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2014/02/28

3/7 小金井哲学カフェ「秘密とは何か」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェから、次回開催のお知らせが届きました。


日時:3/7(金)19:00-21:00

テーマ: 秘密とは何か

秘密をお持ちですか。
抱えていますか。
愉しみとして・悪意として・良心として?
主義とまで言われてしまう人もいます。
あなたにとって秘密とは何ですか。

場所:カフェ  broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:佐土原


参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。


2014/02/23

 ビジュアル de NSDセミナー@東京 ! ②


        2日目の午後、いよいよお手上げか?




      
         納得できない箇所は、納得できるまで確認し合います。





         どうにかゴールまで辿り着けました!
        ですが、すでに終了時間の17時を回っています。
        この直後、会場の方に退出を促され、急いで撤収。

        2日間、皆さんお疲れ様でした!
        今回参加できなかった方、次はぜひ体験してみてくださいね!
                
   

 ビジュアル de NSDセミナー@東京 ! ①

こんにちは、廣井です。

2/15,16に東京で実施されたNSDセミナー。
すでに三浦さんや松川さんから詳細な報告がありましたので、ビジュアルでのご報告を。


初日の午後、終了まで残り1時間ほどのところ。皆さん、思案しながらもまだ寛いでいますね。ほら、余裕の笑顔も見えますよ!



              2日目の午前中。少し行き詰っている。。?



        NSDは山登りと一緒。参加者同士、お互いに助け合います。


   
               


てつがくカフェ@南相馬「〈復興〉とはなにか?」

こんにちは。つじです。
このブログに登場するのは久しぶりですね。
今日てつがくカフェ@南相馬を開催しました。
テーマは、「〈復興〉とはなにか?」。



参加してくださったみなさん、どうもありがとうございました。
初めて参加された方もいらっしゃって、すごくうれしかったです。
参加のきっかけは「人づてに聞いた」「回覧板を見て参加した」などなど・・
こういった〈つながり〉って大切ですよね。

今回は、「〈復旧〉と〈復興〉は違うのではないか?」という発言からはじまりました。

〈復旧〉というのは、元の状態に戻ることじゃないだろうか? 元の状態っていうのは、例えば当たり前の日常。畑仕事をしたり。家に帰ったり…
でも、それができない。元の状態に戻れないから、イライラしたり、辛かったり、苦しかったりするんじゃないのかな?

でも、〈震災〉以前の状態には、きっと戻れない。戻れない状態は、受け入れられる? ところで、〈受け入れる〉ってなんだろう?

〈受け入れる〉と〈納得する〉は、違うと思う。
きっと〈納得する〉ためには、〈感情〉と〈理屈〉の両方が必要だと思う。
〈納得できない〉けど〈受け入れる〉ということだって、時にはある。

そして終盤になると、〈復興〉についての対話に…
〈復興〉って、お金とか、効率とか、便利さとか、そういうのとは違うものじゃないか? じゃあそれって、何だろうか? 私が思うのは…虹や星空をみて「ああ、きれい!」と思うようなそういった気持ち。じゃあ〈復興〉って、〈こころ〉にも関わるものかも…

久しぶりにファシリテーターをつとめたので、実はちょっとだけ緊張してしまいました… もう少し修行が必要だ。

てつがくカフェ@南相馬、またやります。

機会がありましたら、ぜひおこしください。

東北記録映画「なみのおと」について語り合う

こんにちは、まつかわです。
昨日は、岡山のコミュニティスペースやっちにて東北記録映画の上映会がありました。
『なみのおと』を上映した後、その感想を語り合う哲学カフェを開催しました。

奉還町にあるコミュニティスペース「やっち」
「やっち」は岡山弁の「やっちもねぇ(ろくでもない)」に由来

この日は2つの作品を鑑賞しました。

参加してくださったみなさん、企画者の儀三武さん、やっちのみなさん、ありがとうございました。

ふるさととは何か、
海のちかくに住むということ、
なぜこの作品で原発という問題は触れられていないのか、
対話のなかの不自然さと自然さ、
夫婦や親子の対話から垣間見えるリアリティ、
死をどう迎えるか、
災害による困難の特殊性・・・

