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2013/09/30

10/4 小金井哲学カフェ「子宮で考えるとは?」

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の佐土原さんより、次回小金井哲学カフェの案内が届きました。



日 時:10月4日(金)19:00-21:00

テーマ:子宮で考えるとは?

場 所:カフェ  broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)

料 金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主 催:小金井哲学カフェ  進行:佐土原



これはまた・・・思い切ったテーマだなぁ。
でも、たしかに気になる言葉ではあります。
真剣に話しあえば、性差や身体について深く考えられそう。
その一方で、他者への配慮や対話への姿勢が問われそうなテーマでもあります。


参加をご希望のかたは、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。

2013/09/29

むこのそう哲学カフェ 10月の予定

こんにちは、まつかわです。
前回にひきつづき、賛助会員の赤井さんより10月の哲学カフェのお知らせです。

25日のシネマカフェは、16日にカフェフィロが開催するO:NIKU+哲学ワークショップと連続で参加していただけるとより一層考えが広がったり深まったりしそうです。
両方参加できる方は、ぜひ合わせてご参加ください。

2013/09/26

9/29 英語で話そう哲学カフェ@伊丹市

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の赤井さんより、哲学カフェのご案内が届きました。
英語で話す哲学カフェ、テーマは"Why do we dress the way we do?"です。

こちらの企画、知り合いの英語の先生が哲学カフェの話をきいて、「自分も参加したいから英語でやろう!」ということで始まったそうです。
日本語の哲学カフェとは、またちがった楽しみがありそうです。

2013/09/23

家族サービス

こんにちは、まつかわです。
昨日9月22日は、岡山大学のまちなかキャンパス、城下ステーションで哲学カフェでした。

テーマは「家族サービス」。
岡山大学の岩淵さんは、大学の先生方が休日家族と過ごすことをうれしそうに語っているのをみて、このテーマを思いついたそうです。
私は私で、けっこう日常的にジレンマやもどかしさを感じることの多いテーマで、家族と一緒にドキドキしながら参加しました。

話してみて、他の人が「家族サービス」という言葉からうけるイメージや、自分がこの言葉を使うときの気持ちを言葉にして、再認識できたのが大きな収穫でした。

ただ、「家族とは何か」について十分に吟味しきれなかったのが、ちょっと心残りです。
たとえば、議論の後半にでてきた「本人が家族と思えば、戸籍上の無関係であろうとペットであろうと家族である」という定義や、「家族は、次世代を育てるためのもの」という見解について。色々思うところはあったのですが、今回は流れのなかでタイミングよく拾い上げることができませんでした。これらの見解を提示した人だけでなく、他の人がこの意見をどう思うか、もっとたくさんききたかったなぁ。

難しいテーマでしたが、時間を置いて、再チャレンジしたいです。


さて、城下ステーションの哲学カフェ、次回は10月27日です。
テーマは「譲れないもの」。

岩淵さんと対話の試みがはじめて、来月でちょうど1年。
みなさんでつくりあげていく即興ライブなので、正直、毎回、今日の秋晴れのようにスッキリとはいきません。他の人がみている景色に驚いたり、とまどったりすることもありますが、それも含めて楽しんでいただける方、ご参加お待ちしています。

2013/09/18

グリグラ哲学カフェ『田舎』

液晶画面からこんにちは。behbluesです。

9/10、進行役(グリグラでは見習い中)をしました。
グリグラ哲学カフェが開かれているのは、山のなかのオールド・ニュータウン北鈴蘭台。ここで今回選ばれたテーマは『田舎』です。

『田舎』と聞くと、自然の多さや、都市とのインフラの違い(汲取便所とか)が浮かびます。
そのすぐ思いつく『自然』について、開始すぐに
「ただ自然があるだけではなくて、そこで人が暮らしていないと『田舎』とは言えないよね。」と一歩深めた意見がでて、確かにそうだ!とはっとしました。

