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2014/09/28

人はなぜ怒るのか?

こんにちは、まつかわです。
昨日は岡山大学城下ステーションの哲学カフェでした。
参加者は8名。

腹の立つ遅刻と腹が立たない遅刻はどうちがうか、物の処分の仕方や部屋の散らかり具合、正論を言われると腹が立つのはどうして?などなど。
身近な例をいくつも吟味していくうちに、怒りが思ってたより複雑なメカニズムや条件で生じていることが明らかになりました。

いくつかポイントをあげると・・・

・相手との価値観や常識のズレ(関係性の認識を含む)
・心身のコンディションによって怒りの沸点が変わる
・「正しくない」から怒るのか「傷つけられた」から怒るのか
・「怒る」は言動か感情か
・「怒る」ことの効用
・自分自身に対する怒り
・怒りと自我


私はどうも昔から怒りの反射神経が遅いのですが(怒ることが正しいかどうかを気にしているうちに怒るタイミングを逃しがち)、いろんな話をきいて、自分に対しても他者に対しても、「正しいかどうか」ではなく、「どう感じたか」という気持ちをもう少し大事にしてもいいのかなと思いました。


*哲学カフェ@城下ステーション、今後の予定*

10月12日(日)13:00-15:00「相談するとはどういうことか」
11月22日(土)13:00-15:00「お金の使い方」



2014/09/27

哲学喫茶瓦版9月号は、「医療現場での対話」特集

こんにちは、まつかわです。
会員のみなさん、カフェフィロニューズレター『哲学喫茶瓦版』9月号、届いていますか?

6月号は、前年度会員のみなさまに今年度入会のご案内と一緒にお送りしましたが、今号からは2014度会員のみなさまのみの発送となります。
年会費3,000円の納入をお忘れの方は、早めに事務局までご連絡のうえ、手続きをお願いいたします。
(昨年度とは口座が異なります。ご注意ください。)

 ○お問い合わせ先○
 カフェフィロ事務局:info★cafephilo.jp(★を@に置き換えてお送りください。)

特集は、いまカフェフィロで力を入れている「医療現場での対話」です。
理学療法士でもある玉地さんのコラムのほか、病院でのスタッフ研修や専門看護師さん向けのプログラムについてご紹介しています。
医療現場で働く方はもちろんのこと、他の方にも「現場での対話」という観点からも読んでいただけると参考になる点があるのではと思います。


・・・と、ここまで書いたところで、最後のページの活動一覧で一部文字の抜けがあることが発覚してしまいました。
申し訳ありません。
ご指摘くださった方、ありがとうございます。
次号発送時に訂正を同封させていただきます。

2014/09/25

むこのそう哲学カフェ10月のお知らせ 

みなさま、赤井です。
むこのそう哲学カフェ10月の予定のお知らせです。
阪急電鉄神戸線 武庫之荘駅周辺で3回/月ほど哲学カフェを行っています。
どなたでもご参加ください。予約不要です。

詳しくはこちらをご覧下さい。むこのそう哲学カフェ

日時:10月5日(日)14:00-16:00 eカフェ  
   英語と日本語で哲学カフェを行います。通訳しますのでどなたでもご参加頂けます。
テーマ:「Why is a standard language the style it is?」
場所:アイデアル英会話教室 参加費:無料


日時:10月12日(日)14:00-16:00 哲学カフェ
テーマ: 「月と人」
場所:カフェ・トレピエ 参加費:一般100円 会員無料


日時:10月19日(日)13:30-17:00 シネマカフェ 
   映像をみんなで鑑賞した後哲学カフェを行います。今回は日本のドキュメンタリー   映画です。
テーマ:「ニッポンの嘘 報道写真 福島菊次郎90歳」
場所:西富松会館集会場 参加費:一般100円 会員無料


むこのそう哲学カフェでは毎週木曜日、「木曜読書会」を行っています。現在は高橋昌一郎著「理性の限界」を読んでいます。先生もリーダーもいません。参加者の皆さんと対話しながら読み解いて行きます。

