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2014/10/30

親子とはなにか?

こんにちは、まつかわです。
先週は24日(金)、25日(土)と2日連続で、岡山の公民館でお仕事でした。

10月24日(金)は、岡山市立高島公民館。
夏に小学生を対象に絵本を読んで考えるワークショップをしましたが、今度は20~40代の女性対象です。
「子どもとわたし、今とこれから」と題された4回連続の女性応援講座の最終回を担当。
女性のための哲学カフェで「親子とはなにか?」について話し合いました。

タイトルからわかるとおり、参加者のほとんどは「お母さん」(お子さんの年代は2歳から大学生まで様々)。「子どもに対して親として何をしてあげられるか」、「何をすべきか」という悩みもたくさんでましたがが、みなさんのご両親のことも同じぐらい話題にでてきました。

以下、個人的な感想ですが・・・

一番印象に残っているのは、「うちは惑星だから」という言葉です。
家ごとにルールや慣習が異なることをうまく表現した言葉だなぁ、と。
その方はお母さんとはだいぶタイプがちがうらしく「宇宙人みたい」と言われたことがあるそうですが、お母さんが「落ち着かない」というその惑星で、お父さんが意外とくつろいでいるというのがまた興味深い話でした。

もうひとつ面白かったのは、お父さんが船乗りという方の話。
小さいころからお父さんが家にいることが少なく、10代のころも反抗期がなかったのに、大人になった今頃になってお父さんと過ごす時間が長くなって、反抗期みたいなものが訪れたということでした。
ここから、反抗期は、ある一定の年齢で訪れるものではなく、親と過ごした年月によって訪れるのではないか」という仮説が浮かび上がりました。
この仮説を検証するまでには至りませんでしたが、私も反抗期が遅れてやってきたタイプだったので、「なるほどなぁ」と印象に残ったのかもしれません。
ちょうどお子さんが反抗期中で困っているというお母さんもいて、感慨深そうにきいていました。

この女性応援講座、後期の最終回(1月23)にも哲学カフェを行う予定です。

お誘いくださった高島公民館の儀三武(ぎさぶ)さんによると、公民館と哲学カフェは「参加者主体」という共通点があり、とても相性がよいのではということ。
哲学カフェ終了後のインタビューで詳しいお話をうかがったのですが、とても興味深い話ですが。こちらは、次号『哲学喫茶瓦版』に掲載の予定です。お楽しみに。

10月25日(土)の岡山市立中央公民館と山陽女子高校のコラボ企画「どーなつカフェ」ノ報告は、長くなるのでまた別記事で書きます。



2014/10/27

むこのそう哲学カフェ11月の予定

こんにちは。赤井です。
今日は突然の雨の後、ぐっと冷え込んで秋も深まって来たなあと首をすくめながら歩いて来ました。

さて、11月のむこのそう哲学カフェのお知らせです。
2日の「劇場の哲学/哲学の劇場」は大阪梅田のカラビンカで行います。
9日はeカフェ、16日はシネマカフェ、23日は哲学カフェ、と続きます。

会場はいづれも武庫之荘駅周辺です。阪急神戸線梅田駅から普通で15分です。

2014/10/23

テツドク!『顔の現象学』(2)

こんにちは、まつかわです。
先週水曜日、10月18日は、さする庵にてテツドク!を開催しました。
理学療法士の玉地雅浩さんと『顔の現象学』を読む、第2回目です。

1回目の前回は、「顔は肖像や表情なのではない。像や記号ではない。」「顔はわたしを呼び出す」といった本のなかの言葉とともに、「〈顔〉という現象」について考えました。

2回目の今回は、最後に参加者のなかのひとりが言ってくださったように、「〈顔〉の社会性」について考える回でしたね。
その際、一つの要となったのが、これもある参加者が投げかけてくれた「『顔は記号ではないが、コードである』とはどういうことか?」だったのではないでしょうか。

あれこれ話すなかで朧げにその糸口をつかみかるところまではいくものの、なかなかすっきり納得のいく理解に至れずにいましたが、「『動物の顔を動物の顔として見るのは難しい』とはどういうことか?」という質問と、その参考にと玉地さんが示してくださった動画が大きなヒントになりました。
飼い主らしき人に応えるように、同じようにみえる動きをする犬の映像です。
私は、犬が同じような動きをすることはもちろんのこと、それ以上に、人と犬の動きを「同じ動き」として捉える自分自身の見方が大変興味深かったのですが、参加者のみなさんはいかがでしたか?