農村部へ嫁がれた参加者のお一人が、
たとえば参加絶対の町内会活動や、子どもの遊ぶ時間・場所についてのその地独自のルールなどでうけたカルチャーショックをお話ししてくれながら、
「『田舎』が何か分からなくなってきた…」とポツリ。
このつぶやきから、たくさんの声がひろがります。

論点はおもに、「歴史を持つ」ことに由来する独特の人間関係の濃さ
(個人単位ではなくかならずイエを背負うということなど)にありました。
そこから、選択肢の少なさにも目が向きます。
『田舎』では
「厭だ、でも、別の選択肢が、その選択肢を選ばないという選択肢が、そもそもない。」
という状況が、いまも、たとえその人が10代だとしても、現にあるということです。

わたしが面白かったのは、
「そのような『田舎』を苦しいと思い、今は自由に暮らしているけれど、
自分のDNAとしては『田舎』を組み込んでしまっているために、今に対して混乱している」
という意見。
DNA=意志でどうこうできるものとは別物 として、自分のなかに『田舎』があるというのは、
わたし自身にその実感はないけれど、なんだかリアルなものでした。
また、いまは空間的な『田舎/都市』というちがいが、
ある年代の人にとっては時間的な変化として感じ取られているものであるということにも改めて気づきました。

全体として、『田舎』の苦しさが語られながら、
しかし『田舎』を否定することもまた苦しい、という葛藤からうまれたような意見がたくさん出ていました。

『都市』での暮らしが語られたとき、今回はあまり丁寧に話を聞けませんでした。
『都市』の成り立ちにはたしかに『田舎』の否定が含まれていますが、
成立期をとうに過ぎた現在の『都市』は、
今回の葛藤のキーとなるような、「否定するのではなく選択肢をふやす」という可能性をもったものかもしれません。
またあらためて、現代の、現在の、『都市』についても考えられたらいいなと思います。


今回の哲学カフェを終えて、
「じぶんには無いと思っていたはずの選択肢が、実はあったのかもしれないと後で気づくしんどさ」
「じぶんが、選択してきたのだということを自覚してしまうしんどさ」
などに思いを馳せました。
そのしんどさに、向き合うというよりは、居直ってふてぶてしく付き合っていけるようになるのが、わたしの目標です。

読んでくださってありがとうございます。
それでは、液晶画面からごきげんよう。


2013/09/17

9/28 小金井哲学カフェ「オリンピックはどうあるべきか」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェの花野さんより、次回開催のお知らせが届きました。



日時:9/28(土)18:00-20:00

テーマ:「オリンピックはどうあるべきか」

オリンピックの東京招致決定は、大きなニュースになりました。
驚くべき記録や素晴らしい演技で観衆を魅了する祭典である一方、開催に関わる問題も指摘されています。

今回は、オリンピックはどうあるべきか、話し合いたいと思います。

場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野


時事的なテーマですね。
開催地の近くに住む人がどんな風に考えているのか、きいてみたい。

参加をご希望の方は小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。


2013/09/13

高校で<テツガク>の授業をすること

こんにちは、まつかわです。

9月11日(水)は中之島哲学コレージュ。
兵庫県立須磨友が丘高校の藤本啓子さん(患者のウェル・リビングを考える会の代表でもあります)をお招きして、「高校で〈テツガク〉の授業をすることについて参加者のみなさんと考えました。



私はカフェマスターと進行を務めさせていただいたのですが、実は今回の企画にのったのにはある理由がありました。
以前、哲学カフェに熱心に通っている人たちに、「お子さんにもこういう機会があったらよいと思いますか?」ときいてみたところ、もちろん「あったほうがいい!」という声もあったのですが、なかには「子どもにはちょっと・・・。子どもが自分の意見を言って言うことをきかなくなった困る」という方もいたんです。
それで、いろんな方に意見をきいてみたくなりました。

とはいえ、こんなイベントのこんなテーマに参加しているくらいだから、やはり「哲学の授業、それも思想史ではなく自分で考える授業をぜひすべきだ」という意見が多かったです。
中には、進学校の国語の授業で、考える機会をなるべく設けるようにしているという先生も。

