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2013/12/29

12/18の中之島哲学コレージュより、『人間の条件』と『全ー生活論』

こんにちは、まつかわです。
今日は黒豆を煮ながら、自宅で仕事をしていします。

昨日あたりから冬休みという方も多いと思うので、先日の中之島哲学コレージュ、岸井大輔さんと篠原雅武さんの対談のなかで触れられた本をご紹介しておきましょう。


まず岸井さんが脚本(?対談では「企画書」とも呼ばれていました)の参考にされたという本がこちらでした。

ハンナ・アレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫)
※クリックするとamazonのページにとびます。

この本、たしか私は大学受験の国語の問題で出会って、問題をときながら「大学受かったら、この本は読まなきゃ!」と思って買ったのでした。

ハンナ・アーレントといえば、ちょうどこの秋冬、こちらの映画も話題になっていますね。岡山での上映はまだなので、私はまだ観ていませんが。
知人たちに好評なので、1月に岡山のシネマ・クレールで観てこようかなと思っています。


それから、対談のなかでちらりと触れられていた篠原さんの著書がこちら。

篠原雅武『全―生活論: 転形期の公共空間』(以文社)

実は最近たてつづけに、全く別の方面の知人からこちらの本を勧められ、「読まなきゃなぁ」と思ってたところにあの中之島哲学コレージュ。
冬休み中に、一番読みたい本です。
(宿題が山積みで本当に読めるかどうか自信がありませんが)


そして、対談の話題の中心となった岸井さんの『東京の条件』についてはこちらのサイトをご覧ください。


気が向いたらまた年内に更新するかもしれませんが・・・ひとまずご挨拶を。
今年もカフェフィロの活動にご参加・ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
冬休み中もさまざまな企画の仕込みで忙しくしております。お楽しみに。


2013/12/26

1/25 これからの自閉症スペクトラムを考える -アスペルガー障害・広汎性発達障害がなくなるって本当?-

こんにちは、まつかわです。
信州大学の東島仁さんより、自閉症やアスペルガー障害に関心がある方に、とイベントのお知らせをいただきました。



これからの自閉症スペクトラムを考える 
-アスペルガー障害・広汎性発達障害がなくなるって本当?- 

■日時: 2014年1月25日(土)  
・午前の部(講演会)  10時~12時15分 
・午後の部(話し合い) 13時30分~16時頃 

■場所: 大阪大学中之島センター(大阪府大阪市北区中之島4-3-53)   
午前の部(講演会)703 / 午後の部(話し合い)303 

■講演会・午前の部  
講演者: 
 佐藤弥 先生 (京都大学霊長類研究所白眉プロジェクト)  
 船曳康子 先生 (京都大学医学部) 
 石原孝二 先生 (東京大学・大学院総合文化研究科)  
 浦野茂 先生 (三重県立看護大学看護学部) 

■話し合いの部(午後の部)  
・おひとりで気軽にご参加いただけます。 
・人の話を聞く姿勢をお持ちの方であればどなたでもご参加いただけますが、特別な配慮が必要な方はあらかじめご相談ください。  
※話し合いの部に参加なさる方は、講演会にも参加してください。 
※話し合いでは飲み物やお菓子がでますが、お昼ご飯はでません。  



詳細、お申し込みはこちらよりどうぞ。

開催のきっかけは、お母さんたちの声だそうです。
お子さんやご家族など身近な方、あるいはご自身が自閉性障害やアスペルガー障害、広汎性発達障害をもつ方、教育や支援にたずさわっている方など、どなたでもご参加いただけます。
専門家のお話をきける貴重な機会(個人的にはDSMの改訂が非常に気になります)であるだけでなく、「他の人の声が聞いてみたい」という方は午後の話し合いにもぜひご参加くださいとのこと。
お知り合いで関心のありそうな方がいたら、ぜひお知らせください。

2013/12/24

岸井大輔さんの24時間トークイベント

こんにちは、まつかわです。
先週、中之島哲学コレージュにきてくださった岸井大輔さんが開演前に会場でおっしゃっていた24時間トークイベントの情報はこちらです。


如是我聞vol.2~是の如く、我聞けり~ 
「聞く」ことから何が生まれるか。個性的なゲストと参加者がお寺を出入りする24時間。 今年のテーマ「境界とコモンズ・デザイン」になぞらえながら、2013年の来し方、2014年の行く末を考える。
 

○日 時 12/25(水)21:00~12/26日(木)21:00
○会 場 應典院 2F気づきの広場
○参加費 500円

○主 催  岸井大輔(劇作家)・むつさとし(観光家)
○ゲスト  上田假奈代(NPO法人こえとこころとことばの部屋)、梅山晃佑(二畳大学)、小暮宣雄(京都橘大学)、竹内厚(Re:S編集者)他。
○申込み http://bit.ly/c_nyoze
 

会場は、カフェフィロともなにかとご縁のあるお寺、應典院です。

2013/12/23

女らしさ?男らしさ?私らしさ?

