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2015/11/30

12/12 小金井哲学カフェ「哲学は何かの役に立つのか」

こんばんは、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回の開催情報が届きました。


小金井哲学カフェを開催します。
哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日 時:12/12(土)15:00-17:00
・テーマ:哲学は何かの役に立つのか
・進 行:佐土原
・場 所:シャトー2F(ニーエフ)カフェ
(東京都小金井市本町6-5-3 シャトー小金井 2F)
・料 金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
・予約は不要です。開始時間までにお越しください。


私、こういう「哲学」について語るテーマを自分で取り上げることはあまりありませんが、どんな話が出るのかは大いに気になります。
みなさんの思う「哲学」とは何か、「役に立つ」ってどういうことか、大いに議論が盛り上がりますように☆


2015/11/29

家族を考える対話いろいろ

こんにちは、まつかわです。
バタバタしていて、ごぶさたしてしまいました。

昨日は、日本ホスピス緩和ケア協会緩和ケア専門看護師さん向けの研修のお手伝い。
一日中、「家族ケア」について対話してきました。
がんという病は、患者さん本人だけでなく、患者さんのご家族にとっても、戸惑いが大きかったり、病状が理解しにくかったり、受け入れるのが難しかったりするもの。
そういう患者さんのご家族に対するケアは、最終的には患者さんのためになるからやっているのか? それとも、ご家族自身のために必要なのか? ケアすべきご家族には、どんな人が含まれるのか?
などなど、患者や家族の立場に立たされる私にとっても、大変興味深いテーマでした。


そういえば、偶然にも、ここのところ「家族」について対話する機会が多かったなぁ。
というわけで、さぼってた報告を「家族」という切り口で一気にやっちゃいます。

11月15日(日)は、ケアを考える会-岡山という勉強会で、『ケアの宛先』(雲母書房)を読みながら、ケアの対象であると同時にケアチームの一員でもある、患者さん(あるいは利用者さんや子どもなど)の家族の両義性が話題にあがりました。
ここでは「家族のケアは、最終的には患者さんのため」という意見が多数でしたが、緩和ケア専門看護師さんとの対話では「患者さんのためとはかぎらず、ご家族自身のためのケアがある」という意見が出たのが面白かったです。職種や現場によっても、考え方が異なるのかもしれません。

11月21日(土)は、岡山市立中央公民館主催のどーなつカフェにて、「『社会に貢献する』の『社会』って何?」について話し合うなかで、「見知らぬ人を助けたら社会貢献のような気がするけれど、家族を助けるのは社会貢献と思えないのはなぜだろう?」という問いについて考えました。
その後、障害をもつ我が子のためにがんばることが他の障害者の助けにもなっているという例をきいて、家族を助ける場合でも、その行為が家族だけで閉じることなく見知らぬ人にも影響を与えるような場合は社会貢献といえるのではないかと思いました。



11月25日(水)は、ぱらママさん主催のママカフェサプリで、「夫と私、いまとこれから」というテーマのもと、夫婦関係の変化や夫婦の時間、家庭での役割について話し合いました。
(「子どもができて、夫は変わらないけれど、私が変わった!」という声多数。)



家族について考えるにも、いろんな切り口がありますね。

ぱらママさんでのママカフェサプリは、これにて一旦ひとくぎり。
ニーズがあることはわかったので、どうやったらこうした活動を継続できるか考えてみます。

岡山市立中央公民館でのどーなつカフェは、次回は12月19日(土)。
テーマは「なぜ人はお金や権力を欲しがるの?」。
詳細はこちらをどうぞ。

また、ケアを考える会-岡山については、こちらをご覧ください。
看護師、介護士、ケアマネージャー、社会福祉士、保育士など、様々な立場でケアに関わる人たちが集まる勉強会です。

2015/11/20

対話できないのは誰?〜障害と哲学対話〜

こんにちは、まつかわです。
さきほど、メルマガ12月号を発行しました。
新規登録、登録アドレスのご変更はこちらからどうぞ。


明日は岡山市立中央公民館にてどーなつカフェです。
2回目の明日のテーマは「『社会に貢献する』の『社会』って何?」。
ソーシャルグッドをつくろうという活動をしている女子高生の疑問です。
初めての方も大歓迎。ご都合のよい方はぜひお越しください。