でも、なかには、「基本的には賛成だけど、哲学ってある意味“劇薬”だから、慎重に考えたほうがよい面もあるのでは」「それぞれの人に合ったタイミングというのがあるのでは」という意見もありました。
哲学をするタイミングについては、他に、「子どもと大人にの狭間の時期に、自分で考える機会があるのはよいと思う」「高校といわず、『ちいさな哲学者たち』のように幼稚園からでもいいのでは」と、意見が分かれました。

もうひとつ意見がわかれたのは、「哲学を独立の教科とするか、他の教科のなかに哲学を織り込むか」。後者の意見も素敵だけど、現代国語や現代社会、政経あたりの授業ならともかく(実際、政経の授業で人工妊娠中絶について激論を交わしたこともあり)、数学の授業で「複素数とはなにか」「微分とは何か」なんて考え始めちゃったら、大学受験なんてできなくなりそうだと思ってしまった私です。

あとから思ったのですが、こういうのは大学受験を経験しているかどうかによっても、考え方が変わるかもしれません。私の高校時代は、受験一色とはいわないまでも、受験までにノルマが終わるだろうかが大きな関心事、というよりはっきり言ってかなりのプレッシャーでした(要するに余裕でノルマをおえるほどかしこくはなかったということです)。あとからきいた話ですが、「高校時代こそ哲学をすべき」と言っていたある参加者の方は、中学、高校と受験したかわりに、大学受験はなく、かなり余裕のある高校時代を送っていたそうです。

そうした会場から出た意見を足がかりにしながら、藤本さんから投げかけられた「学校で考えるということはどういうことか」という問いについても、考えることができました。

最後にちらりと出た「どうやって評価するか?」という問題についても、いつかみなさんと一緒に考える機会があるといいなと思います。




9/21 哲学カフェ「ボランティアと仕事はどう違うの?」@ひと・まち交流館

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の山本さんより、京都ボランティア協会の哲学カフェのお知らせが届きました。



■日時:9/21(土)12:00~13:30(※時間にご注意ください)
■会場:ひと・まち交流館 京都1F 京都ボランティア協会
  ボランティアビューロー
■テーマ:ボランティアと仕事はどう違うの?
■参加費:300円(ドリンク付)
■定員:15名
■アクセス:http://www.kyoto-v.jp/acsess.html


■申込
(社)京都ボランティア協会
FAX: 075-354-8715
TEL: 075-354-8714
E-mail info@kyoto-v.jp
https://www.facebook.com/events/1416711335215483/

主催:京都ボランティア協会


2013/09/10

政府がなかったらどうなってしまうのか?〜後半

こんにちは、まつかわです。
対話する哲学教室「政府がなかったらどうなってしまうのか?」の報告、後半です。

テキストの対話を読んで述べた後は、、ホッブズとロックの思想をご紹介しました。
「これまでは、毎回正反対のようにみえる思想家だったのに、今回はどちらも社会契約論。ということで、「二人の思想のちがいは?」「社会契約論の反対の思想はなんですか?」といった質問がでました。

私はどちらかというとロックの個人を尊重する思想にシンパシーを感じていたのですが、ホッブズの『リヴァイアサン』を改めて読むと、ホッブズが「共通の絶対的な権力」の必要性を説く気持ちも少しわかるような・・・。たとえば、こんな文章。

「すなわち、人間の本性には競争、第二は不信、第三は自負である。
第一の競争は、人々が獲物を得るために、第二の不信は安全を、第三の自負は名声を求めて、いずれも侵略を行なわせる。
第一は、他人の人格、妻、子ども、家畜の主人となるために、第二は自分を防衛するために、いずれも暴力を用いさせる。第三は一語、一笑、意見の相違、その他過小評価のしるしになる瑣末(さまつ)事に関して、それらが直接自己の人格に向けられたか、間接に自己の親戚、友人、国民、職業あるいは名称に向けられたかを問わず、やはり暴力を用いさせる。
社会状態の外では、各人の各人にたいする戦争状態は常に存在する。以上によって明らかなことは、自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある。」

