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2013/05/27

【告知】6/7 小金井哲学カフェ「一兆年後の社会を想像してみる」

またまた、まつかわです。
つづいて、関東の哲学カフェ情報をお届けします。
小金井哲学カフェより、次回開催のお知らせです。



日時:6/7(金)19:00-21:00


テーマ: 一兆年後の社会を想像してみる

 遥か未来、世界はどうなっているのでしょう。
 社会や人々の心などを想像してみます。


場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ(さどはら)



一兆年後・・・?
これは、みなさんの想像力が試されそうですね。
参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。

【告知】6/16 むこのそう哲学カフェ「デジタル技術によって人は生きやすくなったか」

こんにちは、まつかわです。
むこのそう哲学カフェより、次回のお知らせが届きました。
またまた新しい場所なので、地図入りのチラシをそのままご紹介します。




ご関心のある方は、どうぞ前回のご報告もご覧ください。

2013/05/23

報告:むこのそう哲学カフェ「我を忘れる、そのとき私は何を忘れるの?」

こんにちは、まつかわです。
武庫之荘哲学カフェより、5月19日に開催した哲学カフェの報告と次回開催のお知らせが届きました。

報告はこちらよりどうぞ。


次回は6月16日(日)14:00-16:00、テーマは「デジタル技術によって人は生きやすくなったか」だそうです。

2013/05/17

学校のそとでも〈こどものてつがく〉!!  p4c@箕面市多文化交流センター


「こどものてつがく」は、こどもが話したいこと、
関心のあること、考えたいことについて、
なんでも楽しくおしゃべりできる場です。
どんなことでもみんな聴いてくれる、
他のひとと違っていてもいい、
安心して話せる場をいっしょにつくりましょう。


日時 5月25日/6月1日(土)それぞれ13:00~14:00
対象 小学校3年生~6年生 定員:10名
   (保護者の方を除き、大人の方の見学等は受けつけておりません)
場所 箕面市立多文化交流センター 2階 子ども活動室 
   〒562-0032 大阪府箕面市小野原西5-2-36

主催 箕面市立多文化交流センター 
指定管理者:(公財)箕面市国際交流協会
共催 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター
協力 カフェフィロ
お問いあわせ 箕面市国際交流協会TEL : 072-727-6912 / FAX : 072-727-6920


哲学喫茶瓦版2013-vol.1発行!「いま、震災について語るとは」

こんにちは、まつかわです。
カフェフィロのニューズレター、哲学喫茶瓦版の最新号がでました。
今回は、「いま、震災について語るとは」と題して、3つの活動をご紹介しています。

「いま 南相馬で暮らすって、どういうこと?」 
原発問題に揺れるふるさと、福島県南相馬市で哲学カフェをはじめたカフェフィロ正会員、辻さんによるレポート。 

「これからのことば」 
京都で「21世紀の公民館」を目指すSocail kitchenさんで開催した「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の映像資料の上映会+哲学カフェ、ナビゲーターの金谷さんによる報告。

「いま、阪神大震災を語るということ」 
京阪なにわ橋駅構内アートエリアB1で開催されたクロストーク、進行役の小松原さんによるレポートとゲストお二人の感想。阪神大震災から17年たった今だから語れることとは?


会員のみなさんには、今月末〜来月上旬頃にご登録のご住所にお届けする予定です。
更新がまだの方、新規入会をご希望の方は、カフェフィロ事務局までお申し込みください。
賛助会員募集のご案内



ところで、この哲学喫茶瓦版、「もう少し濃い文章が読みたい」というリクエストをいただいて紙面を増やしてから、発行が不定期(不安定とも言う。汗)になってしまっています。
いつ出せるかわからないけれど、できるだけ出したい!という思いを込めて、今回から号数を「vol.●」とカウント式にしてみました。
いまのところ、1年の総量は2ページ時代から変わっておらず、発行回数が減ったぶん、内容はちょっぴり濃くなっておりますので、大目にみていただけるとうれしいです。


2013/05/15

愚痴を言うのは悪いこと?