それと関連して、今日はちょっと、障害と哲学対話について書いてみようとおもいます。
10月に参加した哲学プラクティス連絡会(学校や街中で哲学対話を実践している人たちの集い)で、こんな質問がでました。
「耳が聞こえない人や、言葉を話せない人に対して、どのようなフォローが考えられますか?」 
「哲学対話は誰でもできるというけれど、対話できない人もいるのでは?」
その場で納得いく答えが出せず、ずっと気になっていたのですが、前回のどーなつカフェにそのヒントがありました。


どーなつカフェでは、みんなで輪になり、ハワイの子どもの哲学(Philosophy for Children/P4C)で使われるコミュニティボールという毛糸のボールを使って話し合います。
コミュニティボールのルールは簡単。

1)ボールをもっている人が話す 
2)ボールをもっている人は話すのをパスすることもできる 
3)ボールをもっている人は、話が終わったら、次の人にボールをパスする


前にもちらりと書きましたが、前回は、参加者のなかに一人、視覚障害のある方がいました。
お名前を、Pさんとしましょう。

Pさんがボールをもって話したあと、別の男性Tさんが「はい」と挙手し、ボール(と話す権利)を求めました。
さて、どうしよう。
Tさんがどこに座っているか、どの方向にボールを投げればいいのか、目の見えないPさんにどうやって伝えたらいいんだろう?
そのとき初めて、私は気づきました。
視覚障害のある方と、どうやってボールを使った対話をすればいいのか、自分が知らないことに。

戸惑いのような困惑のような沈黙が流れはじめたそのとき(ほんの2〜3秒だったと思います)、Pさんが言いました。
「手をたたいてください」
Tさんが手をパンパンと2度叩くと、Pさんの手から離れたボールは、きれいな放物線を描き、ぴたりとTさんの手元に届きました。
「おぉ!」
その見事なコントロールに、歓声があがります。

その後、私たちはボールを受け取るときには必ず手を叩くことにしました。
Pさんからボールを受け取るときだけでなく、他の人からボールを受け取るときにも。
Pさんとボールの描く軌道を共有できるように。
それは愉快な発明でした。
ときどき、手を叩くのを忘れそうになります。
あ、と思って、慌てて手を叩く。
そうすると、対話の内容にばかり夢中になって、他者への配慮を怠ってしまいそうになっている自分に気づくことができました。


この出来事を、「Pさんは目が見えないから、他の人が助けてあげた」という見方をする人もいるでしょう。
(あるいは、現象学風にこう言うこともできるかもしれません。「〈できない〉は、誰かの中にあるのではない。私たちの〈あいだ〉にある」と。)

でも、私の実感はちがいました。
たしかに、Pさんは、目が見えない。
でも、彼女は、初めて参加するワークにもかかわらず、どうすれば自分がそのワークに参加できるか知っていました。
むしろ、彼女とコミュニティボールを使って話す方法を知らなかったのは、「できない人」だったのは私たちのほうです。
それが、Pさんの「手を叩いて」という一言のおかげで、すっと動きだせた。
おかげで、あの日、どーなつカフェに参加した人は、今後、別の視聴覚障害のある人とも、コミュニティボールを使った対話を楽しめるでしょう。
彼女は自分がその方法を知っていただけでなく、他の人を「できない人」から「できる人」に変えることのできる人だ。
私はそう感じました。


この一件は、私に次のような疑念を抱かせてくれました。
 視覚障害にかかわらず、障害のある人との関わりを困難を感じるとき、私たちは、「相手ができないから、できないのだ」と思い込みがちだけど、果たして本当にそうだろうか?
むしろ、障害がある人とのコミュニケーションを困難にしているのは、その障害との関わり方を知らない私のほうではないか?
「障害のある人=できない人/障害のない人=できる人」という思い込みを逆転させなければならないのではないか?