こんにちは、まつかわです。
昨日は岡山大学のまちなかキャンパスで哲学カフェ・・・ではなく、番外編。
ハワイの哲学の授業で使われているというコミュニティボールをつかったWSをしました。

毛糸を巻き巻きしながら、ひとりずつ、こんな質問に答えていきます。


今回の企画は、「セクシュアリティとかジェンダーについて話し合う場をつくりたい」という原健太さんと草地陽子さんの言葉がきっかけとなったのですが、Q1〜Q4は彼らと事前に用意させていただきました。
Q1.コミュニティネームとその理由は?
Q2.あなたの性別。その性別なのはいつから?
Q3.あなたの女らしいところは?
Q4.あなたの男らしいところは?
Q5〜Q7は、Q1〜Q4のみんなの答えをきいたあと、参加者のみなさんから提案された質問です。
Q5.性別はどうやって決まると思う?
Q6.男らしくも女らしくもないことって?
Q7.私のなかのいい男らしさ、女らしさ

たとえばQ5「性別はどうやって決まると思う?」なら、「身体的な特徴で決まる」という人はもちろん、「自分が男と思えば男でいい」という人、「制度的に与えられたもの」という人もいる・・・というように、どの質問も少しずつそれぞれの考えや言葉を引き出してくれる質問でした。

ひととおり質問に答えたあとは、質問の答えから派生して、性に対する違和感や、自分の性についていつどんなふうに発見するか、海外との感覚のちがい、「私らしい」おしゃれを楽しむことの難しさなどについて自由に語り合いました。

残念ながらコミュティボールづくりには私の力不足で失敗してしまったのですが(本当にごめんなさい。汗)、それでもボールづくりとみなさんが提案してくださった質問のおかげで、性という常識や自分自身が揺さぶられるテーマについて耳を傾け合うことができ、有意義な時間でした。
企画を提案して協力してくださった原さん、草地さんのネットワークのおかげで、高校生の方も何人か参加してくれました。

ジェンダーやセクシュアリティの問題は、私が大学生のころから考えているテーマの一つ。できたら今後も、岡山で10代や20代の人たちと語り合う機会をつくっていきたいと考えています。


2013/12/20

東京の条件・劇作家岸井大輔と考える「都市の公共性」、参加者の感想

こんにちは、松川です。
12月18日(水)はfacebookで予告したとおり、
中之島哲学コレージュ/東京の条件・劇作家岸井大輔と考える「都市の公共性」
に参加(&ちょっとだけお手伝い)してきました。

戯曲(?)『東京の条件』の著者である岸井大輔(劇作家、『戯曲「東京の条件」』著者)と、大阪大学国際公共政策研究科の篠原雅武さんの対談、楽しませていただきました。
篠原さんの鋭いツッコミと、篠原さんや来場者の質問をやわらかく包み込むように応える岸井さんの姿が印象的でした。



参加者の感想をご紹介しておきましょう。
「現実を変えるフィクションというものの力を感じました」 
「デザインについて考えさせられました」 
「共同体の中心になるものとは?・・・と考えさせられました」 
「“鍋”的合意形成というアイデアがおもしろかったです」 
「『都市』というキーワードに惹かれて聴きに来ました。どちらかといえば公共性に重点を置いた内容だったので、少し興味ある分野とははずれていましたが、おもしろいお話がきけてよかったです」