お問い合わせは、cashewnut27@gmail.com まで。

10/25 京都北白川哲学カフェ

おはようございます、まつかわです。
賛助会員の井上さんより、哲学カフェ開催のお知らせです。



~京都北白川「哲学カフェ」のお知らせ~

 ◎日時:1025日土曜日 14001600まで>
◎場所:京都市左京区北白川西平井町22-2 「カフェ小さな花<電話:724-0410>」
市バス3番  高原町下車 プリンツカフェ東側道を南へ3筋。
北白川小倉町下車 聖ヴィアトール教会西側道を北へ3筋。
◎テーマは当日の参加者によって決めましょう。
 ◎進行役:井上成哉(初心者ですが…)
 ◎参加費:1.000-(コーヒーなど飲み物付)
◎予約: 小さい小さいスペースです。必ず前日までに申込み・ご予約下さい。
定員 15名で先着順とします。
 ◎申込み・問合せ先: 井上成哉(イノウエ シゲヤ) 
   mossgreen★art.zaq.jp(★を@に置き換えてお送りください)

   または、075-255-7926 までお願いします。


前回は10名の方が参加されたとのこと。
どんなテーマで対話が繰り広げられるのでしょう?
参加をご希望の方は、お申し込みを忘れずに。


2014/09/24

日々、修行

こんばんは、まつかわです。
昨日は、カフェフィロの正会員研修&交流会に参加してきました。

互いに最近の活動や困ってることなどを聞きあったりしたあと、対話のsafetyとinquiryについて学びました。

個人的には、今まで何度話をきいても抽象的でぼや〜としていたsafetyについて、実際に対話の中で自分自身がしてるふるまいと結びつけて理解できたのが大きな収穫でした。


ちなみに、企画・進行してくれたのは、最近、医療者向けの対話やセミナーにも力をいれてる高橋綾さん。
たまに「進行役を育てるのは無理なんじゃないか」とか言いだすんですが、そのわりに、こうしてみんなが育つ機会をちゃんとつくってくれるのです。

たしかに、哲学対話って、「こうしたら必ずうまくいく」というノウハウやワザがあればできるってものではないので、高橋さんや他の人と全く同じようにできるわけではありません。
一度うまくいったからといって、次も同じやり方でうまくいくとも限らない。
でも、だからこそ、こうして、対話に必要な姿勢や考え方を確認し、自分自身の活動を振り返れる機会って大事だなと思います。

というと、正会員限定なんてズルイ!…という方もいらっしゃるかもしれませんね。
研修内容は必ず、今後のカフェフィロの活動に活かされるのでご心配なく。
新しいワークの実験も兼ねているので、いつか、カフェフィロセミナーかなんかでパワーアップバージョンを体験していただけるかも? 

グリグラ哲学カフェ『非日常』

液晶画面からこんにちは。behbluesです。
9/16(水)グリグラ哲学カフェの報告です。
今回のテーマは『非日常』。

▲ 非日常/日常?
自分にとっては、絵を描いているその時の感じが「非日常」。
「非日常」を求めて旅に出たことがある。 etc…
これらは、日常への刺激としての「非日常」といえそうです。
こういった「非日常」は、自分自身で求めることができ、場合によっては実現も可能です。

いっぽう「非日常」という言葉からは、事件や事故、災害も想起されました。
これらは、"刺激" ということばからははみ出ているように感じられる。
また、求めていないのにある日突然日常を侵してきた、と感じられる場合も多い。

▲ 非日常・日常 / 現実?
ここからある方が、阪神大震災後の経験から、
後者の事件や事故、災害が起きた時の経験は、
「非現実」とは違うのではないかと話してくださいました。
「非現実」の前提として、出発した/帰る日常がある ということがある。
それはつまり "前" があるということ。
ところが事件や事故、災害がひとたび起これば、そこからこれまでとは異なる価値観や暮らしが始まる。そのときもはや、 "前" はない。
「前」のつづきではないから日常ではないし、非日常でもない。
そのとき過ごすのはただ「現実」という感じがした、と。
そしてなんとか過ごして行く現実が、いつかまた日常となっていくのです。