私は以前にもこの『顔の現象学』を読んだことがあるのですが、このテツドク!では、こうして玉地さんが示してくださる画像や動画のおかげで、言葉とイメージを行ったり来たりしながら思考を深められるのが面白いです。
哲学って言葉でするものと思いがちですが、参加者の問いかけに対してイメージをそっと投げ返す玉地さんと、そこからまた新たな問いを引き出す参加者のみなさんのやりとりをみていると、哲学の問答って言語の次元だけでなく、もっといろんなやり方があるんだなぁと実感します。


次回の開催情報については、こちらをご覧ください。
それぞれの「〈顔〉とはどのような現象か?」とい問いに対する答えをきけること、楽しみにしています。



2014/10/16

10/18 テツドク!プラトン『国家』を読みませんか?

こんにちは、廣井です。
本日は10/18に東京で開催する「テツドク!~プラトン『国家』」のご案内です。

プラトンと言えば、ソクラテスの弟子で西洋哲学のドン的な存在。
数々の著作を残していますが、今回取り上げるのは主著の一つの『国家』です。

国や政治のことなんて関係ない、と食わず嫌いの貴方、もったいない。
『国家』のなかでも今回取り上げるのは、特に有名なエピソード「洞窟の比喩」の箇所です。
ここで私たちは、生き方や生きる姿勢について考えさせられます。ではいったい、どのよう生きよ、とプラトン(ソクラテス)は言っているのでしょうか?

おそらく、前回のテツドク!ハンナ・アーレント『イエルサレムのアイヒマン』にご参加いただいた方には、2著作間に共通するテーマが見えてくるはずです。
哲学の知識がなくてもどうぞご心配なく、道案内をしてくれる案内人がいますのでお気軽にご参加いただけます。

今回は解説も対話もじっくりとお楽しみいただけるよう、時間を長くしました。該当箇所はプリントで配布しますので、本をお持ちになったり事前にお読みになる必要はありません。
ご参加をお待ちしております!

★~☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆~★

○日 時: 1018日(土) 14:00-16:30
○場 所: 大田区民プラザ 第4会議室
○交 通: 東急多摩川線下丸子駅下車すぐ
http://www.ota-bunka.or.jp/facilities/plaza/access/
○題 材: プラトン『国家』 岩波文庫
○紹介者:三浦隆宏 (カフェフィロ、椙山女学園大学)
○参加費: 3000円(資料、1ドリンク付き カフェフィロ賛助会員の方は2,500円)
○定 員:15名
○備 考: 要申込(お名前、ご連絡先を明記の上、下記宛先まで事前にお申し込みください。なお、会員の方はその旨お知らせください。)
○主 催: カフェフィロ
○申込み:hiroizum@cafephilo.jp (廣井)



2014/10/14

10/25 小金井哲学カフェ「合理的とはなにか」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより次回開催情報が届きました。


日時:10/25(土)18:00-20:00

テーマ:合理的とはなにか

辞書によれば「1.道理や論理にかなっているさま。2.むだなく能率的であるさま。」とのことです(デジタル大辞泉より)。

1.の意味では、たいていの人は道理や論理にかなった行動・考え方をしていると思われるし、2.の意味でも、無駄なくや能率的なほうが好ましいと考えられるため、そうなるように行動すると考えられます。すなわち、「合理的」という言葉を持ち出すまでもなく、自然に合理的な判断や行動が取られると考えられます。

