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2012/04/17

4月の小金井哲学カフェより哲学カフェは・・・

こんにちは、まつかわです。
やまもとさんより小金井哲学カフェを引き継がれた、はなのさんより4月の哲学カフェ開催のお知らせが届きました。



小金井哲学カフェ「働くことは好きですか?」

お勤めされている方だけではなく、学生の方、主婦の方も大歓迎です。「働く」ということについて、対話を通じて「働くこと」の意義や「働く」の意味の再定義などができればと思います。

日時:4月22日(日)13:00-15:00
場所:ピリカカフェ(東京都小金井市本町5-12-14森ビル2F)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
主催:小金井哲学カフェ(はなの・まつうら)



あ、このテーマ好き。
今週末ですね。お近くの方はぜひ。
詳細は、小金井哲学カフェのブログをご覧ください。


2012/04/12

哲学カフェ「表現の生まれるところ」

こんにちは、まつかわです。
岡山はお花見日和ですが、みなさんのところはいかがでしょうか。

さて、井尻さんよりエリトア哲学カフェの報告が届いたのでご紹介します。

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こんにちは
カフェフィロの井尻です。

4月8日(日)に、東京・池袋のatelier bemstarにてエリトア哲学カフェを開催しました。
昨年12月に続き、フリーペーパー「エリトア」発行記念イベントとしての哲学カフェは2回目。
今回のテーマは「表現の生まれるところ」でした。



「表現の生まれるところ」と聞いて、まず思い浮かぶところは?

「アトリエ」。それから「キャンバス」。
自分は絵を描いているから、そういうところを思い浮かべるという意見。
「山」「田畑」。緑の多い場所で生活するようになり、そういった環境そのものが、
なにかの表現をうみだすところになっているのではという意見。

それらを挙げていくなかで、参加者から指摘されたのは、「『表現』をどうとらえるか」という問題。
たとえば、絵や写真、彫刻といった、いわゆる作品制作行為を、「表現」とするのか。
でも、「生きていることすべてが表現である」。
「赤ちゃんが泣くのも、表現である」ともいえるのではないか。

その両者は異なるようにみえて、「やむにやまれず/本能的に」行う行為であるという点では同じなのでは?
本当に?みんなそうなの?

そこから、参加者のみなさんに「表現」についての具体的体験を挙げていただき、考えることにしました。

「人の表現に触れたとき、自分も何か表現したくなる」
「自分は絵は描かないけど、たとえば、今日ここに来るときにどんな服を着てくるかも、表現といえるのではないかと思う。意識的/無意識的の違いはあっても、みんな表現しているのでは」
「自分はストレス発散のために絵を描く」
「表現することが、毒だしにもなる。けれど、毒を出すようにして出したものが、花として受け取られることもある」
「何かを知って、ほかの人にも伝えたい、共有したいと思ったとき、twitterなどでつぶやく。表現する」
「自分も、共有したいと思って絵を描く。共有したいという気持ちが、人が表現するときには関わっているのではないか?」
「では、アウトサイダーアーティストは?共有したいという思いから描いているのではないのでは?」
「写真を撮ることは、自分の確認作業になっている。発表したら、と言われて発表することをはじめたけど、はじめからそれが目的ではない。けれど、見てもらって、何かうけとってもらえたらうれしい」

「共有」という言葉をめぐっては、「共有は、A=Aと受け取られることではない。AがBと受け取られても、それは共有だと思う」という意見も。



いろいろな意見がで、論点もいくつかみえてきたところで、それまでの流れをふまえ、「表現したいという気持ちは、なぜ生まれるのか」というひとつの問いを設定し、考えていくことにしました。


「表現することで、伝えたいと思うからでは?」
「無人島で、たった一人でも、人は表現するのだろうか?」

ここからさきの展開もとても興味深かったのですが、長くなってしまうので、割愛させていただきます。

今回も、参加者のみなさまが、それぞれの経験としての「表現」から発言してくださっていて、本当に興味深かったです。

みんなの意見をきくなかで「表現というと、絵とか写真とか表現者によって表されたものをイメージしがちだがそれを受け取る人がいるところも、表現が生まれるところになっているのではないか?」といった意見を述べてくださった方もいました。

特に印象に残ったのは、「表現する者は、何かに心を動かされて表現している。表現されたものを見る者も、心を動かされることがある。その、心が動かされたことが交差するときに、何かが生まれるのではないか」という参加者の言葉。
哲学カフェも、そんな場であるといいなと思っています。