もしそうならば、私たちがとるべき姿勢も変わってきます。
障害のない人が障害のある人を助けるのではなく、その障害と長く付き合ってきた人から、その障害との付き合い方を学ぶというふうに。


実際に、聴覚障害 のある人、発声障害のある人、精神障害のある人との対話でも、同じようなことがありました。
長くなってしまうので、その話は、またいつか。

2015/11/19

11/29 小金井哲学カフェ「嗜好品について」

こんにちは、まつかわです。
小金井哲学カフェより、次回の開催情報が届きました。
人間の欲望や文化について考えさせられそうなテーマです。




日時:11/29(日) 15:00-17:00

テーマ:嗜好品について

お酒、タバコ、コーヒー。違法ですがドラッグも嗜好品と言えるでしょう。
医学的には好ましくないものが大半ですが、気分を良くしてくれるものとして、つい手が出てしまうもの。
そういった嗜好品に対して、人はどのように付き合えばよいでしょうか。
今回は、嗜好品について話し合いたいと思います。

進行:花野

場所:シャトー2Fカフェ(東京都小金井市本町6-5-3 シャトー小金井 2F)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
 
予約は不要です。開始時間までにお越しください。


小金井哲学カフェのブログはこちらです。

2015/11/13

ごめんなさい、2つ。哲学Barの中止とNSDセミナーのこと。

こんばんは、まつかわです。
今日は、みなさんへが2つ。

まず一つ目。
11月15日(日)に予定されていた哲学Barは、進行役の都合で中止させていただきます。
ごめんなさい。
お申し込みくださったみなさんには、すでに担当の山本さんからご連絡が届いているかとおもいますが、念のためこちらでもお知らせしておきます。
今回扱う予定だったテーマは、次回取り上げる予定だそうです。
お楽しみに。

それから、二つ目。
1月に関西でネオ・ソクラティックダイアローグ(NSD)のセミナーを開催します。
が、あっという間に定員が埋まってしまい、今はキャンセル待ちの状態です。
ごめんなさい。
もし「キャンセル待ちでも申し込みたい」という方は、こちらをご覧ください。
キャンセルが出た場合は、キャンセル待ちのお一人目から順にご連絡させていただきます。

キャンセル待ちがあまりに多いようなら、今年度中にもう一回ぐらいできないかどうか考えてみようかなぁ。

ひとまず、無事お申し込みできたラッキーなみなさん、お会いできることを楽しみにしております。
特に準備はいりません。
ただ長丁場なので、お互い体調を崩さぬよう気をつけましょう。


2015/11/12

こたつむりcafe「今夜のエッチOKサインはどのように。。。」

こんにちは、まつかわです。

昨夜は岡山で、愛や性について考えるこたつむりカフェでした。
テーマは、「今夜のエッチOKサインはどのように。。。」。

「OKかとおもったら、ちがった!」、「NOサインを送ってるつもりなのに、伝わらない?!」といった話から始まり、「なんで断れると傷つくんだろう?」、「相手との関係がNOなのか、関係はOKだけど今NOなのかによってもちがうのでは?」、「言葉ではっきり言う?それとも態度で示す?その理由は?」、「そもそもエッチOKサインはなぜ必要なの?」などについて語り合いました。

テーマのせいか、水曜開催のせいか、参加者は少なめ。
でも、人によって、はっきり言う人、態度で誘う人、断れると傷つく人、断られても平気な人、いろんなバリエーションがあって、興味深くそれぞれの理由を聞いていきました。
OKサイン/NOサインの出し方・受け取り方って、その人との関係がどう進展するかや、相性への影響が思ってたより大きそうだなぁ、なんて思いました。

次回のこたつむりカフェは12月18日(金)の予定。
テーマは考え中。
facebookページに過去の開催記録などもあるので、よかったらご覧ください。


2015/11/09

青木さんより、中之島哲学コレージュ「ウラオモテヤマネコ」の振り返り

こんにちは、まつかわです。
昨日は、とある団体さんのスタッフ研修にお招きいただき、神戸で1日進行のお仕事でした。
帰ってきたら、11月3日の中之島哲学コレージュ「ウラオモテヤマネコ」の企画進行をしてくださった青木健太さんより、振り返りの文章が届いていました。