学生のころは全く共感しなかったのに。人間のなかに巣食う、競争や不信や自負の根深さや恐ろしさがわかる大人になったということでしょうか。

もうひとつおもしろかったのは、政治と宗教の関係が、無視できない重要な論点として浮かび上がってきたことです。
社会契約論の反対の思想として、受講者からいくつか案があがったなかに「王権神授説」がありました。しかし、ホッブズの生きた時代は清教徒革命(ピューリタン革命)の時代。王権神授説では限界がありそうです。
そこから、政治と宗教を切り離すことの難しさや、現代日本の私たちの政治状況と信仰との関係についても意見を交わすことができました。



大学で思想史の授業を受けているときはピンとこなかった思想、単に「過去にあった事柄」と捉えていた歴史的事実が、哲学教室ではとても生き生きと感じられます。
受講者のみなさんが、豊富な経験や現代の社会状況を折り込みながら話されるからでしょうね。
テキストのタイトルは『中学生から〜』ですが、さする庵では、大人ならではの哲学教室を楽しんでいます。

次回の「対話する哲学教室」は10月29日。
テーマは「アートの目的とはなにか」です。
詳細は、追ってHP、メールマガジンにてお知らせします。

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2013/09/06

政府がなかったらどうなってしまうのか?〜前半

こんにちは、まつかわです。

8月27日、さする庵にて「対話する哲学教室」を開催しました。
第4回目となる今回のテーマは、「政府がなかったらどうなってしまうのか」(第12章)。
政治系のテーマのせいか、夏だからか、申込の出足はいつもより遅め。
でも、最終的には13名とちょうどよい人数の参加者が集まり、ほっとしました。

みなさんの意見をききながら、なにやら考え込む私。


前半はいつもどおり、テキストの章の冒頭にある対話を読んで、みんなで議論。
今回は、貧しい学生に対するバス運賃の補助金が打ち切られそうになり、補助金が復活するまでバスチケットを買わないよう人々に訴える活動をする隆史と優香の対話でした。
テキストをお持ちの方は、110〜111ページをどうぞ。)

なかでも批判が集中したのが、隆史のこのセリフ。

「でも優香、アメリカやドイツでは、市民の不服従は憲法で認められているんだよ。法律を破るっていっても、ちゃんとした理由があるんだ。じつをいうとぼくは、「これで十分だ」なんて思っていない。テレビのレポーターに興味をもたせるためには、窓を何枚か叩き割るべきなのかもしれない。さぁ、やっちゃおうぜ!」(『中学生からの対話する哲学教室』P.110)

改めて、よくもこんなに意見の分かれるツッコミどころを織り込めるなぁと感心しつつ・・・
特に下線を引いた箇所について、反対派と擁護派が持論を展開します。

「理由があるからって、法律を破っていいんか?」という意見と、「でも、正攻法でどうにもならない状況、やむをえない状況っていうのはある」という意見。

「テレビのレポーターに興味をもたせるためにっていうのはちがうと思う」という意見と、「世論を動かすためには、合理的な方法だ」という意見。

このふたつは、「政治とは何か?」をめぐる問題ですね。
通常の投票による政治で解決できない問題があるとき、どうするか?
これは、マイノリティの問題を考えるうえでも重要です。

それから、もちろん、「窓を叩き割るべき」という隆史に対して、「他はともかく、暴力だけは絶対ダメ」という声があちこちあらあがりました。
こちらは、「暴力とは何か?」「迷惑をかけるとはどういうことか?」という、基本的な社会生活や共生に関わる論点に関わりますね。
窓を叩き割るのは確かに暴力的な行為と言えそうですが、常々、「何が暴力で何が迷惑かの線引きは難しいな」と感じている私は、こんな質問をみなさんに投げかけてみました。

「みなさんが通勤に使っているバスあるいは電車で、学割が打ち切られることになったとします。隆史や優香のような学割復活を訴える運動家に、『学割が復活するまでそのバス(電車)を使わないで』とお願いされたら、みなさんはそのとおりにしますか?」
みなさんなら、この質問にどう答えるでしょう?


