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2014/11/04

映画「子宮に沈める」で哲学カフェ

こんにちは、まつかわです。
昨日は岡山映画祭cafe moyauさんにて「子宮に沈める」を観たあと哲学カフェをしました。

ネグレクト(育児放棄)を描いた映画です。
様々な視点、様々なモヤモヤが浮かび上がりましたが、みなさんの意見が分かれたり盛り上がった点が主に2つありました。
ひとつは、母親である女性の描かれ方などから、ステレオタイプな表現の功罪について。
もうひとつは、など母親の彼氏についての感想から、責任ないけど影響のある人の存在をどう考えるか。
この2点は、虐待(の防止)を考える上でけっこう重要なポイントになってくるのではないか。
みなさんの対話を通じて、そんなふうに感じました。

あと、面白かったのが、映画祭って映画好きの人が比較的多く集まると思うんですが、予想以上にみなさん率直に、映画のなかでの「描かれ方」や「監督の意図」に疑念を表明されていたこと。
映画のなかの登場人物の服装や部屋の様子、料理、天気などディティールを思い出しながらその疑念の声に耳を傾けていると、どこからどこまでが監督の意図的な表現なのか、たまたま写り込んだものなのか、それとも映画の外で起こっていることを再現しただけなのか、その線引きが難しく、曖昧になっていく。そこがまた映像作品の面白いところだなぁと思ったりもしました。

こういう心がざわつく映画は、一人で観て帰っても消化しきれないので、みなさんの感想を語り合う機会をいただけてよかったです。
参加してくださったみなさん、映画祭スタッフのみなさん、moyauのみなさん、ありがとうございました。