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2015/04/13

質問

こんにちは、まつかわです。

2014年度会員のみなさま、『哲学喫茶瓦版』3月号はお手元に届きましたか?
今号は、「哲学カフェmap」と称して、カフェフィロで定期開催している哲学カフェの情報を集めてみました。
NSDセミナー受講生の感想も掲載させていただいております。
もし「会員なのに届いてないよ」という方がいらっしゃったら、事務局(info@cafephilo.jp)までお知らせください。

カフェフィロニューズレター『哲学喫茶瓦版』2015年3月号



さて、先週の土曜日4月11日は、岡山大学のまちなかキャンパス、城下ステーションにて哲学カフェでした。

まずはお詫びを申さねばなりません。
スタッフ間の確認が足りず、開催時間が予定より30分遅れてしまいました。
お待たせしてしまった参加者のみなさん、本当に申し訳ありませんでした。
私も前日の確認を怠らなければ避けられたはずなので、今後このようなことがないよう気をつけます。

テーマは「質問」。
提案者は、いつもこちらの哲学カフェに参加している我が夫(他の参加者にもテーマを募っていますが、誰からも希望出ず、自分も思いつかなかったので)。
「質問って、質問の形をしているけど実は質問じゃないことがある。なぜだろう?」というのが彼の疑問です。
他の参加者のみなさんも、それぞれ、「私たちはなぜ質問ができるのか?」「対話を深める質問はどんな質問か?」、「上手い質問/下手な質問って?」、「質問は上達するものなのか?」といった疑問を抱いて参加してくださいました。

3月に質問に関するカフェフィロセミナーをさせていただいたばかりの私でしたが、セミナーでは哲学対話に効果的な質問に特化して考えたのに対し、今回の哲学カフェでは「あの仕事どうなってますか?」「岡山駅にはどういきますか?」といった日常会話における質問や、国会中継できく質問、教室で先生が生徒に向けてする質問など、多種多様な質問について考えることができ、新しい発見がたくさんありました。

特に印象に残っているのは「質問という衣」というキーワード。
(「質問というオブラート」と表現された方もいましたね。)
見かけは質問だけど実は催促をしている「あの仕事どうなっていますか?」だとか、ご近所さんとの関係づくりに役立つ「どちらへ?」「ちょっとそこまで」というやりとりだとか、「〜についてどう思いますか?」と質問するふりをしながら自分の主張をぶつけるだとか、私たちの周りには「質問という衣」をまとった、でも答えを求めているわけではない様々な言葉があふれているという指摘。
どうして、直接催促したり主張したりせず、わざわざ「質問という衣」をまとわせるのか。
日本の文化や相手との関係性、質問の形をとる場合とそうでない場合で相手の反応や効果はどう異なるかなどを話ながら考えました。

もうひとつ、おもしろかったのは、質問の種類の分け方。
途中まで、私は「情報を得るための質問、催促のための質問、主張のための質問、関係づくりのための質問・・・」とその目的や効果によって質問を分類しながら、みなさんの話をきいていました。
が、「相手との関係性や距離によって、できる質問とそうでない質問がある」という意見をきいて、「相手との距離によって質問を分けてみたらどうだろう?」と考えてみました。
道を尋ねる質問は通りすがりの人にでもできる質問、「どちらへ?」「ちょっとそこまで」はそれほど親しくないご近所さんにもできる質問、「どちらからいらっしゃったんですか?」は哲学カフェで初めて会う人にできる質問、年齢を尋ねる質問はある程度仲良くならないとできないな・・・など。
私は、相手によって態度を変えるのが標準よりだいぶ苦手なほうなので、この分類は今後大いに役立ちそうです。

質問って懐が広い!
コミュニケーションのあらゆる要素について考えられるものなんですね。
哲学カフェのなかででた質問についても、「その質問は、どういう質問なんだろう?」とメタコミュニケーションが発生するのもおもしろかったです。


さて、次回、城下ステーションの哲学カフェは5月9日(土)。
テーマは「住みたいまち」です。
引っ越しや移住を体験した方、「地域創生」に関心のある方、考えたことないけれど人とおしゃべりしたり考えるのが大好きという方、どなたでも気軽にご参加ください。

会場が開くまでのあいだ、参加者の方と隣の岡山神社で開催されていた骨董市へ。
輸入もののボタンを衝動買い。今度の手芸カフェで自慢しよう。