こんにちは、まつかわです。
今日はグリーングラスの哲学カフェがありましたが、その前に、5月12日に岡山で開催した哲学カフェのご報告を・・・。

今回は、10名の方が参加してくださいました。
おひとり、途中で「仕事でぬけまーす」と言って、最後にまたおやつを持って戻ってきてくださいました。うれしい。途中入退場自由、それが哲学カフェのいいところです。

テーマは「愚痴を言うのは悪いこと?」。
まずは、テーマを提案してくれた岡山大学の岩淵さんに、このテーマを提案した理由をききます。

愚痴を言ってはいけないとして教育されてきた。 けど、ぽろっと言ってしまう。 愚痴がない社会はありうるのか。 ポジティブな面もあるんじゃないか。 みんなは愚痴はどのように付き合っているの?

すると、こんな意見がでてきました。

  • よい愚痴もあれば、悪い愚痴もある。改善につながる愚痴はいいけれど、不満や悪口を通して人とつながるのはイヤ。
  • ぽろっとでた愚痴は本音だと思う。愚痴は本音をきける機会。
  • 愚痴は、解決を求めていないのではないか。
  • 違和感を言葉にしながら、確認する。
  • 安心して愚痴を言える場所があることが大事。


なかでも私にとって新鮮だったのは、「ちゃんと愚痴になるように気をつけている」という言葉。
「ちゃんと愚痴になるように」。
その方は、自分の言葉が、その場の言葉のやりとりだけで蒸発するように消え、現実に影響を及ぼさないことを、静かに、でも力強く肯定しました。
なるほど確かに、愚痴は愚痴として受け止められること、つまり聞き流してもらえることが重要で、愚痴だと思って言った言葉によって現実が変わっちゃったら、恐いような気がする。

「愚痴を言い合って共感する人が集まって、それが農民の一揆のように現実を変える力になることもある」という方向から愚痴をポジティブに捉える意見もありましたが、それだけだと、愚痴の愚痴たるよさを捉えきれていない気がする。

  • 最終的に改善や解決につながらない愚痴にも意義があるとしたら、それは何か?
  • なぜ「提案」という形じゃなく、「愚痴」なのか?
  • なぜ「一揆」の前に、愚痴を言い合う段階が必要なのか?


何度も何度も愚痴とは別の何かによって愚痴を肯定しようとする流れに流されそうになりながらも、しつこく食い下がりました。
そして、愚痴と愚痴でないものの区別を探るうちに、すこしずつわかってきたことがありました。

  • 愚痴を言ってる段階では、現実を変えるために労力を割く気はない。でも、『あわよくば』という気持ちはある
  • いきなりSOS出すのはハードルが高いし、受け止めるほうも重い。


つまり、愚痴というのは、(もしそれがちゃんと愚痴になっていれば)言う方も聞く方も負担が少なく、現状や危険の確認したり共有したりできる行為なのではないかということです。
あらゆる問題について、優先順位も決めずに手当たり次第に手をつけていたら身がもたない。そんな現実のなかでは、いきなり問題に着手するのではなく、まずは愚痴をこぼし合いながら、誰かと問題を共有したり、確認したり、信頼関係を築いたりすることが重要なのではないか。たとえば学校のなかにも、子どもの愚痴をきいてくれる人がいてくれたらいいね。そんな話をして、この日のカフェを終えました。


絶妙なタイミングで絶妙な体験談を話してくれる人、
それまでの発言をふまえてシンプルな仮説を出してくれる人、
なんとなく感じている迷いを大げさにでもなく卑下するわけでもなく等身大の言葉に置き換えてくれる人。
この日は、本当にひとりひとりの意見や語り方のちがい、それぞれのその人らしさがうまく組み合わさって、単に意見を交換するだけでなく、全員で一緒に考えるということができたように感じました。

岡山で哲学カフェをはじめて約半年。私も、関西風のツッコミに頼らない語りに慣れてきたのかもしれません。


会場の城下ステーションへ向かう途中でみかけたスワンボート。
後楽園の近所です。

2013/05/14


哲学カフェ@ナツホシ(サンナミジ)6/8

二年半、哲学カフェを続けてきた京都のカフェサンナミジさんが、
「雑貨&貸しスペースナツホシ」として新しく生まれ変わりました!
これからも「哲学カフェ@ナツホシ」として継続します。