企画・進行してくださった青木健太さん



 ゲストに作者の井上奈奈さんをお招きした今回。井上さんは前回の『さいごのぞう』の作者でもあり、動画の提供をしてくださっていました。作者が居合わせると「作者への質問コーナー」というかたちをとるのが順当ですが、コレージュはあくまで「そこにいる人たちで考える場所」。また、井上さんのご要望もありそういうかたちにはせず。井上さんも、参加者に問いかけ、また一緒に考えるというスタンスでその場にいてくださいました。作品と作者と鑑賞者とが、こういったかたちで居合わせるというところはコレージュ流かもしれません。




   今回も井上さんが動画を用意してくださったので、まず参加者のみなさんと一緒に朗読とあわせて絵も楽しみました。その後はいつもどおり、参加者のみなさんの考えたことからスタートです。初参加の方が多かったこともあり、大縄跳びで入るタイミングを見計らっているときのような、ためてためて話し出される言葉がたくさんあった印象です。私の印象に残っていることを、「ウラとオモテ」、「猫」、「少女」の3を中心に振り返ってみます。

 絵本に登場するウラオモテヤマネは、ウラの世界とオモテの世界を行き来します。この「ウラ」と「オモテ」が何で、どんな関係かということを考えました。

まずオモテが日常でウラが目新しいものの世界という考え方。ウラの世界は美しい世界として描かれています。裏の世界は新奇なものがたくさんある世界として、見慣れたものばかりの日常の裏返しと考えられるわけです。

 ウラオモテヤマネコはオモテの世界で出会った少女をウラの世界につれていきます。最初は二人きりだったウラの世界。そこに少女の望みで他のオモテの世界の人々がやってきます。そうしてウラの世界はいつの間にかオモテの世界と同じになってしまいます。ここから、ウラとはごくわずかな人だけが知るもので、オモテは多くの人々によって共有されているものだと考えた方がいました。

 また、ウラの世界にオモテの世界の人々をつれてきたいと少女が望んだ、というところに注目した方がいました。ウラの世界はただ希望だけがある世界で、オモテの世界は色々な欲望のある世界。希望だけの世界で何かを望みだすと、そこはやがていろいろなものであふれ、何かを欲しがる欲望の世界になる。そして、元の欲望の世界は空になって希望だけの世界になる。こうしてウラとオモテが入れかわったという考えです。

 他にも、地球のようなとても大きなもののウラ側を求め続けると、いつの間にかオモテに戻ってくるということを話された方がいました。みなさん、ウラとオモテの世界は全く別々に成り立つ二つの世界ではなく、溶け合ったものとして考えられたようです。ちなみに、ウラの世界とオモテの世界の間には鍵のかかった扉があり、ウラオモテヤマネコがその鍵を開けます。この扉はオモテからウラへの一方通行になっています。そこに注目して、オモテからウラへの移動を時間の流れと考えた方がいました。

 今回、後半の入り口にしたのは「猫」ってどんな印象か、ということでした。犬との対比で、犬は序列を重んじるところが人間っぽくて面白みがない、でも猫は自由気ままで人間とは違った面白みがある、と話された方がいました。

私は前半の終わりがけに話された方の話がそのあともずっと頭の中に残りました。猫は人間の知らない世界を知っている。路地裏や細い隙間の風景。人間が作ったはずなのに人間は気がついていない世界を猫は見ている。人間の知らない世界のことを知っているから、ウラオモテヤマネコは猫なんだろうということです。どうして人間は猫の見ているような世界に気がつかないのか。それは人間がたくさんいるから、とその方は考えられていました。人間がたくさんいるところでは、人間同士の関係が他のものよりも気になる。そのために、見えているかもしれない世界が見えなくなるということです。人間が少ないところでは、星が見えることや小さな生き物の存在に気がつくものだし、普段でもふとした瞬間にそういうことはあると話されていました。

 猫がウラの世界を知っているということについては、井上さんのお話をきっかけに考えられた方もいました。井上さんが、「猫」は「寝(る)子」が由来といわれているくらいよく寝るということを話されました。そこから、寝ている時間は起きているときとは別の世界にいると考えると、猫は寝ている時間が短い人間よりその別の世界、夢の世界に詳しいのでは、と考えられた方がいました。

 猫は人間とは違う世界を見ている、というイメージがありそうですね。私も猫との付き合いは長いですが、彼らは虚空を見つめていることがよくあります。耳がとてもいいので人間にはキャッチできない音を拾っているらしいのですが、あんまりじっと見つめているので、ちゃんと何か見えているのではと思うことがあります。