しかし、現実は「合理的」という言葉の名の基に、判断や行動は行きつ戻りつする場合は数多く見受けられます。

今回は、「合理的とはなにか」について話し合いたいと思います。

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野


参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりご予約ください。


『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

こんにちは、まつかわです。
10月1日(水)の中之島哲学コレージュでは、大阪大学文学研究科の青木健太さんと一緒に絵本『だいじょうぶだよ、ゾウさん』を通して死について考えました。






絵本で死について考えるシリーズ(と言い切ってみる)『100万回生きたねこ』に続いて、今回は『だいじょうぶだよ、ゾウさん』。ざっくりいうと、おさないネズミが成長を経ながら年老いたゾウを見送るというストーリーです。前回は「死」そのものに流れていくような話でしたが、今回は「看取る/看取られる」について考えたくなる話です。

参加者は20数人、パッと見て若い人が多いかなという印象。今回は最初に問いを設定せず、おのおの気になるところについて話してもらいました。

今回の絵本には「ゾウの国」と呼ばれるところが出てきます。ゾウはそこに亡くなった両親や兄弟、友だちがいるといい、いずれ自分もそこにいくとネズミに告げます。この「ゾウの国」とそこに行くことをどうとるかで色々考え方が分かれます。死に際を見せないように一人になりたい、世話をされることで自由がきかなることを嫌がったんじゃないか、死んで他のところ行く、墓に入ることだ。

ゾウの国へと渡る吊り橋は壊れてしまっていて、最終的にはネズミがそれを修復してゾウを見送ることになります。このシーンについても考え方は割れました。理想的な別れ、死の決定を当人ではなく他者が握っている。様々な人との関係の中で死んでいく、でも自分の死は自分で選びたい、そういう思いと絡み合っているように私には聞こえていました。

もうひとつ見解が分かれたところは、「ネズミとゾウ」の関係。こちらは後半でどんな風に考えるか問いにして聞いてみました。親子、親戚、仲良し、介護する側とされる側。脳と身体なんて発想もありました。ネズミとゾウの体格差は経験や知識の豊かさを表しているという考え方も出てきました。

こうして後から振り返ってみると、比喩とか想像の強弱みたいなものが対話の中身の色合いと結び合わさっているように思えます。「ネズミとゾウ」の関係についていうと、「脳と身体」はかなり強く比喩として考えているし、「親子」という発想も「ネズミとゾウ」に血縁はないはずだから喩えとしてとっているはず。逆に「仲良し」は喩えとしてというより、むしろ見たそのままで考えている。描かれているものをそのまま捉えたり、何かの喩えとして考えたり。その間にはグラデーションがあって、微妙なニュアンスの違いを生み出すだけの余裕がある。

絵本は、ページとページ、文と文、言葉と言葉のあいだに丁度いい空白があって、だから見たまま読むことも比喩として読むこともできるのかもしれません。書かれていることを必死になって読まなくてもいいし、とにかく想像して話をつなげなければならないこともない。好きに読めばいい。好きに読めるから読む人の癖が出やすくて、個性的な色んな想像が出てくる。絵本が人に語らせてくれるのはそんな風に出てきた言葉、今のところ私はそう思っています。

想像とか比喩といえば、こいつらは「死」と仲が良いか、と思うのですがどうでしょうか。逝って蘇ってきた経験を語れるなら別として、経験で知ったこととしては「死」を語りつくせいないでしょう。もし自分以外の人の最期を通して「死」と知り合っても、それで「死」を全部知ったことにはならないと私は思うのです。「自分の死」にはまだ出会っていないのだから。だったら、会ったことのない「ひと」として想像するしかない。「死」をどう思うのか比喩とか想像で言葉にする。あるいは、喩え話ができるから、想像することができるから、死について考えられる。


こう考えてみると、絵本は「死」と会うにはピッタリの場所かもしれない。図らずも良いデート場所を選んでた、とか思っています。今回参加してくれた皆さんのお話を聞いて得た私の中での収穫です


