こんにちは、まつかわです。
連続の投稿ですみません。
本日午前中は、岡山市立高島公民館のご依頼で、哲学カフェの進行を務めてきました。
ニューズレター『哲学喫茶瓦版』12月号でインタビューにご協力くださった儀三武さんとのお仕事です。
女性応援講座のなかのいちプログラムなので、女性対象の哲学カフェです。
テーマは「共感するってどういうこと?」でしたが、話し合った内容を一言で表現すると、「『わかる』の功罪」でした。
「友だちに『わかる、わかるー』って言われたけれど、その人と置かれている状況が全くちがうのに何がわかるの?と疑問に思う」という発言を中心に、他の体験談もおり挟みつつ、どうして「わかる」と言われるとイヤな気持ちになるのか、「わかる」と言う人はなぜそう言うのか、「わかる」と共感は同じか、逆に「わかる」と言ってもらえてうれしいのはどんなんときか・・・などなど話し合いました。
たくさん話し考えるうちに、イヤな「わかる」とうれしい「わかる」があること、言い方やタイミングによっても異なること、また言葉より頷きや背中をなでてくれるほうが「共感」を感じることがあること、「わかる」にも「hear」「understand」「agree」など色んな意味があること、いったん受け入れてもらうことの大切さ・・・たくさんの発見がありました。
私も、友人に「簡単に『わかる』って言わないで」と言われたことがあります。
長らくそれが苦々しい思い出になっていたのですが、今日、みなさんの声をきいて、「むしろ、あんなふうに言ってもらえる関係でよかった」と思えるようになりました。
なんとなくですが、自分の失敗談は「わかる、わかるー」と言ってほしいけれど、悲しいことや苦しいことは、「わかる、わかるー」と言われると気分を害することが多い気がします。
「わかる」という言葉には、よくもわるくも、深刻さを「軽くする」作用があるのではと思いました。
今年度の女性応援講座の最終日なので最後の30分は来年度何をやりたいかを考える時間にしたいという公民館からのご希望で、哲学カフェは1時間半と前回より短かったのですが、前回された方が口火をきってくださったおかげで1時間半でも充実した時間になりました。
ご参加くださったみなさん、高島公民館のみなさん、ありがとうございました。
参加者のみなさんのおかげで、来年度もこの講座に関わらせてもらうことになりそうです。
今日のみなさんの意見を参考に儀三武さんとテーマを考えますので、一緒に話し考えることを楽しみましょう。