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2015/08/29

『さいごのぞう』、作者の井上奈々さん

おはようございます、まつかわです。
カフェフィロセミナーのため、東京に来ています。
こちらは涼しいですね。

先日の中之島哲学コレージュついて、『さいごのぞう』の作者の井上奈奈さんが、青木さんの報告を読んで、ご自身のブログで触れてくださいました。

井上奈々さんのブログはこちら

私たちカフェフィロは、ふだん「対話」というその場で消えていってしまうものを扱っています。
それはそれで参加者だけが味わえるよさがありますが、絵本という、手にとって確かめられるものがあるってやっぱりいいですね。
『さいごのぞう』、あの場で考えられたこともたくさんありましたが、まだ他にも考えられることがありそうです。
参加してくださった方も、参加できなかった方も、井上さんのように、報告を読んで絵本を手に取り、思い巡らせてみてはいかがでしょう?

いつかまた別の場所で、またいろんな人とあの絵本を味わい、語り合う機会を設けらえるといいな。


2015/08/28

10/31 ねりまの哲学対話“ねりテツ” 「あなたとわたしの自慢の正体」

連続で失礼します、まつかわです。
対話学舎えんたらいふの齊藤さんより、もうひとつお知らせです。
これ、意外とこれまでカフェフィロで扱ったことのないテーマかも???


◆【10/31】 ねりまの哲学対話“ねりテツ” 
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「自慢ばなしで恐縮ですが・・・」「ねぇ、それって自慢??」
自慢ばなしって、話す側が“そうする”ものなのでしょうか。
それとも、聞く側が“そう感じる”ものなのでしょうか。
そもそも自慢とは、いったいなんなのでしょう? ナドナド…
次回のねりテツは、「自慢」を囲んでアレコレはなしてみましょう。
いつものように、どなたでもご参加いただけます。
事前準備も予備知識も、一切不要です。お気軽にどうぞ。

・日 時:10月31日(土)15:00-17:00
・場 所:喫茶ポルト(西武池袋線・江古田駅から徒歩2分)
     http://coffee-bar-port.jimdo.com/information/
・テーマ:「あなたとわたしの自慢の正体」
・参加費: 300円+カフェでの飲食代   
・申込先:ms.entalife@gmail.com(齊藤)
・定 員:10名(要予約。原則ご予約3名さまから開催)
・詳 細:対話学舎えんたらいふ ねりテツページ


8/29 ほんの虫 対話の路『14歳からの哲学 -考えるための教科書-』

こんにちは、まつかわです。
カフェフィロ賛助会員でもある対話学舎えんたらいふの齊藤さんより、イベントのお知らせが届きました。
第1回の日程がカフェフィロセミナーと重なっていますが、セミナーに参加しない方はチェックしてみてください。



◆【ロングラン!随時開催】  ほんの虫 対話の路 
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2015年秋から定期的・継続的に、<読書と対話>を行います。
何冊かの本を道連れ“フェロー”にしながらの対話の時間です。
ねりテツの場だったり、有志の読書会というスタイルだったり、
あるときは、Skype対話だったり…さまざまなかたち、
さまざまな場所で行いたいと思います。
対話の路を一緒に歩いてくださる方々との沢山出会いを
心待ちにしております。

〇●〇●
<粛々と先行しています>
『14歳からの哲学 -考えるための教科書-』
(池田晶子/2003/トランスビュー)を読みます。
・日 時:第1回‥‥8月29日(土)
     ※その後、月1回のペースで開催予定
・場 所:お申込みされた方へのみ個別にご連絡
※個人の古民家をお借りしているため非公開です。
(練馬区内。西武池袋線・富士見台駅から徒歩5分)

参加費: 無料 *飲食物持ち寄り歓迎
・問い合せ先:ms.entalife@gmail.com齊藤)
・定 員:あと最大2名受付けております(応相談)
・詳 細:対話学舎えんたらいふ 
​ほんの虫ページ

<近々開場します>
『ニッポンには対話がない~学びとコミュニケーションの再生』
(北川達夫・平田オリザ共著/2008/三省堂)
やっぱり「共感」って手強いから、皆で読みたい!
一度ねりテツでもやりましたが、これからも粘り強くやります。
ご興味ありましたらばぜひ!