作品の感想を率直に語り合い、あっという間の時間でした

テレビの映像やインタビューとは異なる、身近な人同士の対話を通して、等身大の震災について知ること、また震災だけでなく自分自身と周囲の人との関係性についても考えることができたような気がします。
みなさんとお話することによって、私自身、ひとりで観ただけでは気づけなかったことに気づけて、有意義な時間でした。

1週間後の3月1日(土)は、同じ三部作のなかから『うたうひと』を観て感想を語り合います。
参加をご希望の方は、上映日、作品タイトル、お名前、ご連絡先、参加人数を明記のうえ、こちらよりお申し込みください。





2014/02/21

NSDセミナー@東京「自分らしさとは?」(2)

こんにちは、まつかわです。
昨日の報告記事の続きです。

2日目の午後、三浦さんが躓いたというその場面。
前日みんなで選んだ例から重要と思われる箇所をピックアップし終え、最後に答えを出すその一歩手前のところでした。

率直にいうと、本人は「盛大に躓いた」と言ってますが、躓き自体が大きかったというわけではないのではと私は思っています。
実際、このステップで躓く人は多いものです(そのために進行役がいるのです)。
ただ、それまで余裕をもって参加していた三浦さんが余裕をなくした場面だったから、そう見えたかもしれません。

私も、三浦さんがそこで躓くことは全く予想していませんでした。
というのも、実は、三浦さんは、私にNSDを教えてくれた先輩のうちの一人なのです。
しかし、三浦さんから話を聞くうちに、三浦さんが、私にNSDを教えてくれた10年前から、NSDのこのステップについて「疑問」を抱いていたのだということがわかりました。それは、私自身が10年前に抱いていた疑問でもありました。

「NSDへの疑問」の詳しい内容については、三浦さんの感想をどうぞ。
ここでは、NSDの方法や理論的背景について詳しく触れるのは控えておきます。

ただ、そのとき三浦さんの言葉をきいて私が感じ、お伝えたのは、三浦さんが「NSDではこれはやってはいけない、言ってはいけない」と感じていることを、私はやってはいけないこととは思わない、むしろ、それを今ここでやってほしい、言葉にしてほしいということでした。
三浦さんら先輩からNSDについて学んだあと10年間のあいだに、私は私で、カフェフィロでの様々な哲学対話の経験を通して、NSDは最初に私が思っていたよりもっと自由なものなのではないか、NSDのなかの「遡及的抽象」と呼ばれるものの範囲はもっと広く捉えるべきではないか、と考えるようになっていたからです。
(「遡及的抽象」って何?という方は、いつか、このセミナーをご受講いただければ。)

私の言葉がどれくらい伝わったかはわかりません。
どちらかというと、その後ふわりと再開された「自分らしさとは?」とその例をめぐるみなさんの対話が三浦さんに再び力を与えてくれたようにも思います。
一時はここで遭難かとも思われましたが、なんとか30分ほどして、再び全員で答えに向かうことができました。

三浦さんは「経験者である私自身が参加者の足を引っ張る始末になってしまった」と言っていますが、むしろ私は、こうした疑問や戸惑いの声は他の参加者にも考えるきっかけを与えてくれるものだと思っています。
三浦さんが「あまりにもみんなで考えてきた結果を反映していないとの自制が働き、その場では出しませんでした」と言っている内容についても、ぜひきいてみたかった。
三浦さんは「みんなで考えてきた結果を反映していない」とおっしゃっていますが、果たして本当にそうかどうか、(三浦さんがその気になれば)みんなで検討することもできたと思います。