寒いなかご来場くださったみなさま、ありがとうございました。

対談のなかででてきた本についても紹介したいのですが、それはまた別記事で。
少々お待ちください。

2013/12/19

報告:哲学カフェ「死はなぜこわいのか」


三浦です。
先週の土曜日にカフェティグレで行なった哲学カフェの報告を進行役の安田さんに書いていただきましたので、代理で投稿します。
 
おかげさまで、2013年最後の名古屋の哲学カフェは、17人という過去最高人数の参加者を集めて1214日(土)、無事盛会のうちに終了しました。17人中9人は初参加組、3人は二度目のリピータで、男女比はほぼ半々、学生から年輩の方まで幅広い年齢層の方々がご参加くださいました。また、哲学カフェ(AM10:00 11:30)後のランチタイム(今後のプラン検討と交流の時間)にも大半の方が残ってくださり、熱気とはいかないまでも、多少高めの温度で散会となりました。人数や熱気が目的ではないことはもちろんですが、正直、嬉しくないわけはなく。もうこれだけで一年の最高の締めくくりとなりました。

さて、テーマは「死はなぜこわいのか」。詳細説明は省きますが、これは実質的に三浦さん発のテーマなので、三浦さんが自由に自分の思いを発言できるように、進行は別人がよいだろうということで、不肖安田が務めさせてもらいました。

全員の簡単な自己紹介のあと、三浦さんのほうから自身の思いを少し詳しく語っていただきました。「自分にとって死が怖いことは昔から自明のことだったのに、なかなか周りの人には真に受けてもらえず、なぜみんな平気なのかが逆に不思議でしかたなかった」「(死を怖がらずに生きているということは)『逃げて』生きているということではないか、とすら思ってしまう」という話でした。この問いかけを起点に、当日の対話では興味深い思考の連鎖反応がいくつも生まれたように思います。私の独断で大きくまとめて報告させていただきます。


モーニングサービス付きです。
  
■「社会が死の現実(のこわさ)を遠ざけている」説

三浦さんの「逃げているということでは?」という問いかけに対しては、社会がそれを強いている側面がある、という指摘が出ました。「今日生きている人は明日も当然生きている」ような前提が(少なくとも日本では)社会制度に組み込まれている。こうした「生の前提」のうえに成り立つ社会生活を営むことで、私たちは日々死から目を背けることになる、そういうしくみになっている。そんな意見です。また、多くの人が、これはよくないこと、と考えたようです。普段から死について考え語ることを、生活の中に取り込んでゆくべきだ、と。でもなぜそうすべきなんでしょう。進行役として質問すればよかった。いつも後から思いつくのです。。。

■「死は本当はおそれるものではない」説

一方、目を背けず考えた上でも、死はおそれるべきものではない、という意見も出ました。詳細は割愛しますが、論旨の核は、死で「自分」が無くなるわけではない、ということでした。「生と死」=「(自分の)有と無」ではない、ということです。ここですこし、「生死」そのものの正体に議論が向いかけたと思います。

■ 種の保存本能説

一方、「死は恐れるものではない」という説明を、死の恐怖を克服しようとする人間の知的努力の産物とみなす意見が登場し、議論はまた新たな展開をみせます。曰く、恐怖によって生物個体たちは死に至る危険行動を避けるようになるわけだから、死の恐怖は(心をもった)生物に遺伝的に備わった種の保存本能メカニズムとも考えられる。と。

■ 掘り下げ質問。「一体『何』をおそれているのか?」

さまざまな意見が出た終盤、ある方が問いかけました。「死なるものを恐れているとき、具体的に私たちは『何』を恐れているのか?自分の肉体が死してやがて消え去ることか、それとも、自分を知る人々の記憶から自分が消え去り、自分の生きた社会的痕跡がなくなることか」、と。それに対して若い参加者の方が答えて曰く、「自分が恐れるのはそのどちらでもないと思う。考え、経験する主体としての『自分』というものが消えてなくなることが怖いのだと思う」。発問者はさらに思考実験で迫ります。「次の二つの『死』のうち、どっちが怖いか:① 肉体が死んで消え去り、魂だけ残る(つまり、主体としての「自分」は残るが、人々の記憶や認識からは自分はいずれ無くなる)。② 脳死になるが、なんらかの理由で肉体は残された人々によって保存され、自分の人生も語り継がれる(つまり、主体としての「自分」は無くなるが、人々の記憶・認識上では存在し続ける)」。自分は①のほうが怖い、という発問者に対し、先の返答者さんは②の方が怖いと答えていました。

このあたりで時間切れとなりました。振り返ってみれば、今回は人数は多かったものの、哲学対話というものへの期待値の揃った比較的均質な参加者構成だったと思います。意見は違えど、多くの参加者が互いの声を聞きあい応えあう、手ごたえのある対話になっていたかと思います。こういう回はこういう回で素晴らしいと思いました。

