですが、例えば指を曲げるとか、歩くとか、屈伸するとか、何でもいいのですが、体って、私と関係なく勝手に動く。ある程度は私の意思らしきものの指令とつながっているような気もしますけど、大半はオートマチックに、勝手に動いてくれる。というより、勝手に動いてくれないと大変に困るわけです。だから、そういう体にとっての世界とか、体同士の世界というか、そっちにはそっちのロジックが別にあって全然不思議ではないし、むしろ私の方が体のおまけみたいなもんだよな・・・とか、つまりそっち側のロジックとか哲学的意味は考えてみると面白いと思うのですが、どうでしょうか。浜田さんの動機とはまったく異なるでしょうが。

今回もはるばる東京からの参加者がいらっしゃいました。ありがたいことです。もちろん近郊からいらっしゃった方にも感謝です。浜田さんの他の著作に関するご質問がございまいた。『自白の心理学』(岩波書店、2001)が興味深く(かつ他人事ではなく)読み進められると思うのですが、今回取り上げた本の内容により近くて読みやすいものは『「私」とは何か ことばと身体の出会い』(講談社選書メチエ、1999)かなと思います。図書館で手にとってみてはいかがでしょうか?

次回、1月は松川さんによる「テツドク、続」というか「フーコーリターンズ」となる『真理とディスクール』です。昨年『性の歴史』を取り上げてくださいましたが、今回はどんな話になるのでしょうか。初めての方も、読んだことがないかたも、この機会にぜひ。