そして、三浦さんのこの疑問をきっかけにこんなことを考えながら、私もまた、NSDについてひとつ学んだことがありました。

それは、NSDは「こうすれば哲学対話ができるよ」というような方法ではなく、「こういう姿勢で臨まないと、うまくいかないよ」という仕方で哲学対話に必要な態度を教えてくれる方法なのではないかということです。

今回のセミナーの最初のイントロダクションで、私はこんなことをお話していました。
今回のセミナーを、哲学対話の方法やスキルを学ぶためのセミナーだと思うと、期待はずれかもしれません。
私はこのセミナーでみなさんに、方法やスキルではなく、哲学対話に必要な姿勢や態度を学んでほしい。
哲学対話は、方法やスキルがあればできるってものじゃないから。
進行役として私が反省すべきことがあるとしたら、初日にお話したNSDに必要な態度について、2日目も、もっとしっかり強調してお伝えすべきだった、ということかもしれません。

まぁ、いろいろありましたが、先ほど廣井さんから届いた受講者アンケートをみると、受講者のみなさんにはご満足いただけたようで安心しました。
(三浦さんの「躓き」のおかげで、セミナーの内容は2割増しぐらいになったかも)

経験者も改めて哲学対話の醍醐味と難しさを体験できちゃうNSDセミナー、(今回は大雪のおかげでちょっぴり赤字でしたが)、また開催できるといいなと思います。

ご受講くださったみなさん、ありがとうございました。
残念ながら今回は参加できなかったみなさん、次こそお会いできますように。










2014/02/20

NSDセミナー@東京「自分らしさとは?」(1)

こんにちは、まつかわです。
先週末のセミナーの後片付け(収支計算など)が終わって、ようやく一息つきました。
三浦さんに先を越されてしまいましたが、せっかくなので、参加者である三浦さんの感想にのっかるかたちで報告を書いてみようかな。

2月15日〜16日に東京で開催した「哲学対話入門:ネオ・ソクラティックダイアローグ(NSD)を体験してみよう」(以下、「NSDセミナー」)の報告です。

初日の15日は前日からの大雪の影響で、東京周辺の多くの交通機関が運休。
それでも幸い、会場の大田区民プラザの最寄り駅がある路線は運転している状態。
そして岡山から進行役として参加する私だけでなく、名古屋や福島など遠方から参加する方はすでに東京に来ている。
会場費やその交通費を無駄にするのは惜しいということで、思い切って開催することにしました。
10名の方が参加される予定のところ、実際の参加者は6名になってしまいましたが、開始予定時刻から1時間遅れで、無事開催することができました。

NSDセミナーでは、最初に2日間参加者全員で考える問いを1つ選びます。
今回は、「自分らしさとは?」が選ばれました。
他に最後まで候補に残ったのは、「度胸とは何か?」「楽しいとはどういうこと?か」だったかな。

そういえば、問いを決めるとき、ひとつ争点となったことがありました。
「自分らしさ」は「度胸」や「楽しい」とは性質が異なる。
「自分らしさとは?」という問いにつちえ具体例を考えるとき、たとえばまつかわなら「まつかわらしさ」の例を出すということになる。その例をもとに思考を進めていくと、最終的に「まつかわらしさとは?」の答えはでても、「自分らしさとは?」の答えは出ないのではないか。
・・・なかには、そう懸念を示す方もいました。

実のところ、NSDの手法という観点から「自分らしさとは?」という問いがNGかというと、そんなことは決してありません。
ただ、確かに上記の問題が、山登りのようなNSDの行程のなかで「落とし穴」になる可能性はありました。
落とし穴のある山に登ってはいけないわけではないけれど、落とし穴のある山をあえて選ぶかどうか。

彼の不安をそのままにして決めるわけにはいきません。
全員でこころゆくまで話し合います。
その結果、最初に懸念を示した方も「不安がないわけではないけれど、『自分らしさとは?』について考えたい」という気持ちが強く、最終的には「他の問いより難しいチャレンジになるかもしれないけれど、みんなで協力して一番考えたい問いを考えよう」ということになりました。

