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2014/09/24

グリグラ哲学カフェ『非日常』

液晶画面からこんにちは。behbluesです。
9/16(水)グリグラ哲学カフェの報告です。
今回のテーマは『非日常』。

▲ 非日常/日常?
自分にとっては、絵を描いているその時の感じが「非日常」。
「非日常」を求めて旅に出たことがある。 etc…
これらは、日常への刺激としての「非日常」といえそうです。
こういった「非日常」は、自分自身で求めることができ、場合によっては実現も可能です。

いっぽう「非日常」という言葉からは、事件や事故、災害も想起されました。
これらは、"刺激" ということばからははみ出ているように感じられる。
また、求めていないのにある日突然日常を侵してきた、と感じられる場合も多い。

▲ 非日常・日常 / 現実?
ここからある方が、阪神大震災後の経験から、
後者の事件や事故、災害が起きた時の経験は、
「非現実」とは違うのではないかと話してくださいました。
「非現実」の前提として、出発した/帰る日常がある ということがある。
それはつまり "前" があるということ。
ところが事件や事故、災害がひとたび起これば、そこからこれまでとは異なる価値観や暮らしが始まる。そのときもはや、 "前" はない。
「前」のつづきではないから日常ではないし、非日常でもない。
そのとき過ごすのはただ「現実」という感じがした、と。
そしてなんとか過ごして行く現実が、いつかまた日常となっていくのです。

わたしはこの話を伺って、 "前" がないというからだが感じてしまう昏さを思いやりました。
それでもなんとか現実をやり過ごし、繰り返すことで、新しい日常はできていき、
きっと生きてゆける。
ただ、できることなら、
新しい日常がただできるのではなくて、自分自身になじんでゆくように、
それと同時に考えるということや言葉というものを使って、
自分の中の断絶された "前" と繋げていけたらもっと楽なんだろう、と思いました。
この震災の話の前に、たとえば大学入学や結婚が、
「非日常」とまではいかなくても「変日常」といえるかもという意見がありました。
これらも場合によっては、確かに自分の "前" が、ごとっと見失われるかもしれません。
そういう時、からだが日常のほうを作ってくれる。
そして、ことばや考えることで "前" もきっと作っていける、と思いました。
それからぼんやりと、鷲田清一さんがよくいう「哲学は自分の端緒を何度でもつくりなおすこと」というのを思い出しました。

なんか突然語ってしまい、すみません。
よく見るような言説かもしれないですが、わたしはこの日、この時に、なんとなくこういうことが初めてしっくりきたのでした。



さて残り一時間ほどになって、改めて、いったい『非日常』というテーマに対してどのような観点で考えてゆくか、問いを出してもらいました。出てきた問いは以下の通り。
・ 妄想やネットも非日常?
・ 非日常を体験しておくことは必要か?
・ 同一の非日常を何度も求めるのはなぜ?
・ 日常が充実していれば非日常は必要ない?
・ 非日常からの日常への帰り方
・ 何かに「非日常」という名前を与える人の日常とはどのようなものか?

▲ 「『非日常』は、ない。」?
選ばれたのは最後の問い。
この問いを出してくださった方にとって、
前半に出てきたような「刺激」や、災害というのは、
「見たことのなかった日常」であって、
それによってそれまでの日常が拡張したような感覚を覚えることはあっても、
「非日常」だと感じたことがないとのこと。
変化はあれど、そこにそれまでの日常との断絶はないように感じられるそうなのです。
ここまで話されてきたのとは異なる感じ方/考え方だったのでなかなか盛り上がり、
「非日常」と名付けることで守っているそれぞれの「日常」があるのではないかということついて語り合いました。
やめられない、変えられない、捨てられないと感じている=守っている日常があるということの安らぎと辛さ。
また一方で、たえず変化を受け入れ、新たに組み込んでいく=守るものとしての日常はないということの自由さと厳しさ。
あまり時間はありませんでしたが、めいめいが考えてみられたのではないかと思います。

▲ 非日常 ≠ 別世界?
最後に…
「実はいま好きな人がいて、別世界にいるよう」というある参加者の一言でさらにおもしろみが増しました。
つまり、このときの「別世界」というのは、日常とはまったく別のところにあるもののようでいてそうではなく、問いの前提となっていた、
「非日常というのはなく、日常が拡張する」という感覚ではないかということなのです。
ほぼ無意識的に「非日常」ではなく「別世界」という表現をなさったそうですが、
守りたい日常、ということと合わせてとても興味深く思いました。



あなたにとっての「非日常」はなんですか?
あなたはそれを求めていますか?
それはほかのことばで言い表してみると何でしょう?
ぜひ考えてみてください。

次回のグリグラ哲学カフェは10/2 10:15〜12:00
場所はいつもと少しかわって、鈴蘭台駅から徒歩5分の「すずらんホール」にて。
進行役は松川さんです。

まとめられず長くなってしまいましたが、お読みくださってありがとうございます。
それでは液晶画面から、ごきげんよう。