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2011/11/17

NSDセミナー 定員に達しました

まつかわです。
メルマガ号外やHPをご覧になったかたはご存知かと思いますが、
12月3−4日にカフェフィロセミナー
「哲学対話入門:ネオ・ソクラティックダイアローグ(NSD)を体験しよう」
を開催します。

こちらのブログでもご案内しなきゃな・・・と思っているうちに、
先ほど定員に達してしまいました。

無事申し込みできた方、
「少人数でじっくり」哲学の醍醐味を味わう贅沢なセミナーをお楽しみください。

残念ながら申し込みが間に合わなかった方、
これより先はキャンセル待ちになってしまいますが、
「出たかった!」と声をかけていただければ、
また近いうちに実現するかも!?
多忙な講師陣を誘惑する声、お待ちしております。

国際交流と人権を考えよう

こんにちは、まつかわです。
哲学カフェやセミナーの開催でお世話になっている、とよなか国際交流協会のIさんよりイベントのお知らせが届きました。

今週20日13時半から、釜ヶ崎で活動をする、上田かなよさんと、ラッパーのSHINGO★西成さんによるワークショップをするそうです。楽しそう♪
関心のあるかたは、ぜひご参加ください。





国際交流と人権を考えようPart2

詩人とラッパーとみんなで、いっしょに楽しもう。
多文化な子どもやおとな、いろんな人が交ざり合って、詩をつくります。
詩をつくたことのないひとも、ラップをしたことのない人も、
「ことば」と「リズム」で表現を楽しみましょう





詳しいイベント情報はとよなか国際交流協会のイベントページよりどうぞ。

2011/11/16

中之島哲学コレージュ/哲学カフェ「なぜ、就活生はリクルートスーツを着るのか?」



こすがです。11月9日に開催された中之島哲学コレージュ/哲学カフェ「なぜ、就活生はリクルートスーツを着るのか?」の参加者の方々のご感想をいくつか紹介させていただきます。


「おもしろかったです 思考停止しちゃいかんよね。楽やけど"リスクレス"やと思っていたらえらいことになる リクルートスーツって日本的」


「多方面からの意見が聞けて、更に自分の考えを練ることができると思いました。次からは、しっかりと意見をまとめて発言できるようにしたいと思います。」


「マスプロ大学の就職活動システムの教育メニュー 大学側(送り出す側)=人材供給側の心がまえを表現したもの 日本的なシステムとなる。」


「一つの意見では統一できないという事実」


「多くの異なる立場の人々の意見が聞けて、楽しい会でした。とてもいい会でした。」


当日は41名の方々にご参加いただきました。ご参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。

2011/11/15

12月の小金井哲学カフェは「迷う」

こんにちは、松川です。
小金井哲学カフェのやまもとさんより、次回哲学カフェについてお知らせいただきました。


日時:12/11(日)15:00-17:00
場所:シャトー小金井2F(JR武蔵小金井駅から徒歩5分)
テーマ:「迷う」とはどういうことか?
参加費:飲み物代のみ(カフェでの1ドリンクオーダーをお願いしております)

地図や参加申し込み等の詳細は、小金井哲学カフェのブログをご覧ください。
http://koganei-philosophycafe.blogspot.com/

主催:小金井哲学カフェ(やまもと)



テーマは、「迷う」かぁ。
今まで色んなテーマについて考えてきたけど、「迷う」とはどういうことかなんて、考えたことないな。
お近くの方はぜひ参加して、感想おきかせください。


2011/11/14

グリグラ哲学カフェ「型と個性」

こんにちは、まつかわです。
先週火曜日、11月8日は2ヶ月に1度のグリグラ哲学カフェでした。
哲学カフェに魅せられ育児サークルを卒業しそびれてしまったお母さんたちの哲学カフェです。

テーマは「型と個性」。
「個性的であるためには型も必要だ」という言葉を聞いて考えてみたいと提案され、多数決で選ばれました。(他の候補は・・・忘れちゃった)
個人的には、どこかで聞いてきた話を取り上げるのはあまり好きではないのですが、
「わたしもそれ聞いて気になってたんだけど・・・それが“なるほど”の気になるなのか、“それちゃうやろ”の気になるなのかわからなくて」
という声に、どっちの“気になる”かはっきりさせてやろうとやる気ががむくむくと。



主な論点をあげると、「型って何?個性って何?」、「型と個性の関係は?」、「個性っていいもの?」の3つになるでしょうか。
それぞれ、重要な意見、面白い発言をざざっと紹介しておきましょう。