2015/08/22

さいごのぞう


おはようございます、まつかわです。
8/19(水)は、アートエリアB1にて中之島哲学コレージュ「さいごのぞう」を開催しました。
徳島県立池田高等学校・探究科のみなさんも参加してくださって、58名と久しぶりの大盛況。(お席の確約はできませんが、定員を超えたからといって参加をお断りすることは基本的にしていません。)

進行の青木さんより、振り返りの文章が届いたのでご紹介します。



 これまでこの「絵本で死について考えるシリーズ」は、「絵を見ない」というかたちでした。今回は『さいごのぞう』の作者の井上奈奈さんから朗読動画を紹介していただき、初めて絵本を最初から最後まで、絵と一緒に見るというかたちになりました。井上さんありがとうございました。また、高校生がたくさん来てくれたこともあり、参加者の方にもれまでとは違った風が吹いていました。

 そんな新しい流れのなかの今回。『さいごのぞう』には「絶滅の危機にある動物の保護」というバックグラウンドがあり、参加者の方にもそれについて話された方がいました。それを考えることもまた大事なことです。そのためにも、今回はまず「だれかが、何かがいなくなることを私たちはどう思うのか」を考えたかったので、私はなるべくそういったことを皆さんと考えようとしていました。

 『さいごのぞう』にはたくさんのアイテムが出てきます。皆で話し合ったごとに振り返ってみましょう。

 まずは「りんご」。ひとり寂しくしていたさいごのぞうに話しかけたのが、ぞうの頭に落ちてきたりんごでした。このりんごはぞうがイメージした幻だったという考え方と、本物のりんごだったという考え方の二手にわかれました。



 りんごは幻だと考えた場合、なぜりんごだったのかということが気になります。一つにはぞうの好きなものだったから、もう一つにはむしろありふれたものだったから、という考えがありました。また、りんごが話していることはぞうが考えていることだ、という話もありました。一方、りんごは本物だったという方ではこんな話がありました。ぞうは寂しいがゆえに話し相手をつくった、それがりんごだった。もう一つは少し違って、あまりにも寂しくてりんごと話すことができるようになった、というもの。

 寂しさ、ひとりという感覚。そういったものがあまりにも強くなると、自分をたもてなくなってしまう。自分を安定させるために話し相手が必要だ、という考えがありました。ところが、それは一筋縄ではいかないようです。

 りんごはぞうに、「ぼくを一口たべませんか」と話しかけます。ぞうは毒りんごだってかまわないと、一口かじります。りんごは誘惑でもあり、ぞうにとっては危ないものかもしれない、それでも話してみよう。そういった孤独を抜け出すときの葛藤やぎこちなさ、危なっかしさのようなものを、りんごとぞうのやりとりから考えた方がいました。りんごはただ寂しいぞうの救い手だったのか、少し迷うところです。だれかと接することは、そうすることの喜びもあるけれども、それゆえの悲しみもある。でも本当に一人でいることの寂しさよりも、誰かといることの苦しさの方がいい。そういうお話もありあました。もちろん、一人でいたいという考え方も出てきました。

 さいごのぞうの「牙」。宝石のような牙。ぞうはそれがなければみんなといっしょにいられたかな、とりんごに問いかけます。そして、ぞうの意識が海の中に潜っていくときに、ぞうから牙がこぼれ落ちます。

 牙はそれをもつものにとって、あるいは他のだれかにとって大切なもの。ところが、それはまただれかを傷つけうる武器でもある。それがあることで自分が優れていることになるもの、自分が大切にしていることとしてのプライドは、自分を孤独にするかもしれないものでもある。

 りんごも牙もただ「良いもの」ではなく、「悪い」とまでは言えなくてもどこかトガっているところがある。おそらく牙のもつこんなイメージがあったために、さいごのぞうの「さいご」が安らかだったのかどうか、ずっと迷いが残るような対話になりました。

 牙はまた「人間の影」を感じさせるところがありました。「宝石のような牙」と、牙に価値を見出すのは人間らしいところだということですね。物語の中に「人間」は一度も登場しないのですが、「象牙」のように人間を感じるところはいくつかあります。物語の「語り手」、さいごのぞうのお話を語り継いでいる存在。これも人間を感じるという考えがありました。物語の途中、ぞうはりんごに旅に誘われ海へと出ます。そこで「船」に乗るのですが、これもまた人間らしいものです。そもそも、ぞうがすんなりと船に乗ったことも不思議なところです。