実際、最初に懸念を示していた彼の前には、途中何度もこの落とし穴が現れたようです。
しかしその度に、彼は率直に自分の懸念を伝え、他のみなさんと慎重に落とし穴の輪郭を確認しながら、一歩一歩歩みを進められました。

NSDでは、彼のように、その都度思ったこと感じたことを率直に表明し、他の人と共有することがとても大切です。
最初に彼が懸念を示してくれたおかげで、他の参加者のみなさんも発言しやすくなったのではないでしょうか。

この後も、各々のステップで目標時間ギリギリだったことを思うと、決してスムーズな歩みというわけではなかったでしょう。
しかし、6人全員が率直に意見を交わし合い、互いの意見に耳を傾けながら、気持ちよく対話は進みました。

2日目の午後までは。

2日目の午後、何が起こったのかについては、三浦さんの感想に詳しく書かれていますが、(NSDを体験したことがない人には???でしょうし)進行役である私の視点からもこれについて触れておくべきでしょう。
長くなるのでいったんここで区切って、続きは明日書きます。
お楽しみ(?)に。




2014/02/19

東京でのNSDセミナーに参加して

三浦です。
先週末に東京で開催されたNSDセミナーに参加してきました。
私の記憶では、泊りがけのNSDは2002年に有馬温泉で行なわれた「わがまま」をテーマにしたものと2003年の岡山での「仕事」をテーマにしたもの以来3回目、一日単位のものにしても実に10年以上ぶりのNSDでした。
記録的な大雪に見舞われたこともあって、非常時でのNSDセミナーだったわけですが、個人的にもやもやしたものがいまも残っているので、やや言語化しておきます。

少ないとはいえ「経験者」ということで、二日目の午前中の〈例を吟味する 1〉の段階までは、ときおりメタダイアローグ的な発言をするなど、余裕のある対話への関わり方だったと思います。
ところが。
「書き出されたポイントのなかから、問いの答えになりうる一般的なポイントを抽出する」という〈例を吟味する 2〉の場面において、私は盛大に躓いてしまいました。

今回は「自分らしさとは?」をテーマとして選び、この問いへの答えを探るべく、みなで共有の例を選び出し、その例にとって重要なポイントを吟味する。ここまでは個人的に順調でした。
とくに例にとって重要なポイントを探りながら、もう一方では問いへの答えを(先走り的に)考えている時間帯は「哲学している感」を存分に味わっていたのです。
しかし。
重要ポイントから、問いの答えになりうる一般的なポイントを抽出するという作業をしているときに、突如として私は、自分がいま何をしているのかが(そしてなぜこういうことをしなければならないのかが)わからなくなりました。さらには十数年前に研究室のメンバーらとNSDを見様見まねで体験していた時に感じた「NSDへの疑問」が沸々と湧き上がってきて、その疑問をそのまま吐露してしまうことで、なんと経験者である私自身が参加者の足を引っ張る始末になってしまいました。
混乱は30分ぐらいでなんとか収まり、躓いた「一般的なポイントの抽出」にもなんとか参加し、最終の〈答えを出す〉場面にかろうじてたどり着いたのですが、ここでも私は「あれ、俺だけ場違い?」的な思いに襲われます。

というのも、他の参加者の方々は先の段階で抽出した一般的なポイント(=「思いがけない自分の判断や行動を大切なエピソードを想起することで受け入れている」)をもとにして、答えを記述しているのに、私はその前の段階の重要ポイントを吟味するさいにおぼろげに掴んでいた答え(今回であれば、「自分らしさとは意外なものである。それは外から知らされることが多い。」)を当初は出そうとしていたからです。この答えは、あまりにもみんなで考えてきた結果を反映していないとの自制が働き、その場では出しませんでしたが。

