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2016/06/28

賛助会員制度の変更についてお知らせ

山本です。本日はカフェフィロの賛助会員制度についてご案内いたします。
カフェフィロでは昨今の状況を踏まえ、本年度から賛助会員制度を一部変更することにいたしました。カフェフィロはこれまでと変わらず「社会に生きる哲学」の実現のために様々な実践を行っていきますが、今後は「哲学とともに生きる人たち」を応援するべく、哲学実践者の活動のサポートも行っていきたいと考えております。そのため従来の賛助会員を2種類に分け、「サポーター会員」と「パートナー会員」を新たに設立することにいたしました。それぞれの詳細は以下の通りです。

●サポーター会員(年会費3,000円)…カフェフィロの目的に賛同頂き、活動を支援いただける「個人」の方が対象です。

★サポーター会員特典
・カフェフィロセミナーの割引、及び先行受付
・サポーター会員限定のイベントへのご招待
・その他特典を検討中
※従来の特典であった「哲学喫茶瓦版」の配布は中止します。

●パートナー会員(年会費7,000円)…カフェフィロの目的に賛同頂き、支援/協働いただける「団体」や「法人」が対象です。
※申し込まれた団体の活動内容によっては入会をお断りする場合もございますので、予めご了承ください。

★パートナー会員特典
・カフェフィロHPへのリンク掲載※
・カフェフィロHP及びFacebookへのイベント情報(哲学カフェなど)掲載※
・団体の代表者1名はサポーター会員の特典も受けることができます。
※現在HPをリニューアル中です。HPへのイベント情報掲載は夏以降の開始となります。
パートナー会員様はカフェフィロとの共催イベントを企画・提案することもできます。(内容によっては共催ができない場合もございますのでご了承ください)

カフェフィロではイベント広報のためのHPの維持・更新やメルマガ発行などの活動に費用を必要としていますが、昨年度は賛助会員の皆様から66,000円のご支援をいただき、これらの費用を補うことができました。
カフェフィロでは活動を継続・拡大していくために、今後も皆様からのご支援を必要としております。この機会にぜひサポーター会員/パートナー会員への入会をご検討いただければ大変に幸いです。ご入会いただけるという方や、お問い合わせがある方はinfo@cafephilo.jp までお気軽にご連絡ください。

2016/06/23

【報告】震災を考える哲学カフェplus

おはようございます、まつかわです。

先週日曜、6月19日は久しぶりに岡山大学のまちなかキャンパス「城下ステーション」にて哲学カフェでした。
テーマは「震災」。
他の「震災を考える哲学カフェ」がテーマを絞りこむなか、あえてざっくりしたテーマ設定させてもらいました。
できるだけ、いろんな声がききたかったので。

今回は、カフェマスター岩渕さんのご提案で、岡山大学の前田芳男さんに話題提供をお願いしました。
都市工学がご専門なので、当日まで専門家として熊本の支援に行ってらっしゃるのかと思っていたのですが、今回の地震で熊本のご自宅が被災されたとのこと。
ご自宅やその周辺の写真を見せながら、「専門家としてこんなふうに考えていたけれど、実際に当事者になるとこうだった!」と二つの立場のギャップを織り交ぜながら体験をお話しくださいました。

他にも、様々な方が参加されました。
今回の震災で親戚が被災されもどかしい思いをしている方、東日本大震災でチャリティー活動に関わった方、地震の多い地域で生まれ育ち常に危機感を感じてきた方、震災を遠い場所や遠い未来の出来事と感じている方、震災を機にTVや新聞をやめたという方 ‥‥。
「震災を直接体験したことはないけれど、震災の影響で授業が震災一色になり、大学で受けたい授業が受けられなかった。このうえ、やっと出られた哲学カフェのテーマまで『震災』だなんて!」と嘆く方もいました。
「岡山は大丈夫」という方が多い土地で、これだけ「震災」との距離感が異なる人たちが集まり、それぞれが「自分にとっての震災」を率直に声に出せたことが、まず今回の成果のひとつかなと思います。

もうひとつの大きなポイントは、「人間と知の関係」とでもいえばよいのでしょうか。

まず第一に、前田さんの「『想定外』の被害が出るのは、私たちが都合のいい想定しかできないからだ」というご指摘。阪神・淡路大震災からずっと専門家として防災に携わってこられた前田さんの、専門家としての反省と当事者としての実感の込められたその言葉の重みを感じました。

