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2011/07/21

病院で「意思疎通の難しい人とのコミュニケーション」を考える

こんにちは、まつかわです。
いま、くわばらさんのテツドク!報告を読みました。
嵐の夜に集まってキルケゴールを読む、ちょっとできない体験ですよね。

さて、同じ嵐の夜、こちらは大阪市内のとある病院の研修で進行役をして参りました。

病院スタッフ(主にナース)のみなさん、総勢50名ほどが、5つのグループに分かれ、現場での問題をヒントに設定されたテーマについて話し合う。私たちはこれを「倫理カフェ」と呼んでいます。
「倫理カフェ」では、具体的な現場の事例を参考にしつつも、いったん医療者としての視点から離れ、多様な視点で医療現場で起こる倫理的問題について考えられるよう、わざと、医療に限定されないテーマを設定しています。

今回のテーマは、「意思疎通の難しい人とのコミュニケーション」でした。

意思疎通の難しい人、いろいろ
私が進行役を務めたグループでは、まず、様々な「意思疎通の難しい人」の例をあげてみました。
人工呼吸器をつけた患者さん、赤ちゃん、意識がない人など、言葉で意思を確認し合うのが難しい人たち。
それから、クレーマー。こちらは、日本語は通じるのに、意思疎通が難しい人ですね。
反対に「言葉は通じないけど、意思疎通できる!」とあげられたのは、ペットです。
様々な例を比較するなかで、いくつかの発見がありました。

「通じた」、「通じない」の裏にあるもの
「意思疎通ができない」と感じるとき、それがどんな思いかはわからないけれど、「相手にも思いや意思がある」という判断が働いていること。それから、「わかってあげたい」という自分の思いも強く働いていること。
「通じた!」という判断は、相手の反応を知覚する自分自身のなかで起こっている、とても主観的な判断ではないかということ。

「意思疎通」と「コミュニケーション」はちがう?
また、「意思疎通」と「コミュニケーション」の関係については、こんな意見がでました。
「コミュニケーションと意思疎通はちがう。コミュニケーションを意思疎通のツールだと考えると、理解し合えないことにイライラする。でも、コミュニケーション自体を目的と考えられるときは、相手を理解できなくてもかまわない」
とても、明快な回答にグループ全員が同意します。

それでも、意思疎通が必要なのはなぜか?
しかし、「それでも、意思疎通できてるかどうか確かめるべき場面があるのではないか」という声がでて、最後にこの問題について、考えました。
特に、医療の現場では、治療の方針やケアの仕方など、患者の意思を確かめることが重要な場面がたくさんあります。
みなさんの意見をききながら、私は、「意思疎通が難しい」という悩みが、患者さんの意思を尊重する気持ちからでてきていることに改めて気づいて、「医者のいうとおりにしていればいい」という時代にはなかった悩みなんだろうな、と感動したりしていました。

今回、このグループでは、様々な例をあげながら、少しずつ医療者の視点から自由になり、考えを深めて、また現場の問題に返ってくるということが(かなりわかりやすい形で)できたような気がします。
普段の視点、社会的立場からはちょっと離れて、ちがう視点から考えてみる。
哲学的対話の得意技です。

このように、カフェフィロでは病院や職場、学校や地域への進行役派遣も行っております。
それぞれの現場に合わせて対話の場をつくれるよう知恵を絞りますので、こんなことがしてみたい、ここで対話ができるか、などお気軽にお問い合わせください。