こんにちは、廣井です。
おかげさまで、Tokyo企画第2弾「哲学ファシリテーター入門セミナー」の23日(日)は定員に達しましたので締め切らせていただきました。
http://www.cafephilo.jp/fes/20120922.html
23日ご希望の方にはキャンセル待ちでお受けし、キャンセルがあり次第順次ご案内する予定です。
なお、22日(土)は僅かですが残席がございます。
参加ご希望の方はお早めにお申し込みくださいませ。
2012/09/12
自分とちがう意見を受け入れにくいのはなぜ?
こんにちは、まつかわです。
昨日(9月11日)は、神戸市北区子育て支援センターにてグリグラ哲学カフェでした。
テーマは、「自分とちがう意見を受け入れにくいのはなぜか?」。
前回初めて哲学カフェに参加された方の、「哲学カフェでは他の人の意見も抵抗なくきけるのに、普段はなかなかそれができない。なぜだろう?」という疑問がきっかけです。
参加者は9名。
こんな意見がでてきました。
それにしても、今回のテーマは例をあげるのが難しかった。
「自分とちがう意見を受け入れにくいのはなぜか」を説明しようとして具体例をあげると、たちまちその問題について自分の意見の主張をすることに夢中になってしまうんです。ひとしきりその人の主張をきいては、進行役から「それじゃあ、それと反対の意見を受け入れるにはどんな条件が必要ですか?」と投げかける・・・を繰り返しました。
みなさんの話をききながら私がしみじみ感じたのは、自分とちがう意見を受け入れるのが難しいのは、それが自分の意見ではないからだということでした。
何を言ってるんだ、それじゃ同語反復じゃないかって?
うん、奇妙ですね。
そもそも、「相手の意見を受け入れる」とはどういうことでしょうか?
自分の考えを胸にしまいこみ、相手の言うとおりにすることでしょうか?。
今回の参加者の考えはちがいました。
いくら相手の言うとおりにしても、相手の意見に心から賛同していないかぎり、相手の意見を受け入れたことにはならない。
とすると、自分の意見と異なる意見を受け入れるということは、自分自身の意見が変わることを意味します。
問題解決のための「譲歩」も、自分の意見をガマンして押さえつけることによって可能になるのではなく、自分の意見を相手相手の意見に近づけることによって可能になるのではないでしょうか。
■次回のグリグラ哲学カフェ
昨日(9月11日)は、神戸市北区子育て支援センターにてグリグラ哲学カフェでした。
テーマは、「自分とちがう意見を受け入れにくいのはなぜか?」。
前回初めて哲学カフェに参加された方の、「哲学カフェでは他の人の意見も抵抗なくきけるのに、普段はなかなかそれができない。なぜだろう?」という疑問がきっかけです。
参加者は9名。
こんな意見がでてきました。
- 自分の意見を受け入れてもらおうというのはエゴでは?
- 納得すれば受け入れられる
- 自分の利益に反することは受け入れ難い
- 相手の言い方にもよる
- 人間は説得されることを嫌うもの
- 年齢を重ねるについれて体が弱り、余裕がなくなる
- 人によって大事にしているものがちがう
- 受け入れればいいってものじゃない。受け入れないほうがいいこともある
それにしても、今回のテーマは例をあげるのが難しかった。
「自分とちがう意見を受け入れにくいのはなぜか」を説明しようとして具体例をあげると、たちまちその問題について自分の意見の主張をすることに夢中になってしまうんです。ひとしきりその人の主張をきいては、進行役から「それじゃあ、それと反対の意見を受け入れるにはどんな条件が必要ですか?」と投げかける・・・を繰り返しました。
みなさんの話をききながら私がしみじみ感じたのは、自分とちがう意見を受け入れるのが難しいのは、それが自分の意見ではないからだということでした。
何を言ってるんだ、それじゃ同語反復じゃないかって?
うん、奇妙ですね。
そもそも、「相手の意見を受け入れる」とはどういうことでしょうか?
