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2014/08/25

ニーチェ『悦ばしき知恵』より未熟さについて

こんにちは、まつかわです。
藤本さんから、8月23日にカフェP/Sで開催された書評カフェの報告が届きました。


8月23日(土)13時30分〜17時
書評カフェ  カフェP/Sにおいて

ニーチェの『悦ばしき知恵』のアフォリズム79「未熟さの魅力」から、未熟さについて対話をしました。

前回(7月)は『哲学カフェのつくり方』が新聞などで掲載されたことで、参加者が急増、15名程のスペースには入りきらない状態で、商店街で椅子を調達しましたが、お帰りいただいた方も数名いました。その中にはこの書評カフェの常連さんもいて、帰られるお姿をみて哀しくなりました。

それに懲りたのか、猛暑もあってか参加者は7名でしたが、ニーチェがご専門の方や白水さん(カフェのオーナー)も参加して、充実した対話となりました。

書評カフェということで通常の哲学カフェのルール以外にいくつかお願いしました。1つは、解釈をするわけではなく、あなたがどう考えるかということ、2つ目は話題提供者と問答をするのではなく、あなたの考えをみなさんと共有すること、つまりソクラテスの対話ゲーム(なぜ?と問いつめていくゲーム)ではないということ、3つ目は、テーマから逸れないように、例えば、ニーチェについてあれこれ質問したり等、できるだけ避けていただきたいことを初めにお願いしました。

前半は、未熟さの魅力について、具体的に思いつくことを話していきました。
例えば、経験の浅い熱血教師、ピアニストの卒業公演の演奏、荒削りで演奏はいまいちであるが新鮮で反抗的なロッカー等々。

話していく中で、未熟さは老若男女に関係ないことを確認して、これまでの例で話された中から、成熟にない未熟の魅力を挙げていきました。

      破壊と創造(新しいものを生み出すエネルギー)
      可能性
      想像の余地
      内在する進化の衝動
      何かを補完するものではなく、それ以上の力
      反体制
      爆発
      パッション
      始まりとの出会い
      ドキドキ感

実は、未熟さはUnvollkommenheit となっていて、訳によっては「不完全性」と訳されているのですが、未完成とどうちがうのか、という視点が出ましたが、それに関しては、参加者と対話をする時間がなく、参加者の中でニーチェがご専門の方による半ばレクチャーになってしまったことは、ちょっと残念でしたが、逆にそうした説明があったことで、参加者は満足されたようでした。

説明すると、不完全は完成の方向を向いているが、未完成は必ずしもそうではなく、場合によっては敢えて完成に背を向けることもある、ということでした。

書評カフェとはいえ、基本は哲学カフェですから、参加者がどう考えるかを共有していく場であるわけですが、書籍を使用することで、参加者の中には知的欲求をもって来られる方がおられて、レクチャーに対する期待感と満足度は高いようです。なかなか難しいところですが、少なくとも神戸での書評カフェは、できるだけ専門的な知識は伝えないようにして、参加者が全員で考え、個々が気づきに至る場となればと思っています。

次回は日程は決まっていませんが、『悦ばしき知恵』第三書からアフォリズムを1つ選んで対話をしたいと思っています。参加者の数もそろそろ通常通りとなりますので、リピーターの方も、初めての方も是非ご参加下さい。
 
                             藤本啓子


未熟の魅力、興味深いですね。
最近いろいろ自分の未熟さを感じるところが多いので、私も読み直してみようと思ってしまいました。
私が進行した哲学カフェの報告が滞っているのも、ひとえにこの未熟さのせいで・・・申し訳ありません。
単純に時間がないとかいう忙しさのせいではなく、哲学カフェを始めたころのように対話について試行錯誤というか、もう一歩自分自身を見つめ直して先に進まなければならないと感じています。
そういうときって、今までできてたことが一度できなくなったり・・・しますよね?
みなさんとの対話自体は楽しくできているのですが、それを自分なりに消化して言葉にするところでつまってしまって・・・まさに破壊と創造の必要性を感じています。
もがいているうちに、そのうち、なんとかひねり出せるとおもうので、あたたかく見守っていただければ。