長くなったので、続きはまた次回にします。



2013/09/05

グリグラで、ドラマの話

こんにちは、まつかわです。
東京初のNSDセミナーのお申し込み、続々届いております。
もしかしたら、そろそろ定員に達しちゃうかも?
もともと定員が少ないせいもありますが、こういう機会が待たれていたのだなと実感しています。ありがとうございます。

さて、8月27日のご報告です。
グリーングラスの哲学カフェについては、先の三浦さんの報告にあったとおり。
渋滞に巻き込まれて間に合わず、・・・本当に申しわけありません。
交通費を浮かそうとして、高速バスで行こうとしたのが大間違いでした。
今後は、よほど時間に余裕がないかぎりは、新幹線で行くようにします。

急遽、参加者としてきていた三浦さんに進行をお願いしたのですが、私では絶対進行できそうにないテーマをみなさんに楽しんでいただけたのが救いでした。(あくまで結果論ですが。)
対話のなかで、半沢直樹とあまちゃん以外にもいくつかドラマや映画の話題がでてきたのですが、三浦さん、何がでてきても打ち返せるんだもん。真似しようとしてできるもんじゃありません。

私も途中から参加させていただいたのですが、あまりドラマを観ない私でも、自分がドラマ(というより、「ドラマ的なもの」かな?)に何を求めているのか認識できて、おもしろかったです。
「あのドラマのあのシーンなら、何度でも観れる!」という人の理由も、「ドラマは観ない」という人の理由も、同じぐらいおもしろかった。
ドラマひとつとっても、その人が人生でどんなことに時間を費やす価値があると思っているかが感じられるものなんですね。
ドラマに疎い私でも楽しくドラマの話ができて新鮮な体験でした。

次回、グリーングラスの哲学カフェは、9月10日(火)です。
詳しくはこちらをご覧ください。


2013/09/03

半沢直樹とあまちゃんはなぜうけるのか?

三浦です。8/27に行なわれたグリーングラスでの哲学カフェの報告をします。
この日は、夜の大阪での「対話する哲学教室」とともに、参加者として見聞しようと、早起きして名古屋からやって来ていました。
松川さんが交通渋滞で遅れているということで、テーマの候補だけでも出しておきましょうと、あるお母さんの呼びかけで開始予定時刻よりも7分ほど早く始まりました。
「考えるって苦しいこと?」「リタイアのあとの人生」「新生児はどういう存在か?」と、いくつかの候補が出された頃に、松川さんからの要請で急きょ私が進行役をすることに。「いいですよ」と引き受けましたが、あのままテーマ出しをされていたお母さんの進行で進んでいたら、どんな対話になったのだろう・・・と(進行役はある意味誰でもできると考えている)私は空想してしまいます。

さて、本題。
5つほどテーマ候補が挙がったところで、いつもならここから「挙手による多数決」でテーマを決めるとのことでしたが、私は「自分の推しテーマをその理由とともに述べてください」と言って、もう少しテーマ決定に時間と対話を費やそうと思いました。
すると、「自分は半沢直樹もあまちゃんも観ていないんだけど」とおっしゃりながら、ある男性の参加者が、「両者のヒットはやはり現代の世相を反映しているはずで、その意味でもこのテーマは気になる」と言われました。参加者の中には、「あまちゃんはおもしろく観ているけれど、半沢直樹は前回観たもののそこまで夢中になれなかった」という方や、「そもそも考えないで済むドラマは観ない」という方もおられましたが、そういった方々も、「なぜ、いまこの両ドラマがこれほど話題になっているのか」はやはり気になるらしく、両者のドラマに文字通りはまっている何人かの参加者の熱い語りの数々に熱心に耳を傾けています。そこで、あらためて多数決をとることもなく、「半沢直樹とあまちゃんはなぜうけるのか?」をテーマとすることに決定しました。もちろん、進行役の私が両ドラマにずっぽりはまっているのは言うまでもありません。