自分の考えを胸にしまいこみ、相手の言うとおりにすることでしょうか?。
今回の参加者の考えはちがいました。
いくら相手の言うとおりにしても、相手の意見に心から賛同していないかぎり、相手の意見を受け入れたことにはならない。
とすると、自分の意見と異なる意見を受け入れるということは、自分自身の意見が変わることを意味します。
問題解決のための「譲歩」も、自分の意見をガマンして押さえつけることによって可能になるのではなく、自分の意見を相手相手の意見に近づけることによって可能になるのではないでしょうか。
■次回のグリグラ哲学カフェ
- 日時:12月11日(火) 10:15〜12:00
- 場所:神戸市北区子育て支援センター
- テーマ:当日参加者のみなさんから募ります。
2012/09/08
哲学カフェ「ご近所付き合いは何のため?」
こんにちは、まつかわです。
8月25日(土)にすてっぷ(とよなか男女共同参画推進センター)で開催された哲学カフェ、書きたいことがありご報告が遅れてしまいました。
テーマは、「ご近所付き合いは必要か?」。
すてっぷのスタッフの方と、たくさんの候補のなかから相談して決めました。
地域の方をサポートするすてっぷにとっても「ご近所」の問題は重要ですし、すてっぷが関わっていきたい人にとっても大事なテーマだろうと。それから、前回女性の参加者の発言がやや少なく感じたので、女性が話しやすそうなテーマを選ばせていただきました。
進行役の私も、自分のご近所づきあいについて「これでいいのかな?」と思っているところだったので、みなさんの声をきくのを楽しみにしていました。
参加者は20名ほど。
ねらいどおり女性にもたくさん発言してもらえました。
初めて哲学カフェに参加するという方もけっこういた気がします。
ご近所問題の定番、ゴミ問題から始まり、子どもや庭の木がご近所迷惑をかけないか、気の合わない人とどうつきあうか、あいさつを無視されたら?・・・などなど。ひとつひとつの例がとてもリアルなのが印象的でした。
いろんな体験談を話しながら「ご近所づきあいは何のため?」の答えは、わりとすぐでてきました。
ひとつは、「ほどよい距離感でつきあいたい。けど、そのためにはどうすればいい?」「そもそもほどよい距離感ってどんな関係?」ということです。
みなさんそれぞれの理由で「ご近所づきあいは必要」と言うものの、もう一方で「わずらわしい」と感じることもある。この問題について、これまた様々な体験を話しながら、「自分にとってのほどよい距離感と、相手にとってのほどよい距離感は異なる可能性がある」という問題、それから、「ほどよい距離感は時代やその人の状況によって変わるのではないか(年齢、性別、子どもの有無、共働きかどうか、一戸建てかマンションか、家=職場か家≠職場か、等々)」ということが指摘されました。
もうひとつポイントとなったのは、「ご近所づきあいはそれ以外の関係(家族や職場)とどう異なるか」ということです。
これについて「人はひとりでは生きていけない。だからご近所づきあいは必要」という意見に対して、進行役から、「家族じゃダメなんですか?」と疑問を投げかけたところ、「ご近所付き合いは誰と仲良くするか選べる。あまり険悪な関係でなければ、仲のよい人とそうでない人がいていい。選べるのが、職場の人間関係や家族とちがうところ」という意見がでました。さらに、「家が近いほど仲良くしなければというわけでもない。ちょっと離れたところに助けてくれるひとがいればいい」という言葉も。
今回の哲学カフェが始まる前、私は、「自分にとってのご近所=同じマンションに住む人」と思っていました。しかし、同じマンションに住む人とはあいさつ程度のやりとりしかない状態で、「特に困っているわけではないけれど、これでいいのかなぁ」と落ち着かない気分でいました。
今回の哲学カフェにでて、まず自分の落ち着かない気分が「家=寝るところだから安心したいけれど、隣に住んでいるのがどんな人かもよくわからなくて不安」だったということがわかりました。しかし後半、「家から30分程度のところにいざというとき助けてくれる人がいればよい。それもご近所づきあい」という意見をきいて、「ご近所」という言葉のイメージが「同じマンションに住む人」からぐっと広がり、「それならあの友だちがいてくれるから大丈夫」と安心することができました。
参加者のみなさんはどうだったでしょうか?
