先日、中之島哲学コレージュの哲学カフェで進行役を務めてくださった楠本さんから、報告と感想が届きました。ご紹介させていただきます。
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2011年8月10日(水)
中之島哲学コレージュ/哲学カフェ「身ぶりは何を語るのか?」
今回の哲学カフェでは「
・身ぶりは言葉を補充するためのもの
・身ぶりにはクセのようなものもある
・
・伝えようとしていなくても身ぶりなのか(ex.
・身ぶりかどうかは受け取る側の問題ではないか
・身ぶりは文化によって受け取られ方や表現の仕方が異なる
・言葉と身ぶりは密接に結びついている(セットである)
・身ぶりなしで伝えることはできるのか/
・身ぶりだけでは具体性に欠けてしまうのではないか
・身ぶりと態度はどう違うのか
など、すべて挙げることができませんが、
「身ぶりは何を語るのか?」
対話をしていくなかで、一口に「身ぶり」
特に興味深かったのは「身ぶり」を誰が決めるのかという論点で、
テーマを決める際には「言葉以外でなにが伝わるのか」
この論点は私にとってとても新鮮でした。
時間があればこの点についてさらに話をしてみたいと感じました。
また今回面白いと感じたのは、「身ぶり」について話しながらも「
これは実際に同じ場所に集まって会って話す「哲学カフェ」
「哲学カフェ」では、
(報告:楠本瑶子(大阪大学文学部4回生)
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楠本さん、ありがとうございます。
さて、次回の中之島哲学コレージュは、8月26日(金)、哲学セミナー「心を読む? 言語的/非言語的コミュニケーション」です。
進行は、理学療法士の玉地雅浩さん。
藍野大学の先生でもあり、毎年、身体ワークを交えたセミナーを担当してくださっています。
実は今回の哲学カフェは、次回のセミナーに合わせて楠本さんに進行をお願いしました。
もし哲学カフェに参加して、あるいはこの報告を読んで関心をもった方は、ぜひご参加ください。
 