わたしはこの話を伺って、 "前" がないというからだが感じてしまう昏さを思いやりました。
それでもなんとか現実をやり過ごし、繰り返すことで、新しい日常はできていき、
きっと生きてゆける。
ただ、できることなら、
新しい日常がただできるのではなくて、自分自身になじんでゆくように、
それと同時に考えるということや言葉というものを使って、
自分の中の断絶された "前" と繋げていけたらもっと楽なんだろう、と思いました。
この震災の話の前に、たとえば大学入学や結婚が、
「非日常」とまではいかなくても「変日常」といえるかもという意見がありました。
これらも場合によっては、確かに自分の "前" が、ごとっと見失われるかもしれません。
そういう時、からだが日常のほうを作ってくれる。
そして、ことばや考えることで "前" もきっと作っていける、と思いました。
それからぼんやりと、鷲田清一さんがよくいう「哲学は自分の端緒を何度でもつくりなおすこと」というのを思い出しました。

なんか突然語ってしまい、すみません。
よく見るような言説かもしれないですが、わたしはこの日、この時に、なんとなくこういうことが初めてしっくりきたのでした。



さて残り一時間ほどになって、改めて、いったい『非日常』というテーマに対してどのような観点で考えてゆくか、問いを出してもらいました。出てきた問いは以下の通り。
・ 妄想やネットも非日常?
・ 非日常を体験しておくことは必要か?
・ 同一の非日常を何度も求めるのはなぜ?
・ 日常が充実していれば非日常は必要ない?
・ 非日常からの日常への帰り方
・ 何かに「非日常」という名前を与える人の日常とはどのようなものか?

▲ 「『非日常』は、ない。」?
選ばれたのは最後の問い。
この問いを出してくださった方にとって、
前半に出てきたような「刺激」や、災害というのは、
「見たことのなかった日常」であって、
それによってそれまでの日常が拡張したような感覚を覚えることはあっても、
「非日常」だと感じたことがないとのこと。
変化はあれど、そこにそれまでの日常との断絶はないように感じられるそうなのです。
ここまで話されてきたのとは異なる感じ方/考え方だったのでなかなか盛り上がり、
「非日常」と名付けることで守っているそれぞれの「日常」があるのではないかということついて語り合いました。
やめられない、変えられない、捨てられないと感じている=守っている日常があるということの安らぎと辛さ。
また一方で、たえず変化を受け入れ、新たに組み込んでいく=守るものとしての日常はないということの自由さと厳しさ。
あまり時間はありませんでしたが、めいめいが考えてみられたのではないかと思います。

▲ 非日常 ≠ 別世界?
最後に…
「実はいま好きな人がいて、別世界にいるよう」というある参加者の一言でさらにおもしろみが増しました。
つまり、このときの「別世界」というのは、日常とはまったく別のところにあるもののようでいてそうではなく、問いの前提となっていた、
「非日常というのはなく、日常が拡張する」という感覚ではないかということなのです。
ほぼ無意識的に「非日常」ではなく「別世界」という表現をなさったそうですが、
守りたい日常、ということと合わせてとても興味深く思いました。



あなたにとっての「非日常」はなんですか?
あなたはそれを求めていますか?
それはほかのことばで言い表してみると何でしょう?
ぜひ考えてみてください。

次回のグリグラ哲学カフェは10/2 10:15〜12:00
場所はいつもと少しかわって、鈴蘭台駅から徒歩5分の「すずらんホール」にて。
進行役は松川さんです。

まとめられず長くなってしまいましたが、お読みくださってありがとうございます。
それでは液晶画面から、ごきげんよう。

2014/09/17

9/21 小金井哲学カフェ「人はなぜ服を着るのか」

おはようございます、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回開催のお知らせです。


日時:9/21(日)18:00-20:00

テーマ:人はなぜ服を着るのか

「服を着るのは常識だから」。そういう答えもあるでしょう。
では、なぜ常識なのでしょうか。社会規範から求められるものばかりではなく、
身体を守るという生理的なものから自己表現のためという理由もあるでしょう。

