ページ

2013/01/16

哲学カフェ「本当に反省してる?」

こんにちは、まつかわです。
昨日は、岡山で哲学カフェの進行を務めさせていただきました。
テーマは、「本当に反省してる?」

実はこのテーマ、同居人(=夫的な人)に、2年も前からリクエストされていたものなんです。せっかくなのでテーマを提案した本人にも参加してほしくて、岡山で取り上げる機会をずっとうかがっていました。

そこで今回の哲学カフェでは、最初に、彼にこのテーマをリクエストした理由を話してもらうことにしました。曰く・・・

彼は弁護士なのですが、刑事弁護では再犯を防ぐためにも、罪を認めている被告人にきちんと反省してもらうことが大事だと考えています。が、これがなかなか難しく、言葉で「反省してます」と言っていても、「なにをどう反省していますか?」という質問に対して応えられなかったりすると「本当に反省しているのだろうか?」と疑問が生じてしまったり、時間をかけて話をするうちに「本当に反省してるな」と感じても、それが短時間の裁判で伝わるかどか心配になることがある、と。そうこうしているうちに、そもそも「反省する」とはどういうことか、本当に反省しているかどうかをどうやって判断するのか、いろんな人に聞いてみたくなったというのです。

裁判の話は身近でなくとも問題意識は他の参加者にも伝わったようで、その後、国家間の紛争の問題、家庭内の齟齬、教育、経営など様々な体験に触れながら話が弾み、「反省」をめぐる様々な論点が浮かび上がってきました。

  • 反省するのに必要な条件とは何か?余裕?人間的な素養?事情を理解してくれる人?
  • 反省は早ければはやいほどよい?それとも、本当に反省するには時間が必要?
  • 謝罪の言葉を述べることと、反省することのちがいは?
  • 相手あっての反省?それとも、反省するかどうかは自分のなかの問題?
  • 個人だけでなく、国家や法人、あるいは動物が反省の主体となることもある?
  • 反省しなければ生きていけないというのはどういうことか?

哲学カフェには、参加者の関心がある論点に集中して狭く深く展開する場合と、多様な論点や視点が次々に浮かび上がって場合とがありますが、今回はどちらかというと後者でした。ひとつひとつの論点を深く追求することはできませんでしたが、その代わり、「反省」をめぐる様々な問題に触れることができました。

テーマの提案者である同居人も、「最初の疑問はせいぜい2つだったのに、反省を考える切り口ってこんなにあったんだ」と驚いていました。特に「反省には時間が必要」という意見に、考えさせられるものがあったようです。「最終的な答えがでたわけではないけれど、これまでとは違う角度から、反省について考えることができそう」と話しながら帰路につきました。

今回でた論点を、一つずつとりあげてじっくり考える機会をいつか設けられるといいなと考えています。