青木さん、参加してくださったみなさん、アートエリアB1のみなさん、ありがとうございました。
絵本で死について考えるシリーズ」、ぜひまたやりましょう。

次回の中之島哲学コレージュは、11月18日です。
大阪大学でロボット研究をされている小川さん、科学技術コミュニケーションがご専門の八木さんと一緒に、アンドロイドの映像をみてみなさんと感想や考えたことを語り合います。
詳細については、こちらをご覧ください。

相談するとはどういうことか

こんにちは、まつかわです。
昨日10月12日は、岡山大学のまちなかキャンパス、城下ステーションの哲学カフェでした。
台風が近づく3連休の真ん中で人が集まるか少し心配しましたが、おなじみの方に、久しぶりの方、初めての方とバランスよく集まりました。

テーマは「相談するとはどういうことか」。
提案者は、おなじみさんのひとり、私の夫です。
弁護士という職業柄、相談を受けることが多く、どうしたら相談者に満足してもらいやすいのか、相談しやすい環境をつくるにはどうしたらいいか、常日頃から考えているうちに「そもそも相談するってどういうことだろう?」という問いにたどり着いたようです。

相談をするほうの体験談と相談を受けるほうの体験談、どちらも印象に残っていますが、特に相談を受けるほうの体験談からは、その人の職業の特殊性や人柄(に対する他者の期待)が強く感じられるのが面白かったです。

こんな論点がでました。


  • 専門家やプロに相談する場合と、素人に相談する場合のちがいは?
  • 誰に相談するか?
  • 本やネットで情報を得るのと、人に相談するのはどうちがうか?
  • 相談によって得られるもの(期待するもの)は何か?
  • いつ相談するか?
  • 相談のプロセスで生じる「往復運動」とは?


さまざまな論点を転々としながらも、やはり中心になった論点は「相談によって得られるもの(期待するもの)は何か?」だったように思います。
「単に知識が欲しいというわけではない」という点についてはみなさん一致しつつ、「とにかく結果につながる何かがほしい」という意見と、「結果は変わらないけれど見通しがついて、相談してよかったと思った」という体験談と、「話を聞いてくれる相手のなかに自分の居場所を感じることが大事では」という指摘とがでました。

ここで、私が個人的に?気になったのが、ここでいう“居場所”ってなんだろう?ということ。
対話活動をあちこちで続けていると、「居場所をつくりたい」「居場所が大事」という人に多く出会うので、前から気になっていたワードだったのかもしれません。
ときおり質問を投げかけながら話をきくうちに「そうか、“居場所”って安心できる場や関係のことなんだなぁ」と腑に落ち、そこから、「じゃあ相談は、不安な状態から脱するための対人コミュニケーションといえそうだぞ」と自分なりの答えにたどりつくことができました。

他にも、上記の論点から、どういうときに“結果”が得られたと感じるか、相談する人と相談される人の関係、知識が欲しい訳ではないとはどういうことか、などについて話すことができました。

お土産いただいちゃいました。
外はカリッと、中はしっとりで美味しくいただきました。

次回城下ステーションの哲学カフェは11月22日(土)。
みんなでつくる財団おかやまの代表、石田さんと一緒に「お金の使い方」について考えます。
最後に、その日の哲学カフェに各自値段をつけてみましょう。
お金についての疑問やモヤモヤ、楽しみにしています。



2014/10/12

無敵の人にはかなわないのか?

