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2011/05/29

第1回 てつがくカフェ@ふくしま

こんにちは、まつかわです。

カフェフィロ正会員の寺田さんより、「第1回てつがくカフェ@ふくしま」の報告が届きました。


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5月21日に開かれた「第1回てつがくカフェ@ふくしま」に参加してきました。簡単に報告します。

福島駅で降りると、いきなり警備員に足止めされました。見ると、防災服を着た菅直人一行が通り過ぎて行きました。会場は、福島駅からそう遠くないショッピング・ストリートに面したビル「パセナカミッセ」に入ってる地域交流スペースです。少し早くついたので、周辺の様子を見ながら歩いていると、仙台の西村さんにばったり。西村さんとはほんとうに久しぶりです。

地域交流スペースの隅にはキッチンがあり、そこでコーヒーやお茶を準備していました。主催者のあいさつで始まります。主催者の方とはカント研究を通じてもう長い付き合いです。「なぜ、〈てつがくカフェ@ふくしま〉なのか?」と題した設立趣意書のプリントが用意されていました。哲学カフェの一般的な紹介の他に福島人の気質・語り口に言及されているのが印象的。

参加者は12,3人。学生から定年退職後の人まで、さまざまです。仕事を抜けてきたという格好のコックさんもいます。「未曽有の災害に見舞われる〈ふくしま〉/この〈出来事〉のさなか、僕らは何を問われているのか?/そもそも、ここで哲学する意味なんてあるのだろうか?/そもそも哲学って何だろう?」案内にある通りの展開になりました。

何を求めてこのカフェに来たかを語っているうちに、おのずと一人一人が震災をどのように経験したかを語り合っていました。震災後もやもやした思いを抱えて暮らしている人びとが多いことがわかります。国家の基本体制=憲法を語る人が一人あった他は、もっぱら身近な経験が語られました。当たり前のことが当たり前でなくなったこと、炊き出しをして自分の目線が変わったこと、仕事に行けなくなってぐちゃぐちゃした思いのまま暮らしていること、ローカル・ラジオの効用、自身をどのように経験したか分かち合いたいという欲求、なぜあの人たちが死にわたしが生き残ったのか…
そこから、今ここで哲学することの意味。行動せず哲学することへの戸惑い、生活の必需を満たすだけでは救われない思い、哲学には哲学の「支援のスピード」がある、「何かしなければ」と駆り立てられていることも傷つきの一つ、〈出来事〉が縮減されることへの疑問、原発の話が出ないのはなぜ…主催者の方がマインド・マッピング風の板書をしてくれました。

後半に入って「ぶつかり合いがなければ対話ではないのでは?」と、問いを決めることが参加者から提案されましたが、いくつかの問いがあげられましたが、問いを絞るには至りませんでした。途中、進行役が困惑しているように見え、西村さんが檄を飛ばす場面も。震災の経験を共有し、じっくり考えてみたいという思いが充
溢したカフェだったと思います。次につながる問いがいくつも見えました。朝日新聞の文化部の記者が取材に来ていました。

夕方、市内のクラシックなビアホールで懇親会。福島、仙台の人々と楽しく談笑して帰ってきました。

以上、いささか雑駁ではありますがご報告まで。

寺田俊郎

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寺田さん、ありがとうございます。

てつがくカフェ@ふくしまのブログにも、報告や参加者の感想、写真(会場の様子とマインドマップ風の板書)が掲載されています。


カフェフィロでは、今後もてつがくカフェ@ふくしまの活動を、できるかぎり応援してゆきたいと考えています。
今回は、広報に協力するほか、とにかくまずは現地を訪れることが大事だろうと、寺田さんに現場の様子を報告してくださるようお願いしました。
今後もみなさんのお力をお借りすることもあるかもしれません。
そのときは、ご協力よろしくお願いします。