型って何? 個性って何?
  • 型破り=個性?
  • みんなとちがうのが個性?
  • 何をもって個性的かどうか判断するの?
  • 個性を誰がどう判断するのか?
  • 上手いなと思う絵には「個性的ですね」って言わない。『上手ですね』って言う。「個性的ですね」って言うのはむしろ下手な絵について。
  • つけまつげは、もはや「型」!
  • 個性は少数派のことかとおもってたけど、話しているうちにみんながもってるひとりひとりの性質のことのような気がしてきた。

型と個性の関係は?
  • モトがないと個性かどうかわからない。
  • ひとりひとりが自分に合ったやり方を追求していけば、みんな同じ型にいきつくんじゃないか。
  • 初めは型から入って、だんだん自分らしさがでてくることもある。

個性はいいもの?
  • 型だけじゃ上手くはなれない。アレンジ力が必要。(落語の例をあげながら)
  • 個性的かどうかはどうでもいい。その人に合ってるかどうかが大切。
  • 個性を尊重するといっても、守らなければいけないこともある。
  • いいとかわるいとか言えないもの、評価しきれないものに私たちは"個性的”っていうラベルを貼るんじゃないか。




私は毎回、一番面白いと思った発言に「今日のソクラテス賞」なるものを密かに授与しているのですが(密かになので、賞金も賞品ももらえません)、今回は2ついいのがあって、迷っています。

ひとつめは、私の「みんながイメージする型って何?」の投げかけに絶妙なタイミングで答えてくれた、「つけまつげは、もはや型!」。
その場では、この発言になんでそんなに惹かれた理由がよくわからなかったのですが、あとから考えると、型にも流行があることを今らしく表現するうまい言葉です。

ふたつめは、「“個性的な人”ってありえる?」。
「ファッションや生活の仕方が個性的というのはわかるけど、個性的な人というのはありえないんじゃないか」というわけです。
「あの人個性的やなぁ」なんてきくことはありますが、それはファッションや生活のごく一部、その人のごく一部を取り出してその人をまるごと評価してしまっているんじゃないかと気づかせてくれる発言でした。
その後すぐ、「私たちはいいとかわるいとか評価しきれない、評価軸からはずれるものに対して、無理矢理“個性”というラベルを貼って処理しているんじゃないか」→「評価軸そのものがずれてる人は個性的って言われちゃうかも」などなど、思考を刺激してくれる投げかけでした。

次回のグリグラ哲学カフェは、来年1月10日(火)です。
主催しているのはお母さんたちですが、平日お休みの方、定年退職した方、学生さんなども大歓迎です。
ぜひ、気軽にご参加ください。

2011/11/11

書評カフェ:渡辺一夫評論選『狂気について』

こんにちは、まつかわです。
岡山では昨日からぐんと冷え込みましたが、みなさんがお住まいの地域はいかがでしょうか?

カフェP/Sでのカフェを担当している藤本さんに報告をお願いしたところ、「じゃあ、これまでのぶんも順番に出します」ということで、今年4月17日の書評カフェで話題提供してくれた山村サロンの山村雅治さんの文章が届きました。
カフェについては「その沸騰するような様子は到底狭い紙幅では描ききれない」ということで、山村さんがどのようにして『狂気について』という本を取り上げるにいたったかが書かれています。


「渡辺一夫と『狂気について』」

 2011年4月17日、神戸カフェP/Sで開かれた「書評カフェ」では、藤本啓子さんの提案で「平和」を皆さんとともに考えていきたい、ということで、選んだ本が渡辺一夫著「狂気について」だった。
私はもとより「ベ平連」代表を務めた故・小田実と、彼の最晩年の10年あまりを共にした人間である。しかし私は「ベ平連」の世代ではなく、いかなる学生運動にも関わったことがなかった。
震災被災者に公的援助を与えるための法律を創造するために、小田実と私は「市民=議員立法実現推進本部」を結成し、被災地と永田町を何度往復したか分からない。その運動がいちおう1998年5月に「被災者生活再建支援法」に結実し、その後、2000年夏からWEB上に「声明」を上げていく「良心的軍事拒否国家日本実現の
会」を立ち上げた。
2001年9
月11日のニューヨーク・テロに対してアメリカは「報復攻撃」を開始する。そこからこの運動は東京で集会やデモを行うことにもなった。そうしたことなどを私は小田実さんの本を通じて語ればよかったかもしれない。しかし、それよりも先に、少年時代に出会った本について、今回はまず語っておきたかった。