「いつかくるかもしれないけれど、どこかで明日ではないだろうと思ってしまっている自分がいる」
「いざ災害が起こったら、自分はいつもより元気に動いてしまうんじゃないか」
「体験しないとわからないから、3日間水だけで生活してみた」
どれも「都合のいい想定」かもしれません。
震災が明日こないとは限らないし、災害時に置き水や井戸や湧水が使えるという保証もありません。
街がや熊本城のような「そこにあるのが当たり前」だったシンボルが崩壊したときの喪失感だって、とても想像できるものじゃない。
震災を体験してる前田さんだって「次にまた震災に遭っても、やっぱり『想定外』なことがあると思う」と言う。

でも、その一方で、阪神・淡路大震災、東日本大震災の教訓が、瓦礫撤去や支援物資の支給などに役立っていたりする。
3日間水だけで過ごした経験がない状態より、その経験があるほうがいくぶんタフになっている気もする。
震災をきっかけに引きこもりから脱した人がいたり、「日常に弱く、非日常に強い」人はは実際にいる。

私たちの想像力の限界と、経験や本能の可能性との両方を感じました。

いま書きながら思ったのですが、最初に触れた「距離感」も、もしかしたらこの「想像力」や「経験」と関係あるのかもしれません。
3つ目の大きな論点、障害者や持病をもつ人などマイノリティの防災や支援の問題も、何か関係しそうです。

当日、熊本地震への義援金を募りました。
「たいしたことはできないかもしれないけれど、できることで迷惑にならないことがあれば、やってみよう」と思っていたところに、カフェフィロのメンバーが提案してくれました。
集まった12,034円は、カフェフィロ、赤十字を通じて被災者へお送りします。



終了後、派生テーマとして「募金」や「備える」というテーマでもやってみたい!という声がありました。
一息ついてから改めて、みなさんと考える機会をつくれたらと思います。

次回開催は7月31日(日)14:00〜。
テーマは、「なぜ私たちは哲学するのか?」です。
詳細はこちらをどうぞ。
(近々、カフェフィロHPでも案内させていただきます。)

2016/06/08

朝日新聞(リレーおぴにおん)カフェより

こんにちは、まつかわです。
先日予告した記事がネットにも掲載されたので、リンク貼っておきますね〜。

(リレーおぴにおん)カフェより:5 一期一会、どこでも哲学 松川絵里さん


記者さんが、初めての方にもわかりやすいようにまとめてくださいました。
実際のインタビューはけっこう長時間になってしまい、もっと端的に自分の考えを表現できるようにならねばと、ちょっぴり反省。
他の方のカフェ話も、今後の参考にさせていただこう。

2016/06/06

6月8日の朝日新聞にインタビューが掲載されます

こんにちは、まつかわです。

6月8日(水)の朝日新聞に、私のインタビュー記事が掲載される予定です。
オピニオンという特集記事の「カフェ」特集ということで、哲学カフェのお話をさせていただきました。

取材のご依頼をいただいたときに気づいたのですが、よく考えてみれば、私、一般的に「カフェ」と呼ばれる場所ではあんまり経験がないんですね。
区民センターとか、公民館とか、男女共同参画推進センターとか、大学のまちなかキャンパスとか、地域のコミュニティスペース的なところが多いんです。
とはいえ、哲学カフェをするときには「カフェ的な場とは何か」ということを常に意識しているので、それでもいいですか?ということでお話させていただきました。

お馴染みさんには聞き飽きた話かもしれませんが、読んでいただければうれしいです。

2016/06/05

カフェフィロ総会を終えて

山本です。
先週の土曜日(5/28)、カフェフィロ総会が開催され、これからのカフェフィロの活動について会員で議論しました。
これまでカフェフィロが担ってきたメディアの機能やネットワークを、今年度はさらに強化する方針です。詳細は追ってお知らせしますのでお楽しみに!

※写真は昨年度開催した哲学カフェ一覧です。なんと118回!