私が十数年前に感じた「NSDへの疑問」とは、具体的な例から一般的な答えを探る「遡及的抽象」(の後半部分)は、名称としては響きがいいけど、結局それって例から取り出した(複数の)一般的なポイントをただ単に継ぎ接ぎしてるだけの作文でしかないのではないかというものでした。
で、そういうNSDへの不満から私はそのオルタナティブとして哲学カフェへと向かっていったんだったな(というのも、この当時の研究室での「公共的な対話」の主流はNSDでしたから)ということを、躓いていた30分のあいだにまじまじと思い返していました。

私はまだNSDの本質をぜんぜん掴んでいないのでしょう。
今回久しぶりに参加しようと思ったのは、「名古屋でもNSDセミナーをやって」という声があって、近々名古屋でも開催したいなと思ったからでした。幸い、場所は名駅前にたいへん良い場所を確保できそうなのです。
というわけで、今回のセミナーは私が再びNSDと向き合うよいきっかけになりそうです。
セミナーに関わられたすべての皆さんに感謝(とお詫びを)します。

2014/02/18

2/22 小金井哲学カフェ「音楽で世界を変えられるか」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回開催のお知らせが届きました。


日時:2/22(土)18:00-20:00

テーマ:「音楽で世界を変えられるか」

音楽で世界は変えられる。そういう台詞を小説や映画で見聞きしたことはないでしょうか。
1つの条約の方が実効性がある、いや、音楽が多くの人の心を動かして何かを成したことがある。
異論・各論、あるでしょう。
今回は、音楽に世界を変える力があるかについて話し合いたいと思います。

場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野


参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。

2014/02/17

むこのそう哲学カフェより、開催日&会場変更のお知らせ

こんにちは、まつかわです。
むこのそう哲学カフェの赤井さんより、3月のイベントについて開催日と会場変更のお知らせが届きました。


★むこのそう哲学カフェからの「お知らせ」  
武庫之荘哲学カフェ運営委員会 赤井
平成26年3月1日に予定しています想田和弘監督の「精神」を見るシネマ+哲学カフェですが、開催日を変更します。

シネマカフェ:想田和弘監督「精神」+哲学カフェ
開催日:3月1日(土)14:00-17:30 を3月21日(金・祝)14:00-17:30 に変更します。
会 場:西富松会館 集会場(和室の隣)です。
前回のシネマカフェで会場として使った会館の和室が狭く、見づらいことと、長時間座るのがつらいなどの意見が寄せられていました。
対策を検討した結果、同じ会館にある集会場が使える3月21日(金・祝)に開催日を変更することしました。
ご予定を立てておられる方もいらっしゃるかと思います。申し訳ありませんが、お間違え無いようよろしくお願い申し上げます。

NSDセミナー終了。なんとか帰宅しました。

こんにちは、まつかわです。
2日間のNSDセミナーを終え、さきほど予定より5時間遅れで岡山の自宅に帰宅しました。
私は結局15時間ほど夜行バスのなかで過ごすことになりましたが、おかげでゆっくり今回のセミナーの内容を振り返ったり、カフェフィロの今後について考えることができました。

受講者のみなさんは、その後無事に帰宅できたでしょうか?
雪道のなか足を運んでくださり、本当にありがとうございました。
2日間のネオ・ソクラティックダイアローグ体験、いかがでしたか?
私はみなさんの対話を傍らできいていて、参加したくてウズウズしてしまいました。
みなさんにも哲学対話の奥深さと難しさを体感していただけたなら、うれしいです。

また改めて、こちらのブログにご報告を書かせていただけたらと思いますが、とりいそぎご受講のお礼と帰宅のご報告まで。


2014/02/16

NSDセミナー@東京、なんとか1日目終了

こんばんは、まつかわです。
2月15日の「ネオ・ソクラティックダイアローグ(NSD)を体験しよう」1日目、なんとか終了しました。

大雪の影響で運休の交通機関も多く、中止したほうがよいだろうかと迷いましたが、幸い、会場の最寄り駅がある東急多摩川線は通常運転。
来れる人だけでも参加していただいて会場費等を無駄にしないほうが、次回開催につながりやすく、今回参加できなくなってしまった方にとっても有益だろうと判断しました。

