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2013/09/10

政府がなかったらどうなってしまうのか?〜後半

こんにちは、まつかわです。
対話する哲学教室「政府がなかったらどうなってしまうのか?」の報告、後半です。

テキストの対話を読んで述べた後は、、ホッブズとロックの思想をご紹介しました。
「これまでは、毎回正反対のようにみえる思想家だったのに、今回はどちらも社会契約論。ということで、「二人の思想のちがいは?」「社会契約論の反対の思想はなんですか?」といった質問がでました。

私はどちらかというとロックの個人を尊重する思想にシンパシーを感じていたのですが、ホッブズの『リヴァイアサン』を改めて読むと、ホッブズが「共通の絶対的な権力」の必要性を説く気持ちも少しわかるような・・・。たとえば、こんな文章。

「すなわち、人間の本性には競争、第二は不信、第三は自負である。
第一の競争は、人々が獲物を得るために、第二の不信は安全を、第三の自負は名声を求めて、いずれも侵略を行なわせる。
第一は、他人の人格、妻、子ども、家畜の主人となるために、第二は自分を防衛するために、いずれも暴力を用いさせる。第三は一語、一笑、意見の相違、その他過小評価のしるしになる瑣末(さまつ)事に関して、それらが直接自己の人格に向けられたか、間接に自己の親戚、友人、国民、職業あるいは名称に向けられたかを問わず、やはり暴力を用いさせる。
社会状態の外では、各人の各人にたいする戦争状態は常に存在する。以上によって明らかなことは、自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある。」

学生のころは全く共感しなかったのに。人間のなかに巣食う、競争や不信や自負の根深さや恐ろしさがわかる大人になったということでしょうか。

もうひとつおもしろかったのは、政治と宗教の関係が、無視できない重要な論点として浮かび上がってきたことです。
社会契約論の反対の思想として、受講者からいくつか案があがったなかに「王権神授説」がありました。しかし、ホッブズの生きた時代は清教徒革命(ピューリタン革命)の時代。王権神授説では限界がありそうです。
そこから、政治と宗教を切り離すことの難しさや、現代日本の私たちの政治状況と信仰との関係についても意見を交わすことができました。



大学で思想史の授業を受けているときはピンとこなかった思想、単に「過去にあった事柄」と捉えていた歴史的事実が、哲学教室ではとても生き生きと感じられます。
受講者のみなさんが、豊富な経験や現代の社会状況を折り込みながら話されるからでしょうね。
テキストのタイトルは『中学生から〜』ですが、さする庵では、大人ならではの哲学教室を楽しんでいます。

次回の「対話する哲学教室」は10月29日。
テーマは「アートの目的とはなにか」です。
詳細は、追ってHP、メールマガジンにてお知らせします。

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