こんにちは、まつかわです。
今日は、10月2日に開催されたグリーングラスの哲学カフェの報告を。

いつも使わせていただている神戸市北区民センターが耐震工事中ということで、この日の会場は別館のすずらんホール、音楽室。
机のない部屋だったので、輪になって話すことにしました。



いつもどおり、最初に参加者からテーマを募ります。
この日提案されたテーマは3つ。


多数決の結果、今回は「無敵の人にかなわないの?」について考えることになりました。

テーマを提案してくださった方は、この「無敵の人」について、「相手となる人がいないくらい強い」人のことではなく、「黒子のバスケ」脅迫事件で話題になった「お金も人間関係も社会的な地位もなく、失うものがなにもない」ために「罪を犯すことに心理的に抵抗ない人」のことを想定して、このテーマを提案されたそうです。
参加者のみなさんもその関心を共有しつつ、かつその定義に限定せず「無敵の人」という言葉から各々が思い浮かべるイメージについても自由に述べることにしました。

前半はこんな論点がでました。

●守るべきものをもってない人
まずは「黒子のバスケ」事件で話題になったほうの「無敵の人」です。

論点は2つありました。
ひとつめは、彼らに私たちが感じる「恐怖」について。
マスコミでの扱われ方などにも触れながら「恐怖につられる(左右される)のはよくない」という意見がある一方で、「自分や大切な人をを守るために『恐い』という気持ちに従うことも必要では?」という意見がでました。
今回は議論されませんでしたが、このやりとりから、「『恐い』と思う気持ちをコントロールできるか?」という問いが新たに浮かびあがりました。

もうひとつは、なぜ「無敵の人」という存在が生まれうるのかという点について。
周囲の人が誰も彼らを的と思ってくれない、その一方で、本人が「自分を人の敵にならない」ようにしている側面もあるのでは?」という声もありました。投げやりなようにみえても、人には他者からどのように見られるかを自分でコントロールしている側面があることを指摘する、おもしろい視点だと思います。

●守るべきものがあるから強くなれる
次に、通常の「無敵」という言葉からイメージされる、強くてなんでももっていそうな「無敵の人」について。「無敵」といっても本当に敵がいないわけではなく、「人は守るべきものがあるから強くなれるのでは」という意見がでました。

●おばさんは無敵
さらに、「無敵といえば、おばさん!」いう声から、「おばさん」はどういう意味で「無敵」なのか考えます。「年月を重ねて厚顔無恥になっている」という声に対して、「様々な経験を通して培われた知恵と言って!」という声も(笑)。
「おばさんは厚かましいのは生きる知恵である」という意見に対して、「思い通りにいかないと怒る老人(暴走老人)とどうちがうの?」という疑問も投げかけられました。
しかしどちらも、「おばさん」であるかどうかは、年齢や性別とは関係なく、その振る舞いによって決まるという点では、意見が一致しました。

後半は、前半の議論を振り返りながら、「無敵な人」について、「そのような状態は本当に望ましくないのか」や「無敵な人は社会が生み出しているのではないか」などについて議論しました。
テーマの提案者も驚くぐらい味わい深く話が展開し、私もあえて板書はせずにみなさんのお話をきくことに徹しました。

「厚顔無恥」に誤字あり(汗)


さて、次回、グリグラの哲学カフェですが、冒頭にも述べた会場の耐震工事により、しばらくお休みになります。
次回は、2月18日(水)10:15〜12:00。
かつらのぐちさんが進行をしてくださいます。

それまでさみしいな〜という方。
11月6日(木)10:30~12:30、中之島にいらっしゃいませんか?
いつも中之島哲学コレージュを開催しているアートエリアB1にて「“産む”を考える」というトークプログラムが開催されます。
多様な出産のスタイル、「産む(産まない)、つくる」という言葉で語られる社会のあり方、科学技術がもたらす生命観の変容...お産をめぐるテーマについて対話を通して考えます。
小さいお子さん連れでも参加OK。
グリグラやカフェフィロのイベントではありませんが、平日午前中で松川が進行するイベントということで・・・関心のある方は気軽にご参加ください。



2014/10/11

10/26 空堀哲学カフェ「運命」

こんにちは、まつかわです。
台風が迫ってきていますね・・・。
週末、セミナーや哲学カフェに参加される方、台風情報と交通情報をお確かめのうえお出かけください。
イベントが中止や延期になる場合はこちらのブログやtwitterでもご案内させていただくようにします。