翌日からのご近所づきあいが劇的に変わることはなくても、私のように、明るくご近所づきあいをしていけるような気づきが少しでもあるといいなと思います。
すてっぷでの哲学カフェは今年度中にあと1回開催される予定です。
また詳細が決まりましたら、カフェフィロのHPやメールマガジンでお知らせします。
【まつかわ 今月の予定】
9/11(火) 哲学カフェ@神戸市北区子育て支援センター
テーマは当日参加者から募ります。予約不要です。→詳細
9/22(土)-23(日) カフェフィロセミナー「哲学ファシリテーター入門」
残席わずかになりました。お申し込みはお早めに。→詳細
8月25日(土)にすてっぷ(とよなか男女共同参画推進センター)で開催された哲学カフェ、書きたいことがありご報告が遅れてしまいました。
テーマは、「ご近所付き合いは必要か?」。
すてっぷのスタッフの方と、たくさんの候補のなかから相談して決めました。
地域の方をサポートするすてっぷにとっても「ご近所」の問題は重要ですし、すてっぷが関わっていきたい人にとっても大事なテーマだろうと。それから、前回女性の参加者の発言がやや少なく感じたので、女性が話しやすそうなテーマを選ばせていただきました。
進行役の私も、自分のご近所づきあいについて「これでいいのかな?」と思っているところだったので、みなさんの声をきくのを楽しみにしていました。
参加者は20名ほど。
ねらいどおり女性にもたくさん発言してもらえました。
初めて哲学カフェに参加するという方もけっこういた気がします。
ご近所問題の定番、ゴミ問題から始まり、子どもや庭の木がご近所迷惑をかけないか、気の合わない人とどうつきあうか、あいさつを無視されたら?・・・などなど。ひとつひとつの例がとてもリアルなのが印象的でした。
いろんな体験談を話しながら「ご近所づきあいは何のため?」の答えは、わりとすぐでてきました。
「災害などいざというとき助け合えるように」問題はここからです。後半は主に二つのポイントをめぐって対話がなされました。
「子どもや庭木で日常的に迷惑をかけざるをえないので、普段から関係をよくしておくことが大事」
「家は寝るところだから、家で安心して過ごせるように」
ひとつは、「ほどよい距離感でつきあいたい。けど、そのためにはどうすればいい?」「そもそもほどよい距離感ってどんな関係?」ということです。
みなさんそれぞれの理由で「ご近所づきあいは必要」と言うものの、もう一方で「わずらわしい」と感じることもある。この問題について、これまた様々な体験を話しながら、「自分にとってのほどよい距離感と、相手にとってのほどよい距離感は異なる可能性がある」という問題、それから、「ほどよい距離感は時代やその人の状況によって変わるのではないか(年齢、性別、子どもの有無、共働きかどうか、一戸建てかマンションか、家=職場か家≠職場か、等々)」ということが指摘されました。
もうひとつポイントとなったのは、「ご近所づきあいはそれ以外の関係(家族や職場)とどう異なるか」ということです。
これについて「人はひとりでは生きていけない。だからご近所づきあいは必要」という意見に対して、進行役から、「家族じゃダメなんですか?」と疑問を投げかけたところ、「ご近所付き合いは誰と仲良くするか選べる。あまり険悪な関係でなければ、仲のよい人とそうでない人がいていい。選べるのが、職場の人間関係や家族とちがうところ」という意見がでました。さらに、「家が近いほど仲良くしなければというわけでもない。ちょっと離れたところに助けてくれるひとがいればいい」という言葉も。
今回の哲学カフェが始まる前、私は、「自分にとってのご近所=同じマンションに住む人」と思っていました。しかし、同じマンションに住む人とはあいさつ程度のやりとりしかない状態で、「特に困っているわけではないけれど、これでいいのかなぁ」と落ち着かない気分でいました。
今回の哲学カフェにでて、まず自分の落ち着かない気分が「家=寝るところだから安心したいけれど、隣に住んでいるのがどんな人かもよくわからなくて不安」だったということがわかりました。しかし後半、「家から30分程度のところにいざというとき助けてくれる人がいればよい。それもご近所づきあい」という意見をきいて、「ご近所」という言葉のイメージが「同じマンションに住む人」からぐっと広がり、「それならあの友だちがいてくれるから大丈夫」と安心することができました。
参加者のみなさんはどうだったでしょうか?
翌日からのご近所づきあいが劇的に変わることはなくても、私のように、明るくご近所づきあいをしていけるような気づきが少しでもあるといいなと思います。
すてっぷでの哲学カフェは今年度中にあと1回開催される予定です。
また詳細が決まりましたら、カフェフィロのHPやメールマガジンでお知らせします。
【まつかわ 今月の予定】
9/11(火) 哲学カフェ@神戸市北区子育て支援センター
テーマは当日参加者から募ります。予約不要です。→詳細
9/22(土)-23(日) カフェフィロセミナー「哲学ファシリテーター入門」
残席わずかになりました。お申し込みはお早めに。→詳細
2012/09/02
報告:メディカルカフェ健康な「私」と終末期の「私」
みなさま、中岡です。メディカルカフェの報告をさせていただきます。
