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2014/02/21

NSDセミナー@東京「自分らしさとは?」(2)

こんにちは、まつかわです。
昨日の報告記事の続きです。

2日目の午後、三浦さんが躓いたというその場面。
前日みんなで選んだ例から重要と思われる箇所をピックアップし終え、最後に答えを出すその一歩手前のところでした。

率直にいうと、本人は「盛大に躓いた」と言ってますが、躓き自体が大きかったというわけではないのではと私は思っています。
実際、このステップで躓く人は多いものです(そのために進行役がいるのです)。
ただ、それまで余裕をもって参加していた三浦さんが余裕をなくした場面だったから、そう見えたかもしれません。

私も、三浦さんがそこで躓くことは全く予想していませんでした。
というのも、実は、三浦さんは、私にNSDを教えてくれた先輩のうちの一人なのです。
しかし、三浦さんから話を聞くうちに、三浦さんが、私にNSDを教えてくれた10年前から、NSDのこのステップについて「疑問」を抱いていたのだということがわかりました。それは、私自身が10年前に抱いていた疑問でもありました。

「NSDへの疑問」の詳しい内容については、三浦さんの感想をどうぞ。
ここでは、NSDの方法や理論的背景について詳しく触れるのは控えておきます。

ただ、そのとき三浦さんの言葉をきいて私が感じ、お伝えたのは、三浦さんが「NSDではこれはやってはいけない、言ってはいけない」と感じていることを、私はやってはいけないこととは思わない、むしろ、それを今ここでやってほしい、言葉にしてほしいということでした。
三浦さんら先輩からNSDについて学んだあと10年間のあいだに、私は私で、カフェフィロでの様々な哲学対話の経験を通して、NSDは最初に私が思っていたよりもっと自由なものなのではないか、NSDのなかの「遡及的抽象」と呼ばれるものの範囲はもっと広く捉えるべきではないか、と考えるようになっていたからです。
(「遡及的抽象」って何?という方は、いつか、このセミナーをご受講いただければ。)

私の言葉がどれくらい伝わったかはわかりません。
どちらかというと、その後ふわりと再開された「自分らしさとは?」とその例をめぐるみなさんの対話が三浦さんに再び力を与えてくれたようにも思います。
一時はここで遭難かとも思われましたが、なんとか30分ほどして、再び全員で答えに向かうことができました。

三浦さんは「経験者である私自身が参加者の足を引っ張る始末になってしまった」と言っていますが、むしろ私は、こうした疑問や戸惑いの声は他の参加者にも考えるきっかけを与えてくれるものだと思っています。
三浦さんが「あまりにもみんなで考えてきた結果を反映していないとの自制が働き、その場では出しませんでした」と言っている内容についても、ぜひきいてみたかった。
三浦さんは「みんなで考えてきた結果を反映していない」とおっしゃっていますが、果たして本当にそうかどうか、(三浦さんがその気になれば)みんなで検討することもできたと思います。

そして、三浦さんのこの疑問をきっかけにこんなことを考えながら、私もまた、NSDについてひとつ学んだことがありました。

それは、NSDは「こうすれば哲学対話ができるよ」というような方法ではなく、「こういう姿勢で臨まないと、うまくいかないよ」という仕方で哲学対話に必要な態度を教えてくれる方法なのではないかということです。

今回のセミナーの最初のイントロダクションで、私はこんなことをお話していました。
今回のセミナーを、哲学対話の方法やスキルを学ぶためのセミナーだと思うと、期待はずれかもしれません。
私はこのセミナーでみなさんに、方法やスキルではなく、哲学対話に必要な姿勢や態度を学んでほしい。
哲学対話は、方法やスキルがあればできるってものじゃないから。
進行役として私が反省すべきことがあるとしたら、初日にお話したNSDに必要な態度について、2日目も、もっとしっかり強調してお伝えすべきだった、ということかもしれません。

まぁ、いろいろありましたが、先ほど廣井さんから届いた受講者アンケートをみると、受講者のみなさんにはご満足いただけたようで安心しました。
(三浦さんの「躓き」のおかげで、セミナーの内容は2割増しぐらいになったかも)

経験者も改めて哲学対話の醍醐味と難しさを体験できちゃうNSDセミナー、(今回は大雪のおかげでちょっぴり赤字でしたが)、また開催できるといいなと思います。

ご受講くださったみなさん、ありがとうございました。
残念ながら今回は参加できなかったみなさん、次こそお会いできますように。