さて、中之島哲学コレージュで何度か進行役をお願いしている、賛助会員の青木健太さんより、哲学カフェの開催情報が届きました。
大阪の空堀商店街にて新たにはじめる哲学カフェです。


空堀哲学カフェ

とき:1026日(日)16:00~18:00
ところ:道勝café
大阪市中央区谷町6-4-20(空堀商店街)
最寄り駅 谷町六丁目(谷町線)・松屋町(長堀鶴見緑地線)
参加費:ドリンク代(¥400~600
テーマ:運命
「運命」と呼びたい経験をしたことはありますか。どんなことが起きたら「運命」だと思いますか。「運命」とは何なのでしょうか。一緒に考えてみましょう。
定員:10名(要予約)

ご予約・お問い合わせ先:thinkingcat.post@gmail.com(NECO place


ご近所の方はもちろんのこと、どんな方でも大歓迎とのこと。
席数にかぎりがあるそうなので、ご予約をお忘れなく。

劇場の哲学/哲学の劇場 11月2日(日) 大阪梅田<カラビンカ>


みなさま、こんにちは。
赤井です。今日は「劇場の哲学/哲学の劇場」のご案内をします。

日時:2014(H26)年11月2日(日)10:00-17:30 17:30よりシュンポシオン(饗宴)
場所:大阪梅田<OZCカラビンカ> 大阪市北区鶴野町1−1 造形センター3階
参加費:500円(シュンポシオンは別途)

予約不要。どなたにでもご参加頂けます。
お問い合わせはメール:pejapanproject@gmail.com までお願いします。
    
尼崎市武庫之荘で哲学カフェを始めて約2年、「ほぼ毎週哲学カフェ」をやっています。
毎回楽しくて面白いのですが、なぜ面白いのかな?シネマカフェや英語でやったり朗読と一緒に行うからかもしれません。参加してくれるメンバーに恵まれたからかもしれません。一遍ここいらで考えてみよう、そのために一日中哲学カフェを続けてみたら何か見えてくるものがあるかもしれないと思っていたときに、こんな企画に出会いました。「哲学カフェマラソン」です。

とても一人では出来ませんが哲学カフェを通して知り合った方達とならできそうです。
一体哲学カフェでは何が起こっているのか、哲学カフェを劇場仕立てにして観察し、主客の転倒もしてみて哲学カフェで起こっていることの謎に迫ってみます。

どなたでもご参加頂けます。朝10時から夕方5時半までお好きなだけ居てください。5時半以降には「饗宴」も開かれます。こちらへもご出席下さい。




2014/10/02

守るには何が必要か?

おはようございます、まつかわです。
今日はグリグラ哲学カフェですが、その前に前回の報告がまだ・・・ですよね?
大変遅くなりましたが、7月16日の哲学カフェの報告です。



テーマはいつも、当日参加者から募ります。

  • 家 or住まう
  • 音楽と絵画
  • 守るには何が必要か?
  • 貧富の差は一生つきまとうのか?


の4つのテーマが提案され、多数決の結果、僅差で「守るとは何が必要か?」に決定しました。

最初に、対話全体に関して感慨深かったのは、この日はグリーングラスで久しぶりに子育ての話をがっつりきいたこと。
最初にテーマの提案者から少し集団的自衛権について触れられ、平和や命、またそれ以外に、パートナー、家族、種、イエなどが「守る」対象として挙げられました。
でも、それらは最初に触れられただけで、あとはずっとみなさんお子さんの話をされてました。
もともと育児サークルの活動の一環としてはじまったグリーングラスの哲学カフェですが、グリーングラスのみなさんのお子さんが成長するにつれ、またみなさんが哲学対話に慣れてくるにつれて、お母さんたちの関心も広がり、参加者層も広がり、お子さんの話を聞く頻度は減っていました。
それだけ、みなさんにとって「守る」ということは強く子どもと結びついているのでしょう。