渡辺一夫は、1992年に小田実に出会う前、高校生の頃から読んでいた。いや厳密にいえば小学校高学年のときに『うらなり抄』と『うらなり先生ホーム話』という新書大のカッパ・ブックス(光文社)2冊を読んだのが最初だった。1960年代の初めの頃 だ。その頃は戦争を大人として過ごした人たちが、まだ中年であって親が購読していた『文藝春秋』や『中央公論』、そして『暮しの手帖』が、大人の世界への覗き窓だった。渡辺一夫の文章がそれらの雑誌にあったかは覚えていない。
父は京都帝国大学経済学部を2年で卒業させられて、昭和18年応召。終戦時の戦地は満州であって、直ちにソヴィエト兵に捕捉されてシベリア抑留。マルシャンスク収容所の日本兵捕虜として3年間を耐えて、昭和23年に舞鶴港に帰還した。彼は戦争を憎んだ。どんな大義があろうと、戦争は駄目だ、と事あるごとにいった。仔細は語らない。いわば全存在をかけて息子にいったから、息子は彼の全存在を理解した。

以来、中学、高校とあらゆる 本を読んできた。小学校の教師が暴力で生徒を支配しようとする男だった。こどもを虐待するときに、その人は笑みを浮かべている。暴力と快楽が「権力」にまっすぐに連なっていた。これが「狂気に支配される国家」なのだ、と小学生の私はすでに体験させられていたのだ。それは解いていかなければならなかったいろいろな「謎」のひとつであり、高校生になってから渡辺一夫の「狂気について」や「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」などの文章に、ひとつの「鍵」を発見した。単行本に所収されたそれらの文章は、筑摩叢書の『寛容について』1972年初版であり、大学に入ってからだ。その一冊は何度も読み返した。内容については、現行の岩波文庫「 狂気について』をお読みいただきたい。

「書評カフェ」の当日は満員で、折しも3月11日に襲った「東日本大震災」や「福島原発事故」をめぐっての発言に盛り上がった。その沸騰するような様子は到底狭い紙幅では描ききれない。そして、いつも思うことだが「カフェ・フィロ」では私は、古代ギリシアのアゴラで喋る人間になる。今回もまた、そうなれた。

(報告:山村雅治/山村サロン)


書評カフェで一冊の本がとりあげられる背景には、こんな人生ドラマがあるのかと思い知らされます。
歴史と人生と一冊の本が交差する、みなさんにとってそんな一冊はありますか?

2011/11/07

9月は嵐の後でした→テツドク!神谷美恵子『人間について』

桑原です。
早く報告しないといけないなと2ヶ月忘れずにいたのですが、
報告しようと思っていたことはすっかり忘れてしまいました。

9月5日、さする庵、スタッフあわせて13名ほど。こじんまりと開催できました。参加者のみなさま、ありがとうございました。

記憶にあるのは紹介者の高山さんが神谷美恵子さんの詩「らいの人に」の一節を読んだ声でしょうか。こういう詩です。

なぜ私たちではなくあなたが
あなたは代わって下さったのだ
代って人としてあらゆるものを奪われ
地獄の責苦を悩みぬいてくださったのだ

長島愛生園での出会い、その後のかかわり、若者の気負い。キリスト教とも浅からぬ関わりのある方ですが、キリストが重ねられているようにも私には思えました。生きがい、苦悩、生きることの意味を「愛へのかわき」「使命感」といった言葉で論じ、あるいは説いていく真摯な眼差しに、今回の参加者に突き刺さる何かと戸惑わせる何かが同居しているような感じがあったような記憶もうっすらあります。「死の話が出なかったですね」という参加者の指摘も、その辺りに関わっていたのかもしれません。

さて、テツドクでは「興味がわいたら実際に本を借りたり買ったり手にとってみてくださいね」と毎度アナウンスしています。今回私が手に取ったのは長島愛生園での出来事を中心に編纂された同著者の「島日記」。日常のたわいもないつぶやきもあるのですが、たとえば親近感を覚えるこんな記録。

5月28日 神戸女学院大学で英語やフランス語を教えている自分が道化のようだ。今年の非常勤の契約をするとき自分の首をしめている感じだったが、お金のためにはやむをえない。しかし、いつまでもつづけるべきではないと思う。