この哲学カフェでは、集まった人たちでテーマを決めて話し合う、
というやり方を続けています。
4月のカフェでは、「ふれる」をテーマに多角的に考えてみました。

 日 時 6月8日(土) 14:00−16:00
 場 所 雑貨&貸しスペースナツホシ(旧カフェサンナミジ http://sannamiji.com/access.html
 テーマ 当日参加者から募ります
 進行役 本間直樹(カフェフィロ)
 参加費 1,000円(ドリンクつき)
 交 通 阪急京都線大宮駅下車5分
 主 催 カフェフィロ、雑貨&貸しスペースナツホシ
 問合せ info@cafephilo.jp(担当:本間)
 備 考 予約は必要ありませんが、会場の都合上席数に限りがあります。
     進行役は変更されることがあります。

報告:書評カフェ『100万回生きたねこ』

三浦です。
相変わらず報告するのが遅いわけですが、4月13日(土)にCats Galleryで行なった書評カフェの報告をします。佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』を取り上げました。

最初に私が本文を朗読し、つづいて自由に疑問点や意見を言ってもらうというやり方で進めました。何回か言い間違えてしまうなど、絵を見せながら本文を朗読するのはなかなかむずかしかったです。

ねこは、「飼い主がきらい→だいきらい→自分がすき→自分より白ねこ、子ねこがすき」というふうに好き嫌いの感情を移していくのですが、この展開に対しては、「ひとは自我が芽生えだす幼児の頃にまず親や家族が嫌いになり、それが反抗期になると大嫌いとなって、自我の確立をへて今度は自分のことが好きになり、そして家族をもつと、自分より家族のほうが好きになる」ということからも、「この物語は、一人の人生の寓話を描いているのではないか」という意見が出たり、あるいは、「ねこはお金持ちに飼われたり、いろんな場所に行けたり、拍手喝采を浴びるなど、さまざまな経験をしてきたが、だからといって幸せなわけではなかった。それが愛する対象を得ることで幸せになったのであり、ゆえにこの物語は『なにが幸せなのか?』を問うている物語なのではないか」という考えが出たりもしました。
また、「生き返らなくなったねこに対して、読者が『よかったね』と思えるのはなぜか」という問いに対しては、「愛する喜びをねこが知ったから」という意見が出て、そこから、「生の意味は、愛される、自分を愛するでもなく、他人を愛するという点にあるのだろう」という考えを得たり、さらに「生は長さではなく、重さが大切」ということを確認したりもしました。

途中、気が付くと二匹の猫たちが受付のレジカウンターから私たちをじーっと見ていたりして、猫に対話を覗かれているような、そんな奇妙な感覚にとらわれたりもしておもしろかったです。

次回は、6月29日(土)を予定しています。



             前回とは逆に猫側からこちらを撮ってみました。

2013/05/13

お母さんの哲学カフェの様子

まつかわです。
資料を探していて、だいぶ前に友人のきくちさんの「楽屋」に書いた文章を久しぶりに読み直した。
神戸のお母さんたちのグループ〈グリーングラス〉の哲学カフェの様子を(ごくごく簡単に)紹介しています。

ちょっと覗いてみたい方は、菊地さんの楽屋のこちらのページの〈まつかわ〉の欄から辿ってください。


6/1 エンディングノートを完成させよう会@さする庵

こんにちは、まつかわです。
「対話する哲学教室」でお世話になっているさする庵より、好評の「エンディングノートを完成させよう会」のお知らせが届きました。

ご関心のある方は、ぜひ、さする庵の案内ページもチェックしてみてください。





今回は住職をお招きして、葬送についてお話をうかがえるそうです。
そういう機会って、なかなかないですよね。
うちも実家の宗教は仏教なのに、戒名のこととか全然知りません(汗)。
私も関西に住んでいたら、家族と一緒に参加したいです。

2013/05/12

5/26 びわこ哲学カフェ:思考実験に挑戦「喫茶店で暮らす人々」

こんばんは、まつかわです。
小金井哲学カフェにひきつづき、びわこ哲学カフェからも次回開催のお知らせが届きました。


◾びわこ哲学カフェ
  • 日時:5月26日(日)15:00-17:00
  • 場所:ギャルリーオー JR大津駅から徒歩9分)
  • テーマ:思考実験に挑戦「喫茶店で暮らす人々」
   哲学の思考実験を紹介したあと、関連するテーマについてみんなで考えます。