では、「子どもを守る」とは具体的にどういうことなのでしょう?
最初にでたのは「成績を守る」でした。その方は、「子どもの成績を守るということは、子どもの幸せを将来も含めて守ることだ」と主張しました。そのためには、遊びたいという欲求を押さえなければならないので闘いだと。
また、まだ幼いお子さんのいるお母さんから、こんな例もでました。
「早くしないと保育園のバスに遅れてしまうけれど、自分で靴を履くとかそういうことも尊重したい。バスに間に合うということも大事だけど、自分自身でやるという大事にしたい。」
ここから、「何かを守るために犠牲は必要か?」という論点がでて、「犠牲にしてでも守りたいものがあるという気持ちが大事」という主張がでました。

ここから展開したもう一つの問いが、「守れたかどうか、どうやって判断するのか?」です。
犠牲にしてでも守りたいものがある。そのとき「守りたい」「守ろう」という気持ちはあるけれど、そのあと「本当に守れたかどうか」を、そういえばあまり考えたことがない。
それはなぜか?子どもの幸せを守れたかどうか、どの時点で判断するのか?
ここから、どうやったら守れたといえるのかの基準がいくつか挙げられ、さらに、「守るとはどういうことか?」という問いが展開しました。

ひとことで「子どもを守る」といっても、「バスに遅れないよう時間を守る」というひとときの出来事だったり、現在の欲求を我慢してでも手に入れたい将来の持続的な幸せだったり、内容も、それが実現されるタイミングもいろいろです。
こうしていくつかの問いを介して、再度最初の「守るには何が必要か?」を考えた結果、でてきた答えは「何を守りたいかを知っていること」でした。







本日朝の哲学カフェは、すずらんホール

おはようございます、まつかわです。
本日朝の神戸の哲学カフェ、会場はすずらんホールの音楽室です。
駐車場はすずらんホールの地下にあります。入口は線路側です。

いつもの神戸市北区民センター本館は耐震工事中です。
お間違えのないようご注意ください。


2014/10/01

10/11 哲学カフェ「しあわせって?」、10/23哲学Bar「空気を読むって?」@姫路

こんにちは、まつかわです。
連続になりますが、賛助会員の長井さんより、姫路の哲学カフェ、哲学Barの開催情報が届きました。


★ 哲学カフェ★
開催日時 : 10月11日(土)14時~16時
会   場 : mocco (姫路市綿町76 こうしんビル2F )
参 加 費 : 2,000円 (初めてご参加の方は500円OFF!)
     別途、moccoの2時間利用料 500円要(ドリンクバー代が含まれます)
テ ー マ: しあわせって?
定  員: 6名

★ 哲学Bar★
開催日時 : 10月23日(木)19時~21時
会   場 : mocco (姫路市綿町76 こうしんビル2F )
参 加 費 : 2,000円 (初めてご参加の方は500円OFF!)
別途、moccoの2時間利用料 500円要
(ドリンクバー代が含まれます。アルコール〈生ビール・クラフトビール、チューハイ有〉は別料金、持込みも可。)
テ ー マ: 空気を読むって?
定  員: 6名

いずれも3日前までにご予約の上、ご参加ください(Tel:090-5094-1232,e-mail:info@studiocue.net
ただし、定員に達し次第、締め切らせていただきます。
またこの会の特性上、申込人数が3名に満たない場合は開催を中止することがあります。 ご了承ください。


詳細、ご予約はこちらからどうぞ

10/10 小金井哲学カフェ「女心を哲学する」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回開催のお知らせが届きました。


日時:10/10(金)19:00-21:00

テーマ: 女心を哲学する

女心はなぜ難しいのか?
女心は女の心か?誰にどう映るのか?
多くの議論もあろうかと思います。
事例や体験なども挙げつつ、
女心を考えてみたいと思います。

場所:カフェ  broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:佐土原


参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。