開始時間は予定の9:30より1時間遅れでしたが、なんとか6名の受講者が集まってくださいました。
雪道のなかやってきたという一体感のおかげか、非常にリラックスした雰囲気で対話が進んでいます。

参加者のみなさん、2日目もがんばりましょう。

今回参加できなかったみなさん、時期は未定ですが、また東京で同じセミナーを開催できればと思っております。
次こそお会いできますように。




2014/02/14

東京、大雪ですね

こんばんは、まつかわです。

東京地方に大雪の予報が出ているため、215日の「学校と教育を考える哲学カフェ」は中止となりました。

哲学対話入門「ネオ・ソクラティックダイアローグ(NSD)を体験しよう」は、まだ天候の行方を見守っています。
天気予報どおり明日には雨に変わるとすると、「交通機関がとまっていて出て来れない」ということはあっても、「出て来たものの帰れない」という最悪の状態は生じないのではと、そうあってほしいと念じているところです。

万が一、中止の場合は受講者のみなさんにご連絡させていただきます。
が、私はすでに東京に来ていて明後日までは東京にいるので、まるっきり何もしないで帰るというのはなんとか避けたいものです。


2014/02/10

2月の武庫之荘哲学カフェ、11日の会場が変更になります

こんにちは、まつかわです。
週末、私が住んでいる岡山でもめずらしく雪が積もりました。
みなさんがお住まいの地域はいかがでしたか?

武庫之荘哲学カフェの赤井さんから、2月11日の哲学カフェの会場が変更になったということで、訂正情報をいただきました。
2月11日の哲学カフェは「子どもの未来を考えるお店 せいのお」です。
お間違えのないようにお願いします。



静岡での哲学カフェ、対話する哲学教室の報告はもうしばしお待ちください。
4日間の静岡&大阪でめいいっぱいお仕事して、楽しかったのですが刺激が多くダウンしてしまいました。
今週末のNSDセミナー@東京について体調を調整中です。お楽しみに。

2014/02/01

記憶はフレッシュなほうがいいのか?+東北記録映画上映会&哲学カフェのお知らせ

こんにちは、まつかわです。
1月13日に岡山で開催した哲学カフェの報告がまだでした。

実は、何度も書こうとしたんですが・・・刑事事件における取り調べや、看護・介護の例などが出されて非常に興味深かったのですが、どうも私にはそれをまとめる力量はないようです。

でも、話し合ってみて、大きな発見がひとつありました。

最初にこのテーマを参加者の方(というか、私の夫なのですが)から提案されたとき、(「記憶がフレッシュってどいうこと?」という疑問はさておき)彼が「時間の経過とともに記憶はあやふやになり、事実を確かめにくくなる」という定説に疑問を投げかけているということは理解できました。
なので、私は「今回は、"記憶“と“事実”の関係について考える回になるだろう」と思っていました。
しかし、いろんな例を出しているうちに、どうもそうじゃない。
記憶というものが問題になるときは、看護や介護の現場でもそれ以外の場でも、「事実」と同時にまたそれ以上に「ケア」という観点が欠かせないらしいということ、そして最初にテーマを提案した彼もまたそのことを考えたかったのだということわかってきました。

どういう過程をたどってそういう結論に至り着いたのかは、(とても私には説明できないので)参加された方のみへのお土産ということにしておきましょう。


2月は城下ステーションの哲学カフェはお休みです。
その代わり(?)、2月22日(土)、3月1日(土)と2週連続、奉還町にあるコミュニティスペースやっちさんにて、東北記録映画の上映会とその感想を語り合う哲学カフェを開催します。
詳細・お申し込み方法は、こちらよりご覧ください。