はじめに両者の共通点として、「バブル期が下敷きになっている」ことや「原作、脚本がいい」という点が挙げられ、「銀行や病院、学校など、業界特有の世界を描くと、人気が出る」という意見が出されました。確かに「白い巨塔」や「踊る大捜査線」など、私たちのうかがい知れない世界の実態を暴く系のドラマはいずれも大ヒットしています。
また、ドラマをほとんど観ないという参加者からは、「ドラマにひとは何を求めているんだろう」という疑問が出されました。「楽しむだけの、ただ観て泣くだけの、つまりは現実逃避するだけのドラマ」がヒットするということは、私たちが真実から目を背け、ものを考えようとしていないことの証左なのではないか、という批判です。
その意見に対しては、「ドラマ(つまりは虚構)を通じて真実を発見していく」ということも可能で、ドラマとは真実に色(=脚色)をつけるということにほかならず、その色の付け方が「うける/うけない」に関わってくるのではないかという考えが出されたりもしました。たとえば宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』にしても、実在の人物である堀越二郎の半生を描くにあたって、そこに堀辰雄の小説『風立ちぬ』のモチーフを持ち込みながらドラマ化を図っているのであって、「事実をどうドラマ化するのか」が作り手の腕の見せ所だというわけです。
そして、あまちゃんでの「海女クラブのわいわいやっている雰囲気が好き」という感想から、ああいう「昔はあったが、いまはない場」にどこか憧憬を感じ、こういう哲学カフェの場もまさにそういう場所なのではないか、という言葉でもって、この日の対話を終えました。

後半から参加された松川さんからは、「いつものグリグラでの哲学カフェではぜったい選ばれないテーマだ」と言われましたが、こういう世間ネタからでも、「ドラマと真実の関係」にまで話が及ぶきちんとした対話のやり取りができるということを再発見できて、私としても楽しい一時間半余りでした。

2013/09/02

「コレージュのかせつ、再び」

こんにちは、まつかわです。

さっそくNSDセミナーに申込してくださったみなさん、ありがとうございます。
お会いできること楽しみにしております。

セミナーの準備やらたまった仕事やらで、まだ先週の報告をじっくり書く余裕がありません。
そこで今日は、先月「コレージュのかせつ、再び」について、ゲスト菊地さんの感想をご紹介しておきましょう。


きくちさんがほんまさんにした、4つの質問
http://kikutinogakuya2013.blogspot.jp/2013/08/201387b11.html


きくちさんの感想



4つの質問、本当に印象にのこっています。
以前やった「コレージュのかせつ」のときと、本間さんの考えというか答え方が変わってたのも、興味深かった。
これから私も折に触れて、自分自身に問いかけてみるだろうと思います。



2013/09/01

東京初☆ NSDセミナー、開催します!

こんにちは、まつかわです。

大変長らくお待たせしました。
久しぶりに、カフェフィロセミナーのご案内です。

10月5日(土)〜6日(日)の二日間、東京初のNSDセミナーを開催します。

NSDをきちんと体験していただくには、最低でも2日間かかります。
よって今回は、5日(土)と6日(日)の両日フルで参加できる方のみを対象とさせていただきます。

詳細はこちら→哲学対話入門:ネオ・ソクラティックダイアローグ(NSD)を体験しよう

哲学カフェだけじゃ物足りない。
もっと哲学対話について知りたい。
様々な対話法やファシリテーションに興味がある。
そんな方の参加をお待ちしております。

じっくり哲学と対話を味わう特別な週末をお楽しみください。

以前大阪で開催したNSDセミナーの様子。
少人数でじーっくり対話を体験します。