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2013/07/02

対話する哲学教室「生きる意味とはなにか」1

こんにちは、まつかわです。
今日は、ちょうど1週間前の6月25日にあった哲学教室のご報告をしましょう。

『中学生からの対話する哲学教室』というテキストをきっかけに始まったこの企画も3回目。開始当初は「とりあえず3回やってみよう」でしたが、おかげさまで受講者にも恵まれ、毎回濃密な議論が繰り広げれています。

基本的に大事にしていることは、哲学カフェと同じです。
一人ひとりの声に耳を傾け、言葉になりきらないモヤモヤと格闘し、結論を急がず、対話を通して考えることを楽しむ。そして、少しでも明日の自分の暮らしに関わる何か、「役立つ」ってわけじゃないけれど、自分や他者に向き合えるような何かを持って帰っていただけるといいな、と思っています。

でも、哲学カフェと異なることもあります。

まず、ひとつめは、その日のテーマについて意見の異なる二人のダイアローグを読むこと。

哲学カフェでは、複数の体験や例を比較することによって考えるヒントになることがあります。しかし、それは、あの人は家族を想定して話しているのに、こちらの人は職場の場合を想定して・・・と議論がすれ違うリスクにもなります。
また、全員にわかりやすい例を出すのはなかなか難しく、それを探すのにけっこう時間を食ってしまうことがあります。いや、それはそれで宝探しのようで楽しい時間ではあるのですが・・・

この哲学教室では、テキストの各章の冒頭に掲載されているダイアローグを共通の参照点とすることによって、そういうすれ違いが起こりにくくなります。
もちろん、「たしかにこの場合はこうだけど、こういう場合はこうじゃない?」と受講者の方から別の例(反例)が出されて大きなヒントになることもあり。でも、一つのわかりやすい例が用意されていると、出発点がぶれないという利点がありますね。

しかも、一つの事柄について立場の異なる二人の(極端な)意見が示されるダイアローグ形式。
第14章「生きる意味とはなにか」を取り上げた今回の場合は、「人には運命がある。人生とは少しずつ自分の運命を発見していくもの」と考える遥と、「人生は発明。生きながら自分でつくりあげるもの」という秋子(テキストのお持ちの方は、129~130ページを参照してください)。
自分の考えはどちらに近いかと話し合うことによって、参加者の「体験」のほうではなく、一人ひとりの「考えの違い」というのがくっきり浮かびあがります。

誰か一人ぐらいは、遥と同じ考えの人、秋子と同じ考えの人がいるかと思ったのですが、今回は全くいませんでしたね。
参照する考えがあることによって、より細かく一人ひとりの意見のちがいを確認できるおかげかもしれません。
15人いれば15様のツッコミ(=見方)があるものだなぁ、と毎回感心しております。

そして、もうひとつ、哲学カフェとの大きなちがいは、哲学者の思想を参考にすること。
step1でダイアローグについてひとしきり議論したら、今度はテキストをもとに私から二人の哲学者の思想を紹介します。そして、再び哲学者の思想を参考に、再びテーマついて全員で議論します。

・・・と、ここで6月25日の回の報告をしようとして、「対話する哲学教室」シリーズの紹介&感想になってしまっていることに気づきました。(1、2回目報告をさぼっていたツケで?)
長くなるので、続きは別便で。

「テキストタイトルは『中学生からの』だけど、大人がやっても絶対面白いはず!」という思惑どおり。みなさん、経験豊富な大人ならではのリアルな視点から、哲学者の思想にツッコミをいれる様子をご紹介します。

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