いろんな振り幅、山谷含めて、来年も、哲学カフェの場で良き対話が生まれますよう。。。皆さんもよいお年をお迎えください。

2013/12/18

“差別”とはなにか

こんにちは、まつかわです。
昨日12月17日はさする庵にて、「対話する哲学教室」を開催しました。
定員いっぱいの15名の方が参加され、『中学生からの対話する哲学教室』第9章を参考に、「“差別”とはなにか」について考えました。



前半は、公民権運動の指導者マルコムXの自伝を読んで、後半はコーネル・ウェストの「積極的差別是正措置」とジョン・ロールズの「無知のヴェール」および「格差原理」の考えについて、意見を交わしました。
特に以下2点で、意見や考える方向性が分かれましたね。

  1. 自覚がなければ差別ではないのか、それとも差別は常に無自覚に行われるものなのか。
  2. ある言動が差別的かどうかはそのときの社会的状況を考慮して判断すべきか、それともいったん現状を忘れてあるべき理想の社会から考えるべきか。
もともとアメリカの教科書なので、黒人差別という私たちにとってはちょっと縁遠い問題でしたが、「これは、現代の日本社会でいうとどういう状況なのだろう?」と考える際には、みなさんの経験が役に立ちました。
私にとっては、女性差別についての男性の発言も、新鮮で考えさせられるものでした。

前にも書いたように、このテキストでこの章だけ対話篇ではなく自伝が採用された背景には、“差別”という問題について、差別する側とされる側が立場を超えて対等に対話することの難しいという事情があるのではと私は考えています。
哲学カフェもそうですが、この哲学教室もまた、立場の異なる人々が対等に話し合い共に考えられるような社会づくりに少しでも貢献できればと願っています。


寒いなかご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
今回は残念ながら体調不良で参加できなかった方、お大事に。次回のご参加をお待ちしております。




2013/12/16

遺言は守るべきか?

こんにちは、まつかわです。
明日の哲学教室の前に、先週の哲学カフェの報告をしておきましょう。

先週12月10日は、神戸市北区子育て支援センターにて、グリーングラスの哲学カフェでした。
参加者は、最初3名と少なかったのですが、途中から増えて7名。
テーマは、「遺言は守るべきか」でした。

1)お墓はむずかしい
遺言に書くことといっても、葬儀のこと、相続のこと、いろいろあると思いますが、今回特に話題が集中したのは、お墓のことでした。

  • お墓の場所についてお父さんとお母さんの意見が合わない場合、どうすべき?
  • 故人が希望するお墓の場所が、めったに行けないような場所の場合は?
  • 誰がお墓を守っていくのか?
  • お金の問題は?
  • 分骨というテもあるけど、そうすると管理しなければならないお墓が増えてしまう。
  • いやいや、本当の問題はお墓ではなく遺骨なんじゃないか。

本当にいろんな問題が次々にでてきました。
特に、問題が集中したのは、お墓についての決定権は誰がもつのかという点です。
そのお墓で眠る故人にあるのか、お金を出してお墓を建てる人が決めればいいのか、管理したりお参りする人の意見を尊重したほうがよいのか。考えれば考えるほど難しい問題でした。

2)故人の意志
もうひとつ、お墓に関わらず遺言全般の問いとしてあがったのは、故人の意志を尊重するには、どのような条件が必要かという点です。
最初にテーマを提案した方は、「生前の強い意志は遺族によって法律より強いもの」と断言する一方で、「故人の意志を尊重したいけど、できないこともある」という現実を指摘してくれました。
「突拍子もない遺言は守らなくてもいいのでは」
「子どもを悩ますのはワガママだと思う」
そんな声もありました。
また、遺言といっても法的効力のあるものもあれば、ないものもあるでしょう(ちなみに、法律的には「遺言」は「ゆいごん」ではなく「いごん」と読むそうです)。書面にしたためられない故人の意志というものもあります。この点について、「法的な効力のある遺言だけが遺言だとは思わない」という点では参加者のあいだで意見の相違はありません。ただ、「口に出したこと、紙に書かれたことだけが故人の意志の全てではないのでは」という意見がある一方で「世間話のように話されたことを遺言と認めるのは無理がある」という意見もありました。

