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2016/08/03

哲学カフェ「なぜ私たちは哲学するのか?」の予想は大外れ

こんにちは、まつかわです。
暑い日が続きますね。
そんな暑いなか、哲学カフェに参加してくださるみなさん、ありがとうございます。
私もですが、みなさんも哲学好きですね♪

ということで(?)、先日、7月31日(日)は岡山大学まちなかキャンパス・城下ステーション(「城下」は「じょうか」ではなく「しろした」と読みます)の哲学カフェでは、「なぜ私たちは哲学するのか?」をテーマに取り上げました。
「こんなテーマで、人くるのかな〜。いつもより少ないだろうな」という私の予想は大外れ。
20名を超える方が参加され、この会場で最高参加者数となりました。
初めて哲学カフェに参加される方もたくさん。
哲学、大人気?!

そして、この哲学カフェでは、他にも予想外のことが2つありました。

ひとつは、「哲学カフェに初めての方は、参加しにくいテーマかな?」と心配だったのですが、初参加で積極的に発言してくれる方が、少なくなかったこと。

さらに、「いつも哲学カフェに参加してる人から、哲学カフェにきてる理由をきけるかな」と思っていたのですが、これも外れ。
全くなかったわけではないけれど、それより、自分の普段の生活から哲学について語る方が多かったです。

何百回と哲学カフェしてるんですが、私の予想、全然当たってません。
でも、そこが哲学カフェの面白いところです。


内容について、ざっくり振り返ると、「哲学とは何か」をめぐって、大きく2つの問題が浮かび上がったかなと思います。
(以下は、実際に話し合った順番とは全く異なります。私の主観でまとめたものです。)

一つは、哲学と、他の「考える」や知のあり方との関係。
「哲学する」は「考える」の一部なのか、それとも?
哲学と科学や宗教との関係は?などなど。
前者については、なんと、「晩ごはんについて考えることは哲学になりうるか?」という切り口から、興味深い議論が展開しました。
後者については、哲学と科学は切り離せるのか、哲学と宗教は両立するのかについて、対立する意見がでましたね。

もう一つの「哲学とは何か」をめぐる問題は、複数の哲学の区別についてです。
まず、介護関係の仕事をされてる方の話をきいた別の参加者から、「ケアを哲学する」と「哲学をもってケアする」はちがうのではという指摘がありました。
今ふりかえれば、最初のほうにでた「右斜め上から自分をみている感じの哲学と、毎日晩ごはんをコツコツとつくっている人(あるいは行為)のなかにある哲学、どっちが哲学?どっちも哲学?その関係は?」という問いかけも、この指摘に近いですね。
それから、「哲学や倫理は社会や人生のベースにある大事な問題について考えることだから必要」という意見がある一方で、「それもわかるけど、私は必要だからというより、単純に楽しいから哲学カフェに参加してる」という声がありました。


今回、「なぜ私たちは哲学するのか?」というテーマを取り上げようと思ったきっかけは、前回の哲学カフェででた質問でした。
「どうして、これを『哲学』と呼ぶんですか? 」
そのときは、簡単に2〜3言で説明させていただいたのですが、いつも一緒に哲学カフェをしている岡山大学の岩渕さんが、「一回、哲学って何か、じっくり話してよ」と言ってくださり、一人で一方的に話すのもさみしいので、参加者のみなさんにも話してもらうことにしました。
やはり、きいてみてよかった。
みなさんの話をきいて、私自身も、いくつか発見や変化がありました。

ひとつは、「哲学について哲学すること」に対する苦手意識が薄れたこと。
過去の哲学者もたくさん哲学について哲学してきたわけですが、抽象的な話になりがちで、哲学屋が自分のしてることを押し売りしてるような印象があって、ちょっと苦手でした。
が、今回は、暮らしや人生との関わりのなかで哲学がどうあるかが聞けたので、楽しかったです。

もうひとつ気づかされたのは、「哲学をもって○○する」が私のなかにあること。
私は、「○○を哲学すること」は自分のなかに何かしら発見や変化があって大好きなのですが、「人生哲学」とか「ビジネス哲学」というときに思い浮かべるほうの哲学には苦手意識をもっていました。
なんか、行動指針みたいなのが外から与えられて、自由じゃない気がして。
でも、今回「『ケアを哲学する』から、そこから生まれてきた『哲学』をもってケアすることも可能になる」という意見をきいて、「そういえば、私のなかにも、「哲学カフェで大事にしていること」があるなぁ」と気づかされました。
それは、外から与えられた知識ではなく、自分が経験しながら獲得してきた実践知のようなもので、変化しうるものだけど、だからといって簡単に揺らぐものでもない。
苦手だと思っていたものが、自分のなかにすでに、しかも大事なものとしてあった。
それは、驚きでもあり、愉快な出来事でもありました。

2つの苦手意識が吹き飛んで、今後、ますます楽しく哲学できそうです♪