 私は「虹」について参加者の皆さんに問いかけました。海に出たぞうは、夜空にかかる虹を見ます。この虹は何なのでしょうか。



 虹は何かの変化の象徴だということ、そして、虹があるからにはどこかに「光源」があるはずということ。この二つの考え方から、さらに二つの考え方が出てきました。

 真っ黒な夜空なのに鮮やかな虹がかかる。それは別世界に来たしるしだという話がありました。夜に虹がかかることが珍しくもない世界、ぞうはそんな世界にやってきた。この話をされた方は、船についても話されました。船はこの別世界の「もの」が、他の世界からやって来たもののために用意したもの。だから、ぞうは躊躇することなく船に乗った。船は「人工物」かと思われましたが、実はまったく異なる存在が用意したものかもしれません。



 光源について考えた方は、それを「他の動物」として話されました。さいごのぞうには仲間がいないけれど、海にいる他の動物たちは仲間同士で仲良くしている。その姿はぞうにとって眩しすぎて見ることができない、その眩しさをぞうはかろうじて虹として見ることができる。ぞうは虹を見て涙を流すのですが、この虹の美しさはぞうにとって辛いものでしょうね。

 終わり際に、さいごのぞうのお話のなかで死はどんなものだと思われるか問いかけてみました。物語の中でさいごのぞうが「死んだ」と言われないことについて、語り継がれ記憶に残るかぎりまだ「生きている」ということだ、という話がありました。ぞうの問いかけにりんごが答えなかったというシーンがあります。これについて、死ぬまでに何度も問いを繰り返し、とうとう答えに落ち着くことのないまま死んでいくのかな、と考えた方がいました。


 迷いのもとは自分の内側にも外側にもあり、答えにたどり着くあてもなく、それなのに、ただ問い、考えることだけはできてしまう。寂しい、悲しい。それはないことにすることも、消してしまうこともできない。「どうすべきか」よりも「どう感じるのか」「どう思うのか」を考えることのできた時間だったと思います。

(青木健太/大阪大学大学院文学研究科博士後期課程)








カフェマスターを務めさせていただいた私も、みなさんの意見をきいて一人で絵本を読んだだけだと気づけなかったであろうことに気づかされ、考えを巡らすことができました。
参加してくださったみなさん、朗読動画について知らせてくださった井上奈奈さん、進行の青木さん、ありがとうございました。

日本哲学の研究科である宮野真生子さんをお招きし、「いま、ここで哲学すること」について考えます。
『哲学カフェのつくりかた』で中之島哲学コレージュの章を書いてくださった三浦隆宏さんの企画。お楽しみに。

2015/08/19

取材三昧?

こんにちは、まつかわです。
今日の岡山、大阪はだいぶ涼しいです。
台風が近づいているせいでしょうか?

今年度に入ってから、取材のご依頼がやたら多いです。何故?

新聞をはじめ、フリーペーパー、雑誌、ラジオ、TVなど、毎月2〜3件はあるんじゃないかなぁ。
といっても、他の哲学カフェの取材の背景情報として、哲学カフェについて1時間ほど電話でお答えさせていただくだけで、掲載されるのはほんの一言ということが多いですが。
(とある30代向けファッション誌 のは、日程さえあえば、プロのスタイリスト&カメラマン付きでインタビュー記事が載ったかもしれないのに、撮影日の日程がどうしても合わず残念!)

正直なところ、時折「ん? 私が伝えたかったニュアンス(ポイント)とちょっとちがうような‥‥」ということもなきにしもあらずですが(それでご紹介を迷ってしまうこともあるのですが)、哲学カフェや哲学対話を広く知っていただく貴重な機会。
できるかぎり、ありがたくお受けさせていただいております。

取材を受ければ全部が全部世間に出回るわけではないので、一部ですが、こんな感じ。

朝日新聞(2015.4.3)「『哲学』人気じわり 迷える時代の羅針盤か」

北日本新聞(2015.5.30)「『哲学カフェ』県内で盛り上がり 多様な視点で対話」

City Life KOBE(2015.8)「カフェフィロ


カフェフィロへの取材のご依頼は、info@cafephio.jp(カフェフィロ事務局)へお願いします。
ご掲載の際は、掲載紙などお送りいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。