3)あっちをたてれば、こっちがたたず
結局これってどういう問題なのでしょう?
哲学カフェも架橋に入り、ぽつりとでてきたのはこんな言葉です。
「結局、あっちをたてれば、こっちがたたずなんよ」
あっちをたてれば、こっちがたたず。
そんな問題はたくさんあります。でも、お墓の問題はその最たるものかもしれません。
今回の哲学カフェでは、お墓にまつわる現実的で複雑な事情について意見を交わしながら、「異なる意見や事情をもつ関係者間でどうやったら納得のいく決定を下すことができるか」という大きな問いについても考えることができたのではないでしょうか。


次回グリーングラスの哲学カフェは、1月14日。
桂ノ口さんの進行で、哲学"毛糸ボール"カフェを行います。
テーマについてあれこれ話し合う普通の哲学カフェとはちょっとちがって、テーマに制限されず自分を見つめる時間になるでしょう。
どうぞお楽しみに。



2013/12/15

17(火)は哲学教室「“差別”とはなにか」

こんにちは、まつかわです。
今週17日(火)は、さする庵にて対話する哲学教室です。
テーマは「“差別”とはなにか」。
お申し込みをお忘れの方は、お急ぎを!
詳細は、こちらをご覧ください。

いよいよ対話する哲学教室も6回目となりました。
テキストの『中学生からの対話する哲学教室』もめでたく重版!だそうです。
この哲学教室だけでなく、学校や塾などいろんな場所でテキストとして使用されているようです。うれしい。

毎回、前半はテキストの各章の冒頭にある対話篇について話し合いますが、今回の章は対話篇の代わりにマルコムXの自伝が掲載されています。
それだけ、差別する側と差別される側との「対話」は難しいということでしょうか。
テキストに対話篇がないぶん、17日の哲学教室でどんな対話が展開されるのか、楽しみです。
ときどき哲学カフェででてくる「逆差別」に関するアメリカでの議論や、ロールズの「無知のヴェール」という考え方についてもご紹介しますので、意見を交わしながら一緒に考えましょう。

2013/12/14

雑誌『哲楽』に生徒といっしょに原稿が載りました!

みなさま、こんばんは。久々の投稿、中川です。

とてもうれしいことがあったので、ご報告です。

さまざまな哲学者たちのエッセイが掲載されている雑誌『哲楽』に私の原稿が掲載されました。今年の夏にハワイに赴き色んな学校を回って、ハワイの子どもの哲学(Philosophy for Children)を見てきました。そのことについて書いています。

学校でぼちぼちと続けてきた哲学対話の一端を見て頂けるかと思います。
http://philosophy-zoo.com/tetsugaku-magazine(哲楽のウェブサイト)

さて、原稿が載ったのもうれしいのですが、もうひとつうれしいのは同時に私の勤務校の高校1年生の原稿も同時に掲載されていることです。

これまた、今年の夏に東京大学で開催された「哲学サマーキャンプ」にその生徒を連れて参加してきました。そのときの報告を書いてもらった原稿です。師弟(?)で同時に載るのはなかなか珍しいと思います。

いやあ、がんばってると良いこともあるもんですね。

雑誌『哲楽』は以下のサイトで購入することができます。もしよろしければご覧下さい!
http://www.fujisan.co.jp/product/1281692457/b/1096332/


ついでに、シネマ哲学カフェも1月はポーランド映画です。
そっちのほうも宜しくお願いいたします!

こういうことがあると、またがんばろうかなって思いますね。
精進します。

12/21 小金井哲学カフェ「ロボットに倫理を教える」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェの花野さんより、次回開催のお知らせがとどきました。


日時:12/21(土)18:00-20:00

テーマ:「ロボットに倫理を教える」

産業ロボットが工場で多数稼動しており、自動運転カーが公道実験される時代になりました。
ロボットが急速に普及しつつある中、ロボットが倫理感を持つ必要はあるでしょうか。

今回は、ロボットの倫理感の必要性、必要な場合、どのようにしてロボットに倫理感を持たせることができるか、について話し合いたいと思います。

場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野


ロボットに倫理を教えるなんて、考えたことなかったです。
いったいどんな意見が飛び出すのでしょう?

参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。

2013/12/09

12/22 京都で哲学Bar「『演じる』とはどういうことか?」

こんにちは、まつかわです。

賛助会員の山本さんより「哲学Bar」のお知らせをいただきました。
定員が少なくなっております。参加をご希望の方は、早めにチェックを!


