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2011/05/15

グリグラ哲学カフェ「震災から学んだこと」

こんにちは、まつかわです。
今週は、震災をテーマにしたカフェに二つ参加してきました。

ひとつは、昨日、高橋さんから報告のあった中之島哲学コレージュの哲学カフェ。

もうひとつは、育児サークル〈グリーングラス〉(通称「グリグラ」)での哲学カフェです。
テーマは「震災で学んだこと」。
中之島哲学コレージュとはことなり、最初はTVなどで見聞きした情報がわーっとでてきました。
そのなかで、みなさんに考えたい問いはなにか尋ねると、こんな問いがでてきました。

「人が生きて行くのに、最低限必要なものは何か?」
「豊かさとは何か?」

この二つの問いをめぐって、途中震災とは別の例も参照にしながら話し合いました。

過去と現在、流通がなければ食べ物がない都会と近所で食べ物を入手できる田舎などを比較すると、「生きて行くのに最低限必要なもの」は時代や地域によってずいぶん異なることがわかりました。学校の連絡網がケータイのメールに送られてくるなど、個人的に「要らない」と思っても、社会的立場上、手放せないものも・・・。

「生きてゆくのに必要なのは、何が起こっても柔軟に対応できるようなタフさではないか。それは、自分の思い通りにならないことを『許す』こととつながっている気がする」

という言葉が印象的でした。


中之島哲学コレージュでは、今回は今後も継続して考えてゆく問題を発掘するという趣旨だったので、進行の高橋さんはひとつひとつの問題についてあまり深くつっこんでませんでしたが、グリグラのほうは、震災によってつきつけられたこの問いを、「ちゃんと哲学する
」という意識で、どんどんツッコミをいれさせてもらいました。
そのせいかどうか、震災というテーマから脱線した時間も多かったけれど、そのぶん、震災が私たちに投げかけた根本的な問いについて考えることができたとおもいます。

中之島哲学コレージュでは「日本」や「大阪」はどうすべきかという単位で発言する人が多かったのに対し、グリグラではひたすら個=「私」の視点にとどまったことも、興味深いちがいでした。

今月、あとふたつ震災に関する哲学カフェがあります。
果たして、福島や東京ではどんな対話が繰り広げられるのか、とても気になります。