今回は、人が服を着ることについて話し合いたいと思います。

主催:小金井哲学カフェ 進行:花野


参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。

2014/09/16

8月30日千里哲学カフェの開催報告

千里哲学カフェ報告

みなさまこんばんは。赤井です。遅くなりましたが千里コラボでの哲学カフェの開催報告です。賑やかで楽しい哲学カフェでした。

2014(H26)830日土曜日 14:00-16:00 場所:千里コラボ第一会議室
テーマ:「意味がわかる」とはどういうことか?

会場は満席です。事務局によると予約は早々に埋まりお断りする方がたくさん居られたとのことです。今日の千里哲学カフェはまず、意味とはある事柄の価値とその内容を示しているのでしょう。と言うご発言から始まりました。

◆主観的な意味
 「意味が分かる」と言うとき、その答えは決まっているものでしょうか。意味には主観的な意味と客観的な意味があると思います。客観的な意味とは例えば辞書に書いてあって誰が読んでも了解できるような、あるいは数学や物理学での定理や公理などのことではないでしょうか。
 ならば、主観的な意味について言うと、発信者と受取る者の間で齟齬が生じる可能性があって、そこで「わかる」「わからない」と言う事が生じているのではないでしょうか。

◆分かると言うこと
 日常生活ではものごとを「比喩」や「皮肉」や「嫌み」等とともに理解していると思います。「意味が分かる」という言葉は日常あまり使いません。似た言葉ですが、「意図が分かる」と言うことはあると思います。
 他人の言っている事の意味が分かる、言葉の意味が本当に分かるとは、常識的に分かるとか、新しく理由を提示されて分かるとか、日常生活では好みの問題でもあるようです。

◆伝える、伝わる
 自分の思っていることが他人になかなか伝わらない、分かってもらいたいと思っても相手の経験の有無や想像力、本能が関与しているのではないでしょうか。

◆ロボットと人
 「分かる」と言う事を人間とロボットで比べてみました。

<人>が分かるとは、
 人間は、あいまいで哲学や情緒を持っており複雑な存在です。神経だけではなくホルモンの働きによっても制御されていて感受性や五感を持ち、本能を持っています。楽をしたいと思うし、分かりたいとも思います。意味付けるときは類推を働かせています。

<ロボット>は分かるのか?
 「意味がわかりました」と言わせるプログラムは可能ですし、情緒もプログラミング可能でしょう。一方で答えのでない計算もあるので、分からないと言うことをロボットにも言わせることが出来るでしょう。
 ただし、準備されていない事は出来ないしロボットの実態は電子回路そのものなのだと思います。ですから、ロボットやコンピュータが理解する、分かると言うことは、意味付け=名付け=コード化することによって抽象化する、と言う事でしょうか。
 しかしロボットやコンピュータが行う情報処理と意味が分かるということはイコールではないと思います。

◆意味が分かるVS意味が分からない
意味が「分かる」と「分からない」を対比してみました。

<意味が分かる>とは例えば、
 意図が分かるということに近くて、システムやからくりが分かると言うことでしょう。
 理解できる、動機が分かる、実践できる、結果が出る、納得できている、身に付いている、位置づけが分かる等と言うことでしょう。
 ロジックが少々矛盾していても理解できることもあります。言葉がわかるということは、発信者がいると言うことでもあります。

<意味が分からない>とは、
意図が分からない、不同意である。理解できない。知らない外国語のようにわからない。動機が分からない、実践できてなかった、結果が出ない、納得できない、身に付いていない、位置づけが分からない、発信者がいない等と言うことが含まれています。