0160521このそう哲学カフェ「天災と生きる」開催報告



2016(H28)年5月21(土)14時~16時 会場 園田地区会館

テーマ「天災と生きる」 参加者4名 進行:赤井郁夫

熊本の震災を受け、国内のどこにいても震災に備えるということを忘れることができない私たちにとって、天災と共にということがどういうことなか、これを機会に考えてみました。

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◆天災と共に・・・

・「天災と生きる」というテーマは、「共に」生きるということでしょうか。
・天災と共に生きるということには3種類あるように思います。
  1. 地震の頻発地に住んでいる、ということ
  2. 天災を意識しているということ。
  3. 天災とうまく付き合うという意味もあると思います。
・上記の1と2の間にあるギャップは大きいと思います。1では天災の被害を忘れながら、または頭の隅に置きながらも慣れっこになっているという状態でしょう。
・人災を防ぐことと比較すると、例えば泥棒がいるということに備えて言わば「泥棒と共に生きる」のではなくて、泥棒が無くなるように対応することだと思います。台風でも地震でも天災そのものをなくすことはできません。
・天災とうまく付き合うというのは被害を少なくすることが大事なのだと思います。
・自然災害が多く活断層のないところがない、と言う国土に住んでいます。寺田虎彦は「天災は忘れたころにやってくる」と言いましたが、熊本の地震は東日本大震災の5年後で忘れる前でした。

◆なぜ出て行かないか
・大雨、台風、大雪、旱魃、冷害など不都合な天災があるにもかかわらず、そこに住む人が「出て行かない」のはなぜでしょうか。バングラディシュの水害のレポートを見たことがありますが、ひどい災害でも人々は出ていきません。なぜ、そこに住み続けるのでしょうか。
・絶対に住まなくなる条件は天災のみではなく、原発事故などが加わると出来上がるように思います。
・慣れた、生まれたところに住み続けたいと思うことと、他に住むところがない、行き場がないということもあると思います。
・住み続けるのは何か「覚悟」のような、生まれたところを離れない、という決意のようなものがあると思います。
・予測が不可能、予知できないので大震災などの大きな災害にはリアリティーがありません。南海トラフ地震が30年以内に起こると言われて30年後を考えるということはとても難しい。
・何か手立てがある、と見込んでいるのではないでしょうか。土木工事や耐震工事などの対策があるから、大丈夫と思っているように思います。
・逆に、それがただの思い込みかもしれません。あるいは漠然とした信念みたいな「まさか繰り返さないだろう」というものかもしれません。
・でも、地震や台風がまた来るかもしれないと思って考え続けることによって心構えがあると、そこに住めるようになるのかもしれません。
・住み続けるか、離れるかどちらにもメリット・デメリットは大きいでしょう。離れないというのは、愛着が強いと思います。あるいはためらいやめんどくさいこともあると思います。

◆なぜなにもしないのか
・対策はたくさんあるし、根本的な解決法もあるのですが、なぜかやらない。
・それは手が届かない、及ばないと思うからではないでしょうか。
・直接被害にあっていないと非常食を用意してもその時だけで、何とかなる…なるようにしかならない…⇒何とかなっている=大丈夫!と思うのではないでしょうか。
・台風に備える、と言うことは割とたくさんの土地で行われていると思います。
・台風は毎年何回も来るので予測ができます。それが備えることにつながっていると思います。
・「不確実さ」に向き合うことが人間は苦手なのだと思います。
・仮に予測ができれば、地震は怖くなくなるのでしょうか。
・「経験したことのないことへの対応」つまり、想定外に弱い。人間は大体3パターンで対応すると思います。①上司の指示を仰ぐか ②ネガティブリストを根拠にするか、③臨機応変に対応する。
・想定外は嫌なことを直視しない、ところから来るのではないでしょうか。
・地震は台風などと被害の質が違います。波及する範囲が広く2次災害や社会が混乱すると言った被害も生じます。ボランティアも有効に活用するためには指示命令系統などが整っている必要がありますが、それが破壊されることも被害のうちです。結果、人手があっても立ち往生などの現象が起きています。

◆蓄積
・阪神、東日本と日本の地震対応力は改善されてきていると思います。初動の大切さも認識されて気ように思います。しかし、指揮命令系統がない時の対応は必要なので花でしょうか。
・関東大震災の経験は、蓄積できているのでしょうか。地震の被害は年代場所によって異なっています。ボランティアの仕方も経験の蓄積が要ります。なかなか対応が進化したとは言えません。経験を重ねると言っても地震が起こるのを期待しているわけではないので起きたときの経験は貴重なものなのだと思います。


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カフェフィロの呼びかけで行った今回の企画で哲学カフェの手法はこのようなテーマについて考える有効な手段となることに手ごたえを感じました。2時間と言う短い時間でしたが、天災との付き合い方について考える機会は今までありませんでした。たくさんの視点から意見を出し合っていただき考えることができました。
なお、いただきました募金1,781円は全額赤十字社へ寄付いたします。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。