今回の参加者は約20人。会場の都合上、事前申し込み制とさせていただいたのですが、すぐに定員いっぱいになってしまいました。ご参加いただけなかったみなさま、申し訳ありません。

エリトア次号発行は6月の予定。エリトア哲学カフェも、あわせて開催できたらいいなと思っています。
どうぞよろしくお願いします。





freepaper エリトア http://www.eritoa.com/

文責:井尻貴子(カフェフィロ)

2012/04/07

哲学ファシリテーター入門 @東京

3月25日(日)カフェフィロセミナー「哲学ファシリテーター入門」@東京

参加者募集開始から24時間で定員に達した東京初のカフェフィロセミナー。哲学カフェ未経験の方、哲学カフェを運営されている方、ファシリテーターとして活躍されている方など、多くの方々にご参加いただきました。講師は東京のカフェフィロファンにもお馴染みの松川絵里さんです。

前半は哲学カフェに関する講義と質疑応答。
哲学カフェの歴史や目的・特徴から哲学カフェの開き方まで、具体例とともに松川さんにお話しいただきました。
また、質疑応答では、テーマ設定や進行について、哲学カフェ運営者の日頃の悩みについて、松川さんからアドバイスがありました。




後半は、海外で開発された教材「シンキングスキル~哲学者の道具箱」をもとにワークショップを実施。
およそ哲学とは縁が無いような「身近なあるもの」を巡って対話は始まりました。最初は戸惑っていた皆さんも、徐々に松川さんのペースに乗せられ、いつのまにか対話は深まっていきました。

「これは何?」に始まり「なぜそういえるの?」「その根拠は?」「その前提は妥当なの?」「反対のことも言えるよね?」など多くの問いかけによって、「真実を探求する」体験を参加者全員で共有することができました。

哲学対話の素材はどこにでもあること、哲学対話は笑いながらできること、この2点は筆者の新たな発見でした。もっとも、このセミナーを通して「哲学対話はもっと気楽に楽しんでいいんだ!」と認識を新たにしたのは筆者だけではないでしょう。



セミナー後は2次会会場へ移動。松川さんから関西での哲学カフェの様子をうかがったり、哲学&哲学カフェ談義に花が咲いたり、あっという間に時が過ぎていきました。

ご参加いただいた皆さま、有り難うございました。
今回ご参加いただけなかった方々のためにも、第2回のセミナー開催をぜひ実現したいと思います。


廣井 泉

2012/04/06

哲学カフェ「ユートピア・理想郷・理想社会とはどのような場所だろうか?」

こんにちは、まつかわです。
前回の記事で、「東京の哲学カフェは語り方がちがう!」と書きましたが、前言修正。
同じ関西圏でも場所によって全然ちがいました。


3月30日、初めて千里コラボの哲学カフェへ行ってきました。


哲学カフェの様子


テーマは「ユートピア・理想郷・理想社会とはどのような場所だろうか?」。
前回のアンケートから採用されたテーマだそうです。


千里コラボの担当者の方は、ユートピアが論じられなくなったのは人がユートピアを構想できなくなったのか、人はユートピアに関心がなくなったのか、それともその双方なのか、その辺りの論議が弾むものと思っていたそうです。
もちろんそういった論点もでてはきました。
が、実際にその論点に集約することはなく、10近くの論点やイメージが交錯し、なかなか論点を絞りきれない状態でした。


「ユートピア」を共産主義の文脈で理解し、「キケンであるとみなすのが普通」という 人、
「ユートピアとは郷愁に近いもので、未来ではなく過去にある」という人、
「ユートピアとは、他者と自己の境界がないような状態」という人、
「ユートピアは個々人のうちにある」と主張する人もいれば、
「ユートピアは社会的なものであり、個々人のうちというのはありえない」という人も。


途中、「もっとこういう風に進行してほしい」「いやいや、もっとこの点を掘り下げて考えるべきだろう」と議論の進行に関しても様々な意見がでてきました。
こういう意見、でてこない場所では全くでてこないので、新鮮でした。


あの場ではうまく表現できませんでしたが、あとでじっくりふりかえるにつれ、あの日の議論はかなりユートピアの本質に迫っていた気がしています

みんなが「こんな社会になるといいな」という「ユートピア」を共有できれば、足並みそろえてそこに向かって行ける「理想社会」が実現できそうですが、戦争の例をみればわかるように皆が同じ理想を掲げることはキケンなこと。
そう考えると、もしかしたらあの日の議論のように、話がなかなか噛み合ない、はがゆいけれどもそれぞれが自分の意見を堂々と言えるそういう社会のほうが実は「理想的な社会」なのかもしれません。