 猫であるウラオモテヤマネコと、もう一人少女が物語の中心にいます。彼女が望んだのでウラオモテヤマネコは彼女をウラの世界につれて行きました。彼女はウラの世界にオモテの世界の人をつれてきたいと言い、結果ウラの世界はオモテの世界になったのですが、彼女はそれを悲しみました。私もちょっと思ったのですが、やはり参加者の方からも「わがままでは?」と考えられた方がいました。ともあれ、この少女とウラオモテヤマネコの関係もいろいろ話されました。

 ウラオモテヤマネコが少女をウラの世界につれて行ったことについて、ウラオモテヤマネコがそういうことをしたのは初めてだったと考える方がいました。少女は瞳が美しいと描かれていて、ウラオモテヤマネコはそこに惹かれたから少女を特別扱いしたと考える方もいました。

 一方で、実はウラオモテヤマネコはこれまでに何度も誰かをウラの世界につれていき、そしてそれがきっかけでウラの世界がオモテの世界に、ということを繰り返していると考えられた方もいました。その方に、「何のためにだと思いますか?」と尋ねてみたところ、苦しみながら「気まぐれ」と答えてくださいました。私はけっこう好きな答えでした。すべての行動に理由があると思うな、というところが猫らしいと思ったので。

 少女とウラオモテヤマネコの関係で私が気になったのは、ウラオモテヤマネコの大きさが変わることでした。ある時はふつうの猫ぐらいですが、あるときは少女をくわえて運ぶことができるくらいの大きさになります。これはどういうことなんでしょう、と皆さんに問いかけました。

 ウラオモテヤマネコの大きさは、少女からみたときの印象を表していると話してくれた方がいました。存在感の大きさということですね。また、話のスケールに合わせて変わっていると考えた方もいました。宇宙を旅しているときは大きく、家の中にいるときは小さく、「器」の大きさに合わせているということです。

 むしろ少女が小さくなっていると思った、と話してくれたのはカフェマスターの松川さんでした。猫用の出入り口がついているドアがあったりしますが、あの出入り口を人間が通り抜けようと思うと、猫のサイズにまで小さくなる必要がある。私はここで、猫が人間の知らない世界を見ているという話を思い出していました。少女はウラの世界、猫の世界に入るために小さくなったのかもしれません。

 私はウラオモテヤマネコの大きさが変わっていることが気になったのですが、まったく気がつかなかったという方もいました。同じ絵を見ていてもこういった違いがある、それが考えるときのいい目印になります。

 大きさの変化に気がつかなかった方を起点に考えてみると、少女の気持ちと読者の気持ちがシンクロするかどうかがポイントになっているようでした。少女の気持ちと読者の気持ちが完全に重なり合うと、ウラオモテヤマネコの大きさの変化はまったく気にならなくなるということです。何かの大きさは、見る人によって、あるいはいつどこで見るかによって変わるものです。少女になりきっていれば、少女が見たような大きさでウラオモテヤマネコを見ることができるということになりますね。こんなところに、読者と登場人物の距離が現れるようです。

 会場の後ろの方で小さなお子さんが駆け回っていたのですが、その声につられて話された方がいました。子供のときにはシンプルに世界を見て、見たとおりのものだと思っていた。地下鉄の窓の外側の真っ暗な景色、そこには何か別の世界があると思っていたように。ウラオモテヤマネコと少女が行ったウラの世界には、風の宇宙、空の宇宙、光の宇宙があります。子供の時に見ていたシンプルな世界は、大人になった今は記憶の中のウラの世界としてある。あの子がいて元気に走り回っていてくれなかったら、この方はこの話をしなかったでしょう。話すことと、聞くこと。言葉のやり取り以上のものを巻き込んで成り立っているのでしょうね。

作者の井上奈奈さん

 作者の方をお招きするという新しい試みをした今回でしたが、井上さんのご協力もあっていいかたちになったと思います。井上さんありがとうございました。『ウラオモテヤマネコ』はとてもこだわってつくられた絵本で、持っていることによる満足感があります。ページをめくりながら考えると、また違った世界に行けると思います。ぜひみなさんも手にとってみてください。


