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2010/10/21

グリグラ哲学カフェ「許すのはなぜ難しいのか?」

今週火曜日は、神戸の育児サークル〈グリーングラス〉と一緒に開催している「グリグラ哲学カフェ」で進行をしてきました。
テーマは、「許すのはなぜ難しいのか?」。
「子どもの病気を最初は許せなかった」という参加者からの提案です。

子どもの病気、夜更かし、脱税、駐車場に植木鉢を置く人などを例にあげながら話していると、次々と疑問が浮かび上がってきます。

たとえば、「同じ行為でも、あの人は許せるけどこの人は許せないっていうこともあるよね」という話からは、こんなやりとりが・・・。

Iさん「大人は夜更かししてもいいけど、子どもの夜更かしは許せない!」
進行役「どうして?」
Iさん「成長ホルモンがでなくて、身長が伸びないから」
進行役「身長が低いのは許せないこと、ですか?」

身長145cmの進行役に尋ねられて、「許せない」なんて言えるわけがない。
答えに窮するIさんを見て、一同爆笑。
Iさんも笑って、なぜ子どもの夜更かしが許せないのか、もう一度考えます。
すると、Iさんは、「結果的に低いのは仕方がない。でも、できるだけの努力はしたほうがいい。やるだけやったら、結果がともなわなくても許せる」と、結果より行為を重視していることがわかりました。
そして、ここからまた問いが生まれます。


「許す/許さない」の判断基準は人によってちがう。 
誰の判断を優先させるべきか? 


その他にも、こんな疑問がでてきました。



許すってどういうこと? (受け入れること? 認めること?)
「許す」の反対は? (怒り? それとも、無関心?)
「許す/許さない」を自分でコントロールできる?
「許せない」と「許さない」のちがいは?
自分がラクになるために許してもいい?


もちろん、たった1時間半ですべての疑問に答えることはできません。
でも、参加者のみなさんはそれぞれ、自分なりの気づきを得たようです。
そして、進行役の私も・・・
哲学カフェは問題解決をさぐる場ではありませんが、自分のなかの「許せない」という感情とどうつきあっていくか、ヒントを得られた気がします。

日常生活のなかのリアルな問題から、ときに脱線、ときに笑いをまじえながら、自分たちで答えを探ってゆくグリグラ哲学カフェ。
次回は11月16日(火)の予定です。