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2012/08/29

小金井哲学カフェ開催のお知らせ(9/2)

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより次回開催のお知らせが届きました。



日時: 2012年9月7日(金) 19:00-21:00
 
テーマ : 「哲学したくなる時」
 
  それはどのような時ですか?
  哲学へ向かう機会について考えてみたいと思います。

場所 : カフェ broom & bloom(http://www.yadocarism.com/cafe.html
      東京都小金井市前原町3-40-20-106
料金 : 無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
 
主催 : 小金井哲学カフェ(さどはら)

※参加をご希望の方は、こちらよりお申し込みください。




哲学したくなる時・・・
私の場合、じっくり限界まで考えてみたい問題がでてきたとき、というのがひとつの答えですが、そういう問題がテーマでなくても哲学カフェに参加したくなることがあります。
どうしてだろう?
昨日、さする庵で行われた哲学カフェがそうでした。
「必要悪は、本当に必要?」というテーマで、参加する前は何も思い浮かばなかったのに、みなさんのお話をきくうちにたくさんの疑問や考えが浮かんできました。
「なにが悪かは時代によって変わる」という方が何人かいたのですが、それをきいて自分は「悪はいつの時代でも悪だ」と思っていることに気づきました。とても意外な発見です。
自分のなかにあるけれど、自分ではまだ気づいていない声に耳を傾ける時間が欲しかったのかもしれません。


2012/08/28

さする庵の哲学カフェ

くわばらです。
先日もお知らせしましたが、
本日、19:00からさする庵で「哲学カフェ」を開催しします。
テーマは必要悪についてす。よろしければどうぞ。(→ 詳細はこちら
(初めて参加される方は入り口を探して迷われるかもしれませんので、
下の写真をご参考までに)




ちなみに前回6月は
「苦労は買ってでもしたほうがいい?」というテーマで開催しました。
私が進行し、参加者は15名ほどでした。

買える苦労、自分で選んで背負える苦労はいいとして、
買えない苦労、背負わされて逃げられない苦労は
やっぱり大変ではないかという話が出ました。
たとえばこの病気のない人生があるならそれがいいとかそういうことです。
買うというのは修辞的な表現ですが、そこにこだわってみるのは確かに面白いですよね。
苦労することとそれを買うということの並列に不思議な感じがします。

また、苦労の語りは、苦労そのものよりも、
苦労を介して表出される(あるいは相手にそう読み取られてしまう)
妬みや僻みなどといった情念に注意が向いてしまう。
だからこそ、苦労がつらいものであればあるほど
それを語るは静かで穏やかであろうとする。
参加者の話をききながら私自身はぼんやりとそんなことを考えた2時間でした。


「みなさま2時間ご苦労様でした」
最後のオチを言うのを忘れてました。
2ヶ月も経ってなんですが、
この場であの時の最後の挨拶に代えて。