また、ある年代の方にとってはユートピアは共産主義という特有の時代的文脈で理解さるので、むしろ、60代以上の方と私のような30代以下の若者のほうが、ユートピアという概念を共有しやすそうなのも意外で面白い発見でした。


進行する松川(中)&千里コラボの加福さん(右)



2012/03/29

哲学カフェ「自分を信じるとはどういうことか?」

こんにちは、まつかわです。
先週土曜日、3月24日(土)は、東京へ。
出張ついでに、神保町の哲学カフェに参加してきました。
テーマは、「自分を信じるとはどういうことか?」
定員いっぱい約25名の方が参加されていました。

まず、びっくりしたのが、会場のCafe Klein Blueが大通りに面してるということ。
「2時間貸し切りでつかわせてくれるなんて、裏道にちがいない」と思い込み、迷子になりかけました。失敗。
「もしや」と表通りにでて、細い階段をあがって無事に会場にたどり着き、進行の寺田さんの顔をみたときはほっとしました。


Cafe Klein Blueのカップコレクション
初めて東京で哲学カフェに参加して(あ、過去に絵をつかった「ミルトーク」なら開催したことがありますが)、発言内容もとても興味深かったけれど、それ以上に感心したのは、発言の仕方がこれまで参加したどの哲学カフェともちがうこと!
東京と大阪の文化のちがいなのか、あの場所特有なのか、今回が特別そうだったのか、わかりませんが・・・
メモをとってきちんと自分が言いたいことを整理してからよどみなく話す人がとても多い。
以前映像でみたことのあるパリの哲学カフェと似てる、と思いました。
私が普段参加してる育児サークルや大阪のビジネス街でも、メモをとって話す人はいますがあんなに多くはないし、「考えてから話す」というより話しながら考える、あるいは迷いをそのまま口に出す人がもっと多い気がします。
私はそういう未完成な思考が生成される瞬間をみるのが好きなんですが・・・
Cafe Klein Blueでの哲学カフェがすばらしかったのは、みなさんがあんなに迷いなく自分の意見をはっきり表明してるのに、それぞれの意見がバラバラで終わるのではなく、対話のなかで関連づけられながら共同の思考が展開していくところ。
進行の寺田さんがそういう対話を目指していることは知っていましたが、実際目の当たりにすると、「これかぁ」という感動がありました。


写真でみて赤っぽい部屋かと思ってたけれど、これ照明の効果なんですね。
対話の内容に夢中であまり写真とれませんでした。


それからもうひとつびっくりしたのが、途中でグループにわかれて話す時間が設けられたこと。これも、哲学カフェでは初めての体験で新鮮でした。
中之島哲学コレージュに「少人数で話す時間がほしい」といった要望をいただくこともありますが、実際そういう時間を設けるとその後の展開にどう影響を及ぼすか、グループ分けの際何に気をつけるべきか、体感できてよかったです。


あとやっぱり、笑いの有無は大きなちがいですね。
一度も笑いが起きない哲学カフェって、私のやる哲学カフェではあんまり記憶にないなぁ・・・って、これは私のせいでもあるのでしょうが。
笑いの起きない真面目な哲学カフェをみて、改めて哲学カフェのなかの笑いの役割について考えたりもしました。


せっかくなので議論の内容にも簡単にふれておきましょう。
前半の議論のなかで印象に残ったのは、

  • 何らかの不安がないと、「自分を信じよう」なんてわざわざ思わない。
  • 意識的な『信じる』と無意識的な『信じる』のちがい

といった論点です。
特に後者について、いろんな人の発言をききながら私なりに「信じる」という行為は、「信じている」という状態とは区別して考えられるんじゃないか、と思いをめぐらしたりしていました。
後半は「自己肯定感」について議論が展開されました。
全体を通じてどちらかというと「自分とは何か」より「信じるとはどういうことか」についてたくさんの意見がでた気がします。
「自分を信じるとはどういうことか?」、あまり考えたことのないテーマでしたが、考えれば考えるほど、どんどん考えたいことがでてくるテーマでした。
最後に寺田さんが言ってたように、「自分を信じるとはどういうことか?」という問いを通して「自分とは何か」や「信じるとはどういうことか」について、考えを深めることができた気がします。
いつか大阪の哲学カフェでも、同じテーマでやってみたいです。




翌日開催したセミナー「哲学ファシリテーター入門」の様子はまた今度。
写真が届いてからご報告させていただきます。