◆意味を育てる
 意味が分かると言うとき、賛成や同意を現していると思います。意味が分かってしまうと、疑いなく受け入れられます。
 薬を開発するときその効果を確認するため偽薬を使ってテストをします。その時、偽薬は脳に錯覚を起こしているのですが、偽薬であっても一定の効果が確認できることがあるので、このことは偽薬にも意味が産まれていると言うことではないでしょうか。
 意味づけとは意味を発生させている。イメージや価値づけることでしょう。翻訳や通訳は、意味を育てているのではないでしょうか。


たくさんのご発言を頂き、あっという間の2時間でした。みなさん楽しんで頂けた様子でした。次回は1129日土曜日です。

テツドク!『顔の現象学』(1):玉地さんより

おはようございます、まつかわです。
9月3日(水)にさする庵で開催したテツドク!について、本を紹介してくださった玉地さんより感想が届きました。


8月に久しぶりに甲子園に高校野球を観に行きました。例年と比べて涼しいといわれた今年の夏ですが
やはり夏です。暑いです。
たまらずビールを買いに行くとどこかで見た顔、そう春に阪神百貨店の阪神グッズ売り場で出会った人でした。
もちろん知り合いではありません。会ったのもその時1回きりです。
病院で勤めていた時からどうも私は人の顔に強くひかれると思っていましたが、さすがにこの件は自分でもびっくりしました。

そんな私が今回みなさんと一緒に考えたいと思ったテーマは「顔」です。
そして選んだテキストは鷲田清一氏の『顔の現象学』です。
1章だけでも充分2時間かかる本ですので、どうしても本の内容の紹介に時間がかかります。
だから参加者の皆さんからあまりお話をうかがえなかったのでは、もっと対話の時間をとれなかったのかと、終わってからいろいろと反省です。
次回はもう少し皆さんからのお話を出して頂けるように時間配分を考えたいと思います。

ところでつくづくそう思ったのは今回出てきた意見のどれもが私にとって面白く、考えが深まるきっかけになったからです。
テツドクは準備が大変ですが、その分今回のように参加者の皆さんから考えるヒントが沢山飛び交うと私自身が嬉しくなりそして元気になります。
だから次回もできるだけの準備をして、当日楽しるようにしておきたいと思います。宜しければ引き続きの、そしてはじめてのご参加をお待ちしています。

(玉地雅浩)


次回開催についての詳細は、こちらをご覧ください。

私もスタッフとして参加させていただいていますが、玉地さんから次々に繰り出される例と、みなさんのやりとりが刺激的で、やはり一人で読むのとはちがう楽しさがたくさんありました。
前回発見したけれど、まだまだ納得のいく答えまではたどりついていない問いもあります。
引き続きみなさんと一緒に「〈顔〉という現象」について考えるのを楽しみにしています。
(まつかわの感想はこちら

2014/09/15

9/26 哲学Bar「空気を読むって必要か?」

おはようございます、まつかわです。
賛助会員の長井さんより、哲学Bar開催のお知らせが届きました。


★哲学Bar★

開催日時 : 9月26日(金)19時~21時
会  場 : mocco (姫路市綿町76 こうしんビル2F )
参 加 費 : 2,000円 (初めてご参加の方は500円OFF!)
別途、moccoの2時間利用料 500円要
(ドリンクバー代が含まれます。アルコール〈生ビール・クラフトビール、チューハイ有〉は別料金、持込みも可。)
テーマ : 空気を読むって必要か?
定  員: 6名

studioCUE HPの哲学カフェ&哲学Barのページ:
http://studiocue.net/tetsugaku.html


これは、関心ある人が多そうなテーマですね。
少人数制なので、参加をご希望の方はお申し込みをお忘れなく。

2014/09/14

哲学カフェがめざすものとは

名古屋の新会員、安田です。お初に投稿させていただきます。

ご存知かもしれませんが、来る9月21日(日)、名古屋でも『哲学カフェのつくりかた』出版記念イベントとして、半分は哲学カフェ実践者の座談会、半分は哲学カフェそのもののフリートーク、というイベントを行います。テーマは「哲学カフェがめざすものとは」。