青木さん、丁寧な振り返り、ありがとうございます。
ゲストの井上奈奈さん、参加者のみなさんも、あらためて素敵な時間をありがとうございました。

会場で私も『ウラオモテヤマネコ』を購入させていただき、さらにその後、amazonで前に読んだ『さいごのぞう』もポチっとしてしまいました。
中之島哲学コレージュでいろんな感想や意見をきけて楽しかったので、いつか岡山で子どもたちと読む企画を実現できればと目論んでいます♪

この表紙について言及された方もいましたね。
あのツッコミ、おもしろかった!





2015/11/07

哲学カフェ@千里コラボ’15.10.31 開催報告

皆さま

こんにちは、赤井です。すっかり秋となりました。いかがお過ごしでしょうか。
先日行った哲学カフェ@千里コラボの様子をご報告します。なかなか難しいテーマでしたが活発なご意見を頂いて何か見通しがついたような感じがしました。


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2015(H27)1031()14:0016:00
哲学カフェ@千里コラボ 「意思はどのようにして生まれるか」 参加21

良いお天気に恵まれた秋の日の午後、千里中央駅からすぐのところにある千里文化センター「コラボ」において恒例の哲学カフェを行いました。毎回定員がすぐに一杯になる人気の哲学カフェです。
今回のテーマは「意思はどのようにして生まれるか」でした。ちょっと難しいのではと思いながら始めました。

◆意思が生まれるとき 
 まず、意思が生まれる時はどんな時かたくさん出されたご意見の中から、人の内面からわき上がるように意思が生まれるか、外部から魅力的な刺激が与えられたことで生まれるか、または人が誕生した瞬間から備わっているのでは、と言うご意見を吟味するようにお話が進んでいきます。
 無人島で暮らす人の意思とはどんなものかを検討する中で、意思が生まれるには環境が大事では、と指摘があります。環境との相互作用によって色々な外部の情報を取り込まないことには意思の生まれようが無い、次いで意思は外部に向けて行動することで現さなければ意思とはならない。というように、環境や他人との関係は意思が生まれる上で必要ではないか、というお話に進んでいきます。

◆生きる意欲
 一方で、内発的なあるいは生得的な作用として意思があるのでは、と言う意見について、意思が生まれる場所は脳であろうと言うご意見がありました。これに対し、ロボットの例が検討されました。ロボットが将来意思を持ちうるかどうかは、「生きる意欲」をロボットが持つかどうかではないかと言うご意見から、意思が脳と言う場所で生まれるにしても「生きる意欲はどうやって生まれるのか」という問いに接していることに気付かされました。

◆意思は成長する
 意思を持って取組む事柄について、未来、願望、ご褒美(対価)などが関わっている事柄だろうと言うご意見から、人が成長する過程で徐々に世界を広げるところに意思が生まれるあるいは宿る、と言う意見が出されました。
 生得的な「生きる意欲」に幼いながらも経験を重ねることに寄って「欲」が生まれる。そこに意思が形成されていく過程を見ることが出来ると言うご意見になるほど、と思いました。

 意思は成長するもののようです。経験を重ねることで意思は変化し力を持ち、判断が高度に柔軟になっていくのでしょうか。


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 終了に先立ち、次回以降のテーマを募集しました。2件が選ばれましたので事務局でテーマとして取り上げることとしています。


次回は来年130日です。

2015/11/04

絵本『ウラオモテヤマネコ』を読んで語り合う

こんにちは、まつかわです。

昨日は、中之島のアートエリアB1にて、中之島哲学コレージュ。
作者の井上奈奈さん、進行の青木健太さんと、絵本『ウラオモテヤマネコ』についてあれこれ語り合いました。

