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2014/08/26

ニーチェ『悦ばしき知恵』より未熟さについて(2)

こんにちは、まつかわです。
昨日アップした藤本さんの報告について、補足をいただきました。


<哲学カフェのつくり方>

8月23日の書評カフェの報告の追加です。
松川さんのコメントを読んでいて、私も反省したことがあります。反省点は、
そもそも、カフェは専門家、非専門家に関係なく、平等な立場を担保してその場にいる人と言葉を分け合う場であったわけですが、先日、私が参加者のお一人を「ニーチェを専門にされている方」と紹介してしまったことです。

紹介された方も少し戸惑われていましたが、知的好奇心の強い方から発言を巡る話に進んで、時間切れとなり、流れをテーマに引き戻すことなく終ってしまったことは、進行役としてまさに「未熟」であったと反省しています。

もうひとつ、その方の発言について「説明すると、不完全は完成の方向を向いているが、未完成は必ずしもそうではなく、場合によっては敢えて完成に背を向けることもある、ということでした。」の部分ですが、ここを読まれた方は、あたかもその方がそうおっしゃったように受け取られたかもしれません。この点は釈明をしておかなければならないかもしれません。つまり、「私がそう受け取った」というように訂正をして下さい。なかなか、カフェの報告とは難しいですね。


ただ、繰り返しになりますが、書評カフェは書籍を用いて対話をしますが、どう解釈するか重要なのではなく、参加者がどう感じ、どう思うかが大切で、その点では、専門家も非専門家もなく平等で、「先生」という呼称を使わないというのも、確か、そのようなことからでしたね。


カフェの報告とは難しいですね」にうなずきながらも、わざわざこうして追記してくださった藤本さんの報告を読んで、私も未熟でも考えたことをちゃんと言葉にしたいなと思いました。
生(なま)で哲学カフェや書評カフェに参加するのと、そこにいた人の視点を通してこうして報告を読むのとでは、全く別の面白さがあります。
ブログやニューズレター、本を読んで「面白そう」と思ったら、みなさんもぜひ気軽にご参加ください。