6月19日 午後九時半から准看護学院で精神科の講義。(中略)熱心な少女に教えるのはたのしい。女子大生に教えるよりも。」

職業がらふかくうなずくところです。
医師としての生々しい記録もあります。

1963年3月3日 久しぶりで島へ。・・・M・Sさんを往診。深刻な罪障感と被害妄想。「殺してくれ、殺してくれ」と叫んでいる(中略)イソミタール0.2、クロールプロマジン50ミリを2回筋注しても利かず、結局後者100ミリでやっとおさまる。なんという苦悶。なんという絶望。

日記は1970年春頃から途絶えますが、その理由の幾つかが後書きに記されている。

この年の初めに起こった突発的な事件(患者間の殺人事件)は5病棟全体を、私をふくめて大きくゆさぶった。その間接的な結果として私の健康は徹底的に損なわれたが・・・

もし参加者のみなさまの中にもその後本を手に取られ、感想などありましたら、コメントなど頂けるとうれしいです。

さて、次回は11月24日(木)です。浜田寿美男さんの著書『身体から表象へ』を玉地雅浩さんに紹介して頂きます。さすがにもう台風はこないでしょうか。乞、ご期待!

2011/11/02

中之島哲学コレージュ/上映会「日本在住フィリピン人の声を聴く」



こすがです。10月21日に開催された中之島哲学コレージュ/上映会「日本在住フィリピン人の声を聴く」の参加者の方々のご感想をいくつか紹介させていただきます。


「外国で生きる事、言葉や文化の違いを超えて生きる事のむずかしさを考えました。働らく事は 学ぶ事は いろいろ考えさせられました。私の孫も外国で、日本人一人の学校でフランス語で学校生活を送っています。困難は予想されますが、乗り越えられるか心配でもあります。今回いい勉強ができました。」




「日本にいるマイノリティーの方が発信することそのものが、大切なことです。私は今まで「日本が嫌い」という外国人の方にお会いしたことが何人かいます。これは、日本人自身につきつけられた問題ではないでしょうか。今日は大切なメッセージをありがとうマリアさん」



「"いつから日本はこうなったんだろう?"ということをまた思い出しました。日本は変ってしまったのか?それともずーっとこうだったのか?生きにくさを感じているのは外国人だけではないということも改めて感じました」



「困難の原因は、日本の政府、フィリピンの政府、各国の悪い人々、など様々に原因があると思います。一方で、彼らにも言い分があります。住みにくい国かもしれませんが、住みやすいように変えるように努力してもらえばよいと思います。協力してくれる日本人もいれば敵もいると思いますが。」



「今現在、フィリピンの子供たちに日本語を教えたり、サポートをしています。私は、フィリピンが大好きです。1年程住んでいたこともあります。(留学で)その時に、心良く、受け入れ、支えてもらったこと、フィリピンの方の優しさや明るさに助けられた経験があります。だから、今、日本に住むフィリピンの子どもたちを支え、彼らが、日本という国で胸をはって生きていけるようにサポートしたいと思っています。映像についての感想ですが、Episode‐1は、少しタイムラグを感じました。最新の話では、ない??分、もう少しいつごろの話か、という注釈を入れないと、今回来られていた方々の意見が出てしまうと感じました。というのも、平松マリアさんが日本に出稼ぎに来ていた時代。おそらく、バブル期…?日本が経済的に、成長していたころで、エンターテイナーという枠で、すごい数のフィリピン人を受け入れていた頃。もちろん、その多数は、不当な扱いであったり、風俗産業の人員として、働かされていました。もちろん、その時に辛い思いをしたフィリピンの方がたくさんいて、しかしそれでも、日本は、大量のフィリピン人女性の来日を受け入れていました。そうやって来日したフィリピン人は、辛い思いをしたことをふせて、フィリピンに帰るときには、たくさんのお金を持ち帰り、きらびやかな格好をしていた。と本で読みました。そういう姿を見て、日本はフィリピンに比べて、「天国だ」と表現したのでは、と私は思っています。今現在のフィリピンは、マニラは都会、梅田のような場所もたくさんありますよね。日本人(特に年配の方)が思うフィリピン、も、フィリピン人が思う日本、も、何か大きなズレがあり、理解し合えていない部分があるなぁと感じました。Episode‐2、の映像。これは、今まさに、教育現場で大きく注目されていることだと思います。こちらの方が、見ている人に、見ている人の心に響いたのでは、と感じました。どんどん増えている、フィリピン2世の子どもたち。彼らが、日本で、生きていけるように、そして、3世、4世が、住みやすい、日本にするために。今回の映像を、もっとたくさんの人に見てもらえたらいいですね。個人的には、フィリピンの良さを広めていきたいです。Maraming salamat po.」

当日は46名の方々にご参加いただきました。
ご参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。