おなじみ、進行の青木健太さん
『ウラオモテヤマネコ』の作者、井上奈奈さん

絵本を動画に編集しなおしたものを鑑賞しました

一人で読んでも素敵な絵本ですが、みなさんの感想をきいて、改めてこの絵本の奥行きの深さに気づかされる時間でした。

特に後半。
青木さんに「なぜネコなんでしょう?」「このネコは、どうして大きくなったり小さくなったりするんでしょう?」と投げかけられるまで、「え、ウラオモテヤマネコってイリオモテヤマネコの単なる駄洒落でしょう」としか思ってなくて、「えー、裏とは何か?表とは何か?についてもっと意見が聞きたい!」と思ってしまったのですが‥‥。
みなさんの、「ネコは人間が知らないところを知っている」「ネコが大きくなったり小さくなったりするのは、少女の心情を表しているからでは」といった意見をきくうちに、最初のうちは全く思い描いていなかった解釈が自分のなかに生まれてきて新鮮でした。

前半の「シェアリング(共有)」に関する指摘や、「このネコはこの少女だけに鍵を渡したのか、それとも気に入った子がいたら渡すということを繰り返してきたのか」というやりとりもとても興味深かったです。

作者をお招きすると、少しは作者への質疑応答みたいになっちゃうものなんですが、今回はそんなこともなく、作者の井上奈奈さんも「みなさんがどう感じたかききたい」という姿勢で、かといって受身になりすぎることもなく、自然に対話に入ってくださいました。

参加者の声に耳を傾ける井上奈奈さん

井上さん、青木さん、ご参加くださったみなさん、素敵な時間をありがとうございました。

そして、再度のご案内。
今回みなさんと味わった『ウラオモテヤマネコ』の原画展が、京都で開催中です。
原画は、絵本とはまたちがう味わいがあるそうなので、ぜひ! 
会期が長いので、岡山在住の私もどこかのタイミングでうかがえるのではと思ってます♪

会期     :    前篇 [であい]  2015年11月1日(日)-11月20日(金) 
       中篇 [うらおもて]2015年12月1日(火)-12月20日(日) 
                    後篇 [うぶごえ] 2015年12月21日(月)-2016年1月20日(水) 
会場     :  京都市東山区祇園町南側570番地122  ぎをんさかい 1F GALLERY
企画     :   ぎをんさかい
入場料 :   無料 
時間     :   11:00〜19:00     2Fカフェ  11:00〜17:00 《年中無休》

原画展のご案内(井上奈々さんのブログより)

2015/11/02

11/14 小金井哲学カフェ「100年後の社会」

連続で失礼します、まつかわです。
小金井哲学カフェからも、次回開催情報が届きました。


小金井哲学カフェを開催します。
哲学の知識は不要です。
どなたでもお気軽にご参加ください。

・日 時:11/14(土)15:00-17:00
・テーマ:100年後の社会
・進 行:佐土原
・場 所:シャトー2F(ニーエフ)カフェ
(東京都小金井市本町6-5-3 シャトー小金井 2F)
・料 金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
・予約は不要です。開始時間までにお越しください。


小金井哲学カフェのサイトはこちらです。
お近くの方、ご関心のある方はぜひ♪

11/22 空堀哲学café「ゆずる/ゆずられる」

おはようございます、まつかわです。
賛助会員の青木健太さんより、空掘哲学カフェの開催情報が届きました。


空堀哲学café「ゆずる/ゆずられる」
何かを「ゆずる」。何を「ゆずり」、何を「ゆずられる」のでしょうか。モノなのか、想いなのか。なぜ「ゆずる」のでしょうか。わたしたいからなのか、いらなくなったからなのか。なぜ「ゆずれない」のでしょうか。自分のものだからなのか、誰かがそれをもつことがいやだからなのか。なぜ「ゆずられた」のに受けとれないのでしょうか。自分にはふさわしくないからなのか、あまりに重いからなのか。誰かと話し、また誰かと聞き、「ゆずり」「ゆずられ」一緒に考えましょう。

とき:1122日(日)16:0018:00
ところ:道勝café
大阪市中央区谷町6-4-20(空堀商店街)
最寄り駅 谷町六丁目(谷町線)・松屋町(長堀鶴見緑地線)
参加費:ドリンク代(¥400600
定 員:10名(要予約)
連絡先:thinkingcat.post@gmail.comNECOplace



「青木さんってどんな進行役かな?」という方は、明日の中之島哲学コレージュへどうぞ。
井上奈奈さんのちょっと不思議な絵本、 『ウラオモテヤマネコ』を題材に感想や考えたことを話し合いましょう。