日時:8月25日(土)13:30-17:00
場所:カフェP/S(神戸市灘区)
テーマ:健康な「私」と終末期の「私」
司会進行役:中岡成文
共催:患者のウェル・リビングを考える会
参加者:20名
酷暑の中を、会場いっぱいの参加者が駆けつけてくださった。
「終末期」への関心の高さを感じさせた。
事前指示書(リビング・ウィル)を書き残しておくことが1つのトレンドとなりつつあるが、そこでは自己決定が前提となっている。
しかし、たとえ終末期でも本人の意思は変わりうるので、これをどう扱うかという根本的な問題点がある。この点などを巡って、本人・家族の立場から、あるいは介護者、音楽療法家、成年後見人の立場から、さまざまな考え方が述べられた。
尊厳死をよしとする傾向を危ぶむ(「要らない」存在とみなされるから)意見も出された。
終末期のリアリティは若い世代(20-30代)にはやや薄いように思えた。
事前指示書は「プロセス」であり、関係性を重視して家族や周囲に「お任せ」することも一つの自己決定と言えるのではないか、ただしその場合でもすべてを任せきりにするのではなく、自分で情報を集めようとする姿勢が重要ではないか、という発言があり、私には説得的だった。
日時:8月25日(土)13:30-17:00
場所:カフェP/S(神戸市灘区)
テーマ:健康な「私」と終末期の「私」
司会進行役:中岡成文
共催:患者のウェル・リビングを考える会
参加者:20名
酷暑の中を、会場いっぱいの参加者が駆けつけてくださった。
「終末期」への関心の高さを感じさせた。
事前指示書(リビング・ウィル)を書き残しておくことが1つのトレンドとなりつつあるが、そこでは自己決定が前提となっている。
しかし、たとえ終末期でも本人の意思は変わりうるので、これをどう扱うかという根本的な問題点がある。この点などを巡って、本人・家族の立場から、あるいは介護者、音楽療法家、成年後見人の立場から、さまざまな考え方が述べられた。
尊厳死をよしとする傾向を危ぶむ(「要らない」存在とみなされるから)意見も出された。
終末期のリアリティは若い世代(20-30代)にはやや薄いように思えた。
事前指示書は「プロセス」であり、関係性を重視して家族や周囲に「お任せ」することも一つの自己決定と言えるのではないか、ただしその場合でもすべてを任せきりにするのではなく、自分で情報を集めようとする姿勢が重要ではないか、という発言があり、私には説得的だった。
2012/09/01
便座ヒーターも必要悪?
8/28のさする庵の哲学カフェには12名の方がいらっしいました。
ありがとうございました。
参加された方からのコメントも届いてます。
ありがとうございます。
表題の意味も含めて、当日の様子が少し伝わるかなと思います。
興味ある方はこちらの記事のコメント欄をどうぞ。
あ、1つ前の投稿でまつかわさんも感想書いてくれてますね。
こちらもあわせてどうぞ。
次回は10月後半、テーマはSNS関係を予定してます。
わたしも別の催しの感想をひとつだけ。
8/18、熊さんから報告があったシネマ哲学カフェ『喜びも悲しみも幾歳月』に参加しました。
少し遅れて館内に入りましたがほぼ満席です。
隅にパイプ椅子を出して座りました。
半分ほど過ぎて「第2部」に入る頃、ご年配の男性が館内に入り隣のパイプ椅子腰掛けたのですが、みはじめてすぐ涙、とりわけ終盤の娘の婚姻話とか「バカ」の話のあたりは前のめりで涙涙。何かご自身の経験と重なるものがあったんでしょうかね・・・。
途中大きな音が何度もするので効果音かと思ったら雷でした。
終了後外に出ると豪雨。館内も前方座席の人は床にまで浸水していたようで、外ではシネ・ヌーヴォースタッフの方がバケツで必死に水をかき出してました。
いろんな意味で印象に残った哲学カフェとなりました。
カフェも楽しかったのですが、この辺で。
ありがとうございました。
参加された方からのコメントも届いてます。
ありがとうございます。
表題の意味も含めて、当日の様子が少し伝わるかなと思います。
興味ある方はこちらの記事のコメント欄をどうぞ。
あ、1つ前の投稿でまつかわさんも感想書いてくれてますね。
こちらもあわせてどうぞ。
次回は10月後半、テーマはSNS関係を予定してます。
わたしも別の催しの感想をひとつだけ。
8/18、熊さんから報告があったシネマ哲学カフェ『喜びも悲しみも幾歳月』に参加しました。
少し遅れて館内に入りましたがほぼ満席です。
隅にパイプ椅子を出して座りました。
半分ほど過ぎて「第2部」に入る頃、ご年配の男性が館内に入り隣のパイプ椅子腰掛けたのですが、みはじめてすぐ涙、とりわけ終盤の娘の婚姻話とか「バカ」の話のあたりは前のめりで涙涙。何かご自身の経験と重なるものがあったんでしょうかね・・・。
途中大きな音が何度もするので効果音かと思ったら雷でした。
終了後外に出ると豪雨。館内も前方座席の人は床にまで浸水していたようで、外ではシネ・ヌーヴォースタッフの方がバケツで必死に水をかき出してました。
いろんな意味で印象に残った哲学カフェとなりました。
カフェも楽しかったのですが、この辺で。
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