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2014/04/01

「彼氏(彼女)がほしい」を哲学する

こんにちは、まつかわです。
遅くなってしまいましたが、3月11日のグリグラ哲学カフェの報告です。

この日は中学の卒業式ということで、リピーターの方は少なめでしたが、2名ほど初めての方がきてくださいました。ひとりは、「むこのそう哲学カフェ」に参加されたことがあるという男性。それからもうひとりは、ご自身も大学で哲学カフェを実践しているという学生さん。

「彼氏がほしい」、「春画」、「就活」という3つのテーマが提案され、多数決で「彼氏(彼女)がほしい」に決まりました(提案時は「彼氏がほしい」でしたが、男性からの要望で、後から「(彼女)」を付け足しました)。

一人何回あげてもいい多数決です。

報告が遅くなってしまったのは、どうまとめるか迷ってしまったからです。
全回が「夫婦とは」と現実を見つめるテーマだったので、今回はもう少し夢をあるテーマをということで提案されたのですが、さて・・・。




●願ったら叶うの?
私がおもしろいなと思ったのは、「彼氏がほしい」というテーマから、最初に「彼氏」ではなく「ほしい」という気持ちについての議論が展開したことです。
火種をつけたのは、「願いには、願ってもいい願いと、願うだけではダメな願いと、願ってはいけない願いとの3種類ある」という発言でした。すなわち、世の中には、願うだけで叶うことと、願うだけでは叶わず努力が必要な願いと、いくら願っても努力しても叶わない事柄があると。ここから、「彼氏がほしい」と思うなら、それをアピールするなんらかの行動が必要ではないか(しかし、自分の周りで「彼氏(彼女)がほしい」と言ってる人がそれをしているようには決してみえない)という意見(批判?)がでてきました。

●つき合うってどういうこと?
しかし、アピールするなら、ある程度対象を絞り込んで、その対象に合ったアピールをする必要があるでしょう。ここから、「そもそも 『彼氏(彼女)がほしい』と思う感覚が理解できない」という人が現れました。どういうことかきいてみると、「好きな人ができて、その人と一緒にいたくてつき合いたいと思うのは理解できる。でも、まだ好きな人もいないうちから『彼氏がほしい』というのは、対象が曖昧で、いったい何を望んでいるのかわからない」とのこと。なるほど。
この発言をきかっけに、議論は「ほしい」に関する考察から、「彼氏(彼女)とは何か?」「つき合うとはどういうことか?」へと話題が移ります。「夫婦より恋人のほうが楽しいのはなぜか?」と恋人関係のポジティブな側面に注目する人もいれば、過剰な束縛やデートDVなどの問題などを挙げ、「好きな人がいても、つき合いたいとは思わない」という人もいました。

●「彼氏がほしい」は願いか、欲望か?
さらに・・・
「『彼氏(彼女)がほしい』と言う人は、本当にそれを願っているというより、ただそう言いたいだけでは?」 
「『彼氏(彼女)がほしい』という願いの奥には、『結婚したい』と同じように『自分の将来を確定したい』『安心したい』という気持ちがあるのでは?」 
「いちいち相手をくどいたり、会う約束をしたり、小さい欲望をそのつど叶えるのはしんどい」
・・・と率直な意見が飛び交うなか、議論はもう一度「ほしい」に戻ってきました。
「〜がほしい」「〜したい」と一言でいっても、「願望」「意志」「欲望」「祈り」など色々あります。「彼氏がほしい」というのは、はたして「願望」なのか「欲望」なのか。
決着はつきませんでしたが、最終的に、自分ではコントロールできない「縁」や誰かの無事を願う気持ちなど、自分の力だけでは実現できない限界のなかで、それでも何かを求めてしまう気持ちがあるということを確認できました。

「彼氏(彼女)がほしい」というテーマ、最初はどうなることかとおもいましたが、意外にも、人が自分の限界を超えて何かの求める気持ちについてじっくり考えることができるテーマでした。


さて、次回グリーングラスの哲学カフェは、4月3日(木)。
10:30から神戸市北区民センター(神戸電鉄「鈴蘭台駅」より徒歩4分)にて開催します。
これまでと会場が異なりますので、ご注意ください。
みなさんのご参加お待ちしております。