このたび、一種のプロモーションを兼ねて、「哲学カフェ@名古屋」のホームページ上に、このテーマについてのご意見を広く募る掲示板を開設しました。このイベントに参加する/しないに関わらず、思うところおありの方、誰にでもご投稿いただきたい、という趣旨のものです。

もし思うところおありでしたら、よろしければ、こちらでシェアしていただけませんでしょうか。

尚、僭越ながら、すでに私安田が個人的にこのテーマについて常々思っている疑問をひとつ、投稿させていただきました。題して「哲学カフェがめざす二種類の〈人間形成〉とその矛盾について」です。こちらをお読みいただいてのご意見なども、もしいただけければ幸甚です。


2014/09/13

哲学BAR@京都のお知らせ


やまもとです。
告知が遅くなってしまいましたが、
今月の哲学BARのお知らせです。


◆哲学Bar

お酒を飲みながら、様々なテーマについてカジュアルに話し合います。
(無理に飲まなくても大丈夫です)

○日 時:9月21日(日):19-:00-21:00
○場 所:BAR【Lowo=Tar=Voga】
○交 通:京都市中京区北車屋町271-4 森川ビル1F
阪急河原町駅から徒歩10分
○テーマ:「尊敬」について
○進行役:やまもと@びわこ哲学カフェ
○参加費:無料(各自の飲食代のみ)
○定 員:10名程度
○備 考:当日参加可ですが、できるだけ事前にお申し込みください。
○主 催:BAR【Lowo=Tar=Voga】
○問合せ/申込み先:biwako.philosophycafe@gmail.com

秋の夜長に、ゆったりとした時間を過ごしましょう。

2014/09/03

玉地さんと『顔の現象学』を読む(1)

こんばんは、まつかわです。
今日はさする庵にてテツドク(哲読)でした。
理学療法士でもある玉地さんと『顔の現象学』を読む、第1弾!
テツドク初の3回連続企画です。


3回で文庫本1冊なんて余裕でしょ、と思ってたら大間違いでした。6回連続でお願いしとけばよかった。
謎をふっかけてくる鷲田清一の文章と、玉地さんの引き出しの多さと、参加者のみなさんと一緒に手探りで進む感じが楽しくて、もっとゆっくりじっくり味わってもいいなぁと思っちゃいました。
一人で読むとわかったつもりになってたところも、みなさんと一緒に読むと、わかってたつもりだっただけで、わかってなかったなぁと気づかされたりしますね。
それがまた楽しい。
〈顔〉についてこんなに考えたのは初めてです。

前回の中岡さんとヘーゲルを読んだ回もそうでしたが、テツドクに参加すると、初めて哲学書を読んだときのドキドキワクワク感が蘇ってきます。
みなさんもどうぞ体験してください。

玉地さんと『顔の現象学』を読むテツドク、第2回は10月15日(水)です。
お申し込みは、さする庵までお願いします。


以上、最終の新幹線よりご報告でした。

9/12 小金井哲学カフェ「哲学は誰にでもできるのか?」

おはようございます、まつかわです。
賛助会員の佐渡原さんより、小金井哲学カフェの開催情報が届きました。


日時:9/12(金)19:00-21:00

テーマ: 哲学は誰にでもできるのか?

できる・できない、
どのように、できますか?
子供には? 男女では?
哲学カフェの参加者は多様ですか?

誰にもできない、卒業した、嫁から禁止令、老後の愉しみに、カネがかかるからやめた、酒があれば、アスリートなら誰でも、哲学者やってるけど内心無理...

哲学は誰にでもできるのか?
適性や哲学することに纏わる諸事情も含めて、改めて考えてみたいと思います。


場所:カフェ  broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)

主催:小金井哲学カフェ 進行:佐土原


それぞれの「哲学観」がたくさんきけそうなテーマですね。
参加をご希望の方は小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。