【哲学Bar】
お酒を飲みながら、テーマについて話し合います。
先着5名のみ参加可能です。参加ご希望の方は、
biwako.philosophycafe@gmail.com までご連絡下さい。

日時:12/22(日) 19:30-21:00
場所:BAR【Lowo=Tar=Voga】
参加費:各自の飲食代のみ
テーマ:「演じる」とはどういうことか?

※BAR【Lowo=Tar=Voga】
 Open19:00~
 京都市中京区北車屋町271-4森川ビル1F
 店電話075-251-2810
 地図URL:http://goo.gl/maps/bPX4s
※お店の場所が解り辛い場合は、直接上記電話番号までご連絡ください。

主催:Bar Lowo=Tar=Voga


お酒を飲みながら「演じる」について考える・・・どうなるんでしょう?

中四国の方はぜひこちらもチェックしてください♪

そして明日は、神戸でグリーングラスの哲学カフェ
朝早いので、早めに準備せねば・・・。


2013/12/05

哲学の原点回帰:街角で身近な疑問を問う

こんにちは、まつかわです。
調べものをしていて、「ちよだボランティアセンター」のサイトに、カフェフィロの寺田さんのインタビュー記事が掲載されているのを見つけました。

哲学の原点回帰:街角で身近な疑問を問う


このなかで寺田さんが「哲学カフェを日本で最初に始めたとき、こんな活動に意味があるのかと正直半信半疑でした」とおっしゃっています。
現在製作中の哲学カフェ本(今春刊行予定)には、このあたりのことがもっと詳しく語られていますよ。
どうぞお楽しみに!


2013/12/04

そうそうカフェ

こんにちは、まつかわです。
賛助会員の大竹さんから、イベントのお知らせが届きました。
死生について様々な職種や立場の方が聴き合い探究する「そうそうカフェ」のお知らせです。

  *  *  *  *  *  *

【12月の「そうそうカフェ」】

◆12/12(木、@阿佐ヶ谷):「死者との対話は可能か」というテーマで、皆さんと話し合いたいと思います。

◆12/18(水、@西麻布):社会人を経て、禅宗の僧侶になられた方から、死生に関わる実践を報告していただき、その実践の意味について、皆さんと探究したいと思います。

  *  *  *  *  *  *


私は遠方ゆえまだ参加したことがないのですが、カフェフィロセミナーで「こういうことをやりたいんだ」とお話をうかがったときから面白い試みだなとひっそり応援しています。
カフェフィロのセミナー受講者がこうして対話をとおした探究を実践をしてくださっているのがうれしいのはもちろんですが、個人的にも葬儀や亡くなった方をどう弔うのかという問題に関心があります。

定員が8名と少ないので、関心のある方は早めにチェックしてみてくださいね。

2013/12/03

エネルギーについて考えたり、手芸したり・・・

こんにちは、まつかわです。
正確にいうとカフェフィロのイベントではないのですが、カフェフィロメンバーが関わってるイベントということでご紹介。

まずは明日、12月4日(火)の夜。
いつも中之島哲学コレージュを開催しているアートエリアB1(京阪なにわ橋駅構内)にて、エネルギー問題を考える催しがあります。

ラボカフェ/学生プレゼンテーション「いま、エネルギーを問い直す−オランダからのヒント−」


発表者は、昨年、一昨年もお世話になった、大阪大学の日蘭学生会議のみなさん。
今年は、いままで以上に自由にやってもらいたかったので、中之島哲学コレージュのシリーズからははずしましたが、きっと関心ある人も多


もうひとつは、来週夜、12月10日(火)。

手芸カフェ 〈てづくり〉の喜怒哀楽

編み物が好きなカフェフィロの本間さんと松川の企画です。
CSCD周辺の楽しい仲間たちにも声をかけ、手芸について語らいます。
おそらく、少人数で和気あいあいとした会になるでしょう。
編みモノ、縫いモノ、皮細工etc...手芸好きの方がいらっしゃれば、ぜひ!

手芸なんて哲学となんの関係もないやんけと言われればそうですが、かぎ針編みと珊瑚の美しい関係を数学的に解明した数学者もいるので、この日、手芸から哲学的な何かが発見される可能性がないこともないかもしれません。ないかもしれません(笑)。