  • 参加費:無料(カフェでのオーダーにご協力下さい。) 
   参加申し込み等詳細はHPをご覧ください。

  • 主催:びわこ哲学カフェ(やまもと)



思考実験とは、仮定した前提から思考のみによって遂行する実験のこと。
「喫茶店で暮らす人々」とは、どんな思考実験なのでしょう?
参加をご希望の方は、こちらよりお申し込みください。

5/18小金井哲学カフェ 「読書について」


こんにちは、この世で一番好きな場所は?と尋ねられら「図書館!」な、まつかわです。
お友だちの小金井哲学カフェより、次回開催の案内が届きました。



日時:5/18(土)18:00-20:00

テーマ:「読書について」

最近、本を読んでいますか?
読んでいる人は、どんな本を読んでいますか。
読まない人は、なぜ本を読まないのでしょうか。

今回は、読書について話し合ってみたいと思います。

場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ(はなの)



ちょうど、「やっぱり、1日ちょっとは本を読む時間がないと、ときどき本屋か図書館に行かないと、なんだか元気がでないなぁ」と感じて本やに寄って帰ってきたところだったので、「なんてタイムリーなテーマ!」とひとりごちてしまいました。残念ながら、遠方で参加できないけれど(涙)

運良く「近所で他の予定もないわ」という方、どうぞこちらよりお申し込みください。

コミュニケーションが場所によって変わるのはなぜ?

こんにちは、まつかわです。
アタマの整理に時間がかかり遅くなりましたが、4月24日の午前中に開催した、グリーングラスの哲学カフェの報告です。(長いです。汗)

グリーングラスの哲学カフェは、様々な年代のお子さんのいるお母さん方が中心に集まっています。
「そのとき一番話したいこと、考えたいことをテーマに選びたい」ということで、毎回、参加者からテーマを募り、多数決でその日のテーマを決めます。
今回は、3つのテーマが提案されましたが、最終的に「コミュニケーションが場所によって変わるのはなぜか?」が選ばれました。

このテーマを提案してくださった方は、最近、引っ越しをされたそうです。
前に住んでいた土地では、挨拶ついでにいろいろおしゃべりしたのだけど、引っ越し先では挨拶だけ。それはどうしてだろう?

地域によって違うのか、一戸建てとマンションのちがいなのか、それとも、田舎と都会のちがいなのか。「TPOによってコミュニケーションが変わるのは当然」、「場所ではなく、相手によっても変わる」、「そもそも挨拶はコミュニケーションには含まれない。コミュニケーションはもっと深いものだと思う」などなど、様々な方向から意見が飛び交います。



そんな中、議論の流れをぐっと引き寄せたのは、こんな一言でした。
「マンションは、親しくなろうと思えばいくらでも親しくなれる。だから、マンションに住む人は、わざと意識的に距離を置くようにしてんねん。そうしないと、自分の暮らしやプライバシーを守れないから」
これまで、グリグラでも何度か「コミュニケーション」をテーマに話し合ってきましたが、「どうしたら理解できるのか、理解してもらえるのか」といった問題が中心で、どちらかというと「コミュニケーションは深ければ深いほどいい」という前提で話し合うことが多かったような気がします。
しかし、「自覚的に距離を置く」「自分を守る」ことをポジティブに評価しながらコミュニケーションや挨拶を振り返ってみると、また、ちがった側面がみえてきます。

たとえば、道を尋ねるとき、どんな人に声をかけるか?
子ども連れの人、犬を連れている人に話しかけやすいのはなぜか?
反対に、どんな場合には声をかけないようにしているか?
挨拶だけにとどめるか、天気の話題なろプラスαにとどめるか、それともそれ以上つっこんだ会話をするか?
引っ越しの挨拶をする場合としない場合とのちがいは?

私たち大人はこれらの判断を、ほとんど無意識のうちに瞬時に行っています。が、いざ、子どもにそれを言葉で教えようとするとうまく説明できない。場所、時間、相手の外見や様子、自分の外見や立場、その人との関係・・・それらのどれかを切り取ってきて判断するわけにいかないし、それらの組み合わせで判断するにせよそのパターンはいちいち言語化できるほどシンプルでもない。
そこから、私たちがこうした他者との距離の置き方を「経験によって少しずつ学んできた」ことがわかります。新しい環境のなかでは、また新しく学び直さなければいけないものなのかもしれません。

最初に、テーマを提案してくださった方が、「私という人間は全く変わっていないのに、場所が変わっただけでコミュニケーションが変わるのって不思議」と言ってくれたとき、私は、「今回は、コミュニケーション能力云々とはちがった角度から、コミュニケーションについて考えられるかもしれない」と期待しました。
その期待は半分当たったけれど、半分はずれました。
結局、最後に明らかになった、適切な距離感を判断する能力は、一種のコミュニケーション能力のようにも思えます。その一方で、コミュニケーションはいつでもどこでも深ければ深いほどいいというわけではない、という意味では、巷にあふれる「コミュニケーション力のつけ方」とは異なる角度から、コミュニケーションの力について考えることができました。

そういう意味で、途中、Yさんが展開した、“おばちゃん”論も面白かったなぁ。
Yさんによれば、“おばちゃん”とは、ある年齢層の女性を指す言葉ではないのです。近所の人に声をかけようとおもっても、「迷惑なんじゃないか」「しんどくてそんな気分じゃないかも」と考えているうちに、声をかけそびれてしまう、そういう人は“おばちゃん”ではない。“おばちゃん”とは、全く知らない人にも躊躇なく話しかけたり“アメちゃん”を配ったり、そうやって(ときに図々しく)一気に相手との距離を縮められる人のことを指すのだと。

だとすると、私が住んでいる岡山には、シャイな“おばさん”ばかりで、ほとんど“おばちゃん”はいないことになるのですが、あなたの地域はいかがでしょうか?


次回、グリーングラスの哲学カフェは、来週、5月12日(火)10:30からです。
土日や平日夜の哲学カフェになかなか参加できないという方、ちょうどその日は空いてるわという方、どうぞ気軽にご参加ください。
私が知る限り、最も日常生活に近いリアルな哲学が展開される場所です。

2013/05/05

5/19 むこのそう哲学カフェ「我を忘れる、そのとき私は何を忘れるの?」

こんにちは、まつかわです。
こちらのブログでは、カフェフィロ賛助会員が自主的に開催している哲学カフェを応援すべく、こちらで開催情報をご紹介しています。

本日は、むこのそう哲学カフェのご紹介。
場所がわかりやすいようにと、今回は、チラシに地図と写真つき。親切です。
こうして会員のみなさんの活動をご紹介していると、「よく、そんなテーマを思いつくなぁ」と関心させられることばかりです。そして、そのたびに「私も今度どこかで、そのテーマでやってみようかな」って思うんだけど、次から次へと面白いテーマが届いて、全然追いつけない!

「むこのそう哲学カフェってどんな感じ?」という方は、むこのそう哲学カフェのサイトへどうぞ。過去に開催された哲学カフェの様子が報告されています。

2013/05/02

5/10 小金井哲学カフェ「人生に意味はあるのか」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回開催のお知らせが届きました。



日時:5/10(金)19:00-21:00

テーマ: 人生に意味はあるのか

場所:カフェ broom & bloom(http://www.yadocarism.com/cafe.html
   東京都小金井市前原町3-40-20-106

料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ(さどはら)

※ 今回は事前申込みの必要はありません。
当日直接お越しください。


今回はお申し込み不要だそうです。
小金井哲学カフェのサイトはこちら

西山雄二編『人文学と制度』(2013年、未來社)

こんにちは、まつかわです。
以前中之島哲学コレージュの「哲学への権利」の回にゲストとして来てくださった西山雄二さんより、『人文学と制度』(2013年、未來社)が届きました。
西山さんが編者をされたそうです。

学問が有意性・適切性の審級にさらされ、経済主義的論理への応答を求められる現代において、世界の人文学者はなにを考え、いかなる未来を描くのか。社会的制度としての大学を根源的に問い、さらなる哲学の実践を提示する充実の論集。(amazonの「内容紹介」より)

カフェフィロの本間さんが、「哲学カフェと哲学プラクティス」の項を執筆しているほか、「哲学への権利へと制度への愛」(西山雄二)、「主体と制度を媒介する哲学教室」(阿部ふく子)など、哲学実践に関心のある方にも興味深い言葉が目次に並んでいます。
関心